38話:名門に生まれた策略家 袁術の非業の最期

2015年3月5日


 

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袁紹&袁術

 

西暦197年、揚州の寿春を本拠地としていた袁術(えんじゅつ)は、皇帝に即位します。

献帝を保護する曹操

 

これより前の195年、献帝(けんてい)が長安から脱出して曹操(そうそう)に保護された時、袁術(えんじゅつ)は、「これで漢の命運は尽きた」と考えて自らが即位する事を家臣に打ち明けますが、猛反対されて引っ込めていたのです。

 

袁術

 

しかし、197年に至り、袁術(えんじゅつ)は強引に皇帝即位を宣言します。国号は仲とし、都を寿春としました。

 

前回記事:37話:人を信じられなかった豪傑呂布、戦場に散る

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁術(えんじゅつ)に賞金首がかかる

袁術くやしいいい

 

ところが、献帝(けんてい)が存命の間に袁術(えんじゅつ)が皇帝を名乗った事に諸候は非難轟々曹操(そうそう)は、これに乗じて献帝(けんてい)の命令で袁術(えんじゅつ)を逆賊として賞金首にします。

 

孫策は皇帝・袁術について語る

 

袁術(えんじゅつ)の配下であった孫策(そんさく)「無謀な事は止めるように」と何度も諫言するような書簡を送っています。

 

イケメン孫策と袁術

 

袁術(えんじゅつ)は、それらの反対勢力に全て反発しました。結果、袁術(えんじゅつ)の配下にいた有力な武将は袁術(えんじゅつ)を見限って出て行きます。書簡を送って袁術を諌めた孫策(そんさく)も失望して出ていき、江東で独立志向を強めていきます。

 

袁術(えんじゅつ)は住民に重税を課す暴挙

怒る村人 三国志

 

そればかりなら、まだしも、袁術(えんじゅつ)は皇帝に即位すると、揚州の住民に重税を課し、また兵力とする為に多くの若者を徴発してしまいます。働き手は取られた上に、税金は重くなるのでは、農民の暮らしは苦しくなる一方です。

 

袁術

 

ですが、名門の生まれで庶民の苦労をしらない袁術(えんじゅつ)は、自分がどれだけ庶民を苦しめているかも分かりませんでした。

 

曹操(そうそう)は遂に袁術(えんじゅつ)を討つ為に兵を出す

曹操躍進

 

西暦198年袁術(えんじゅつ)は、陳という小国を奪い取る為に陳王を暗殺します。これを知った曹操(そうそう)は、袁術(えんじゅつ)を討つ為に兵を出し、袁術(えんじゅつ)配下の4人の武将を次々に討ち取ります。

 

袁術に助けを求める呂布

 

これにより袁術(えんじゅつ)の兵力は大きく衰えてしまいました。さらに同年には、曹操(そうそう)に対抗していた呂布(りょふ)が袁術(えんじゅつ)に援軍を求めた時に、袁術(えんじゅつ)は呂布(りょふ)の裏切り癖を理由に援軍を見送ります。

 

袁術(えんじゅつ)からの援軍がなく呂布(りょふ)は尽きる

呂布 あっけない 最後

 

呂布(りょふ)の命運は、これによって尽き、袁術(えんじゅつ)は曹操(そうそう)の脅威をまともに受ける羽目になってしまいました。

 

袁術

 

進退極まった袁術(えんじゅつ)は、曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)のどちらが天下に近いか考え弱兵の曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)に敗れるだろうと判断します。

 

袁術

 

そして、皇帝の位を袁紹(えんしょう)に譲る事を条件に自分を守ってくれと手紙を出したのです。

 

美化された袁紹に羨む袁術

 

袁紹(えんしょう)は、曹操(そうそう)との戦いに忙しく、味方兵力が増えるのは、有り難い話ではありましたが、皇帝を名乗って評判を落とした袁術(えんじゅつ)を匿う事で発生するリスク、そして、以前、袁術(えんじゅつ)が袁紹(えんしょう)を「身分卑しい庶子の子供」と馬鹿にしていた事を考えて返事をしませんでした。

 

紀霊

 

止むなく、袁術(えんじゅつ)は飢饉と悪政で廃墟と化した寿春を捨てて、猛将紀霊(きれい)を連れて、袁紹(えんしょう)の元へと移動を開始します。

 

二刀流の劉備

 

これに対して、袁紹(えんしょう)も迎えを寄こす事が分かったので、曹操(そうそう)は、二人が結託する前にこれを討ち取ろうと劉備(りゅうび)と朱霊(しゅれい」を派遣します。

 

袁術

 

劉備(りゅうび)は、袁術(えんじゅつ)軍に追いつき、張飛(ちょうひ)が紀霊(きれい)を討ち取ると袁術(えんじゅつ)軍は総崩れになり袁術(えんじゅつ)は、僅かな手勢を引きつれて、敗走します。

 

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袁術(えんじゅつ)の最期

袁術の最後

 

時は真夏でしたが、袁術(えんじゅつ)軍には食糧はおろか、水さえありませんでした。袁術(えんじゅつ)は、蜂蜜水を料理人に所望しましたが、料理人は、

 

袁術

 

「血と水しか材料がありません、蜂蜜などどこで得られましょう」と冷たく言い放ちました。

 

袁術(えんじゅつ)は、寝台に腰掛けると、突然、目を見開いて

 

「袁術ともあろうものが、このようなザマになろうとは!!」と叫んで、口から大量の血を吐いて絶命したと言われています。

 

袁術(えんじゅつ)の人生

袁術

 

袁術(えんじゅつ)はゲーム等では最後の悲惨な末路が勘案されて、知力は低めに設定されていますが、その人生を振り返ると、常に相手を上回る知略を駆使し、敵を騙しても騙される事はない狡猾な策謀家として定義できます。

 

袁術

 

ただ、野望だけが先走る傾向があり、自分の実力を過信し、皇帝を名乗るなどした為に、諸候の信頼を失い、また、農民の苦労を知らず内政に意を用いなかったので自分が拠って立つ基盤まで失ってしまいました。

 

袁術

 

故に一度の敗戦で、国力はガタ落ちしてしまい、再起する事が出来なかったのです。袁術(えんじゅつ)の失敗は、その部分に尽きると言えるでしょう。

 

次回記事:39話:桃園三兄弟、バラバラに、、関羽は曹操に捕らわれる

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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