紅蓮の炎に包まれる自分の軍団を見たら、誰でも茫然自失になります。
ましてや天下統一を目前にした矢先の大敗北です。
現実逃避したって仕方がない場面でしょう。
ですが、流石は曹操(そうそう)、ここからが並みの群雄とは違います。
「ふっふっふ、周瑜(しゅうゆ)如き、小僧に騙されるとは、
この曹操生涯の不覚、、だが、今は逃げる事が先決、、
後悔は、、、生き残ってからすればよい!!!」
曹操は、そう割り切るや、自軍を見捨てて、
主だった重臣のみを集めて脱出を決行するのです。
前回記事:79話:曹操最大の失敗赤壁の戦い
この記事の目次
東南の風を吹かした孔明の次の一手
それより以前、東南の風を起した孔明(こうめい)は、逃げのびる
関羽(かんう)という主だった将軍に待ち伏せの布陣を敷いていました。
関羽は、その最後に当る華容道への配置を希望しますが、
ここで孔明は難色を示します。
「関将軍を疑うではないが、貴殿は、以前、曹操に恩を受けし身
いざという時に仏心を出して曹操を逃がすのではないかと
私は、危惧しておるのです」
すると関羽は顔色を変えて怒ります。
関羽:「確かに私が曹操に恩義を受けたのは事実です。
しかし、それは顔良、文醜の二将を斬り、すでに返しております。
軍命に反して、賊将曹操を見逃すなど決してありません」
孔明:「もし、万が一、曹操を見逃したら、いかに関将軍とて
斬罪ですぞ、、それでも宜しいのですかな?」
関羽:「よく心得ております、、、、、」
華容道を関羽に任せた孔明
孔明は、それならばと関羽と周倉(しゅうそう)に500騎を与えて、
華容道に伏兵するように命令しました。
徐晃(じょこう)のような重臣と僅かな親衛隊だけを引きつれて、
立ち塞がる自軍の兵士を斬り捨てながら陸を目指して突進します。
曹操の残酷で冷血な一面
この混乱の中では、呉兵より数が圧倒的に多い自軍の兵の方が
遥かに邪魔です、曹操はこれを容赦なく斬り捨てて、
道なき道を切り開いていきます。
この自分の野望と命の為には、なんであろうが躊躇わず
犠牲に出来る非情さこそが、曹操の強みでした。
烏林に上陸した曹操と伏兵趙雲
混乱に乗じて、烏林(うりん)に上陸した曹操ですが、
そこに伏兵された趙雲が襲い掛かってきます。
これには、張遼や徐晃が応戦して、曹操を逃がします。
南夷陵に到達した曹操だが張飛が襲いかかる
次に南夷陵まで到達した曹操に張飛が襲い掛かります。
この時には、許褚が立ち塞がり、張飛の追撃を振り切りました。
赤壁の戦いで惨敗な曹操が急に笑う
しかし、何度も、劉備軍の伏兵に会い、曹操の手勢は
50騎ばかりに減少していました。
疲れ果てて、とぼとぼと細い道を歩いていた時
曹操は、不意に立ち止ります。
「はっはっは、、お前達、孔明も凄い、凄いと
言われておる割には大した事がないものよ、、」
突如として曹操は笑い、疲れ果てた兵士に語りかけました。
「もし、余が孔明なら、この華容道に伏兵を置いておくものを
最期の詰めを欠いておる、神算鬼謀の孔明も底が知れるわ、、」
曹操が孔明をこき下ろした事で、疲れ果てていた兵士は、
どん底でも屈しない曹操の姿に勇気づけられました。
曹操は、兵士が意気消沈しているのを見て、気力を奮い起す為にこのような事を言ったのです。
しかし、曹操の言葉は、遠くからの蹄の音で破られます。
それは、最期の伏兵、関羽と周倉の500の兵でした。
「ううああ、、関羽、ものども、退け、、」
曹操は声を掛けますが、皆疲れ果てて動けません、
当の曹操も、顔を上げる事も出来ない程に疲労していました。
疲労困憊の曹操、遂に覇業を諦めるか
関羽:「賊将、曹操、、その首、この関羽が貰い受ける、潔く致せ」
曹操:(ふっ、、もはや、ここまでか、、)
曹操はせめて関羽に一太刀浴びせて死のうと刀の束に手を掛けますが
これを参謀の程昱が止めました。
程昱:「丞相、早まってはなりません、関羽は義に厚い男、
昔の恩義を説いて、ここは見逃してもらうのです」
曹操:「程昱、、この期に及んで、余に命乞いをせよというのか?」
曹操は、疲れた顔で、程昱を見つめました。
程昱:「今更、何をキレイ事を言っているのです?
味方を斬り、その屍を踏み越えてここまで逃げのびたのですぞ
恥も外聞もありましょうや?」
曹操:「そうであった、、恥も外聞も糞くらえじゃ、、
生き延びてこその曹操ぞ」
曹操、恥も外聞もない命乞い、関羽はどうする?
曹操は、馬首を巡らして、関羽に近づきます。
曹操:「久しぶりじゃのう、関羽、かれこれ8年ぶりじゃ」
関羽:「曹操殿、お久しゅうござる、、」
関羽は素っ気なく返します、
その表情は冷徹そのものですが、直ぐにでも曹操を斬る様子はありません。
曹操:「懐かしいのお、、あの時、劉備(りゅうび)殿とはぐれたお主を
余は、救い、劉備殿の奥方共々手厚く面倒を見た、忘れてはおるまい?」
関羽は顔良と文醜を切って恩を返していた
関羽:「曹操殿、その時の御恩は、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)を
斬ってお返し致した、、」
曹操:「そうじゃ、確かにな、
しかし、その後、お主が五関の守将を斬った時も
余は、その罪を不問にして許し、、」
関羽:「曹操殿!見苦しゅう御座るぞ、、
これまでの悪行の報いです潔くなさいませ」
関羽は、青龍堰月刀に手を掛けました。
曹操:「ふっ、分かるとも、、お主はそういう男だ、、
余とて、今まで余と同じように命乞いをする敵を
無慈悲に斬ってきた、、、、
それを我が身だけは別と命乞いをする、、
確かに余は見苦しい、、浅ましいわい」
曹操の命乞いは続く
曹操は、馬を降り、関羽の馬の下でひざまずき、
憐れみを請う眼で関羽を見つめた。
曹操:「じゃが、余はそれでも生きたい、、
まだ、夢は半ばでしかない、、
卑怯者と罵られようと、助けてもらえるなら生きたい
関羽、この通りじゃ、余を見逃してくれ!」
曹操は全身を震わせて、両手を合わせた。
そればかりではなく、それを見ていた、程昱、許褚、
張遼、徐晃、そして僅かに残った兵士も武器を投げ捨てて
馬を降り、関羽の周囲にひざまずきます。
曹操軍:「関羽殿、どうか、丞相の命だけは!!」
曹操軍:「我等はどうなってもよい、だから丞相だけは!」
義将関羽の性格
関羽は、権力を嵩にきる人間や横暴な人間には、
容赦なく武力を奮える性格でしたが、、
反面で、弱い人間や困っている人間には、
無類に優しいという性格を持っていました。
今、目の前にいる曹操には昔日の栄光はなく
もはや関羽に取っては、明日をも知れない命に震えるただの老人、、
すでに殺意は消え失せていました。
関羽:(、、、わしには、この者達は斬れぬ、、)
関羽は、馬の首を巡らし、曹操に背を向けました。
曹操を逃す関羽
それを見るや、程昱の眼が光りました。
程昱:「丞相、関羽は我等に逃げよと言っているのです!」
聞くや否や、曹操は脱兎の如く跳ね起きて馬に飛び乗ると
一目散に、関羽の横を駆け抜けていきます。
重臣達や兵士もその後に続き、あっという間に姿は見えなくなりました。
関羽は、曹操軍をやっつけた手柄話で盛り上がる劉備軍の陣営に
意気消沈して帰還します。
曹操を逃した関羽、軍法に照らされる
そして何の手柄もなく、しかも曹操を見逃した事で、
孔明の怒りを買い軍法に照らして斬罪という判決を受けました。
それには義兄弟の劉備も張飛も猛反対し、
特に劉備は、この場は私に免じて許してくれと孔明に頼んだので
孔明は厳重注意だけで関羽を許しています。
何で孔明は関羽を許したの?
その後、孔明は関羽には内緒と前置きして、劉備に対して
きっと関羽は曹操を討てないと分かった上で派遣したと白状します。
孔明は関羽の中に今も曹操に対する負い目がある事を見抜いていて
それを今回の命乞いで取り除いてやろうと考えていたのです。
実際に史実では関羽は曹操を見逃したの?
さて、この有名な曹操の命を助ける関羽ですが、
これは三国志演義のフィクションとされています。
しかし、全てを捨てても、野望の為に命乞いをする曹操
それを殺せない仁義に厚い関羽は、そのキャラクターの対比が
見事で、三国志の物語に厚みを加えていると思います。
耳で聞いて覚える三国志
次回記事:81話:赤壁の戦い後の劉備と孫権の関係はどうなったの?
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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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