化粧、といえば女性の特権。
現在でこそそのように思われがちですが、歴史をひもとくと、
実は男性が化粧をするのが当たり前だった時代があったことをご存知でしょうか。
そうした例は世界各国でみられ、
むしろその時代、化粧は男性のたしなみでさえあったのです。
この記事の目次
漢時代の官僚達も化粧をしていた
中国についていうと、漢代からすでに官僚たちには白粉を塗る習慣があったようです(『漢書』佞幸伝)。
そしてその後、三国~魏晋南北朝にかけて、化粧が大流行することになります。
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曹植も化粧をしていた
たとえば曹操の息子で詩人としても有名な曹植(そうしょく)。
彼は当時著名な儒者であった邯鄲淳と会う時、暑い日にはいつも「傅粉(白粉を塗ること)」
して出迎えたという話があります(『三国志』魏書王衛二劉伝)。
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何進の孫で曹操の養子の何晏はナルシストだった?
また何進(かしん)の孫で後に曹操の養子となった何晏(かあん)は、たいそうなナルシストで、
常に肌身離さず白粉を携帯してので、「粉侯」とか「粉郎」なんて
あだ名までついたといいます(『三国志』魏書何晏伝引用の『魏略』)。
ただし元から色白だったという説もあります。
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白粉ブームはいつまで続いたの?
こうした白粉ブームは主に上層階級の間で広がり、南朝の斉梁時代にピークを迎えます。
貴族の子弟たちはこぞって「粉白(ファンデ)」をはたき、更には「塗朱」=顔に紅(チークやルージュ)まで差しました。
北斉の顔之推が記した『顔氏家訓』によれば、
「斉梁の全盛期、貴族子弟は……衣に香を焚き染め、顔面の毛を剃り、白粉をはたいて紅を施さないものはいなかった」そうです。
わざわざ家訓に残すほどですから、よほど目についたのでしょう。
オシャレアイテムは化粧だけじゃないよ!
化粧のほかにオシャレアイテムだったのは香りです。
当時は香炉で焚く薫香が主流でした。
曹丕はお香が大好き
たとえば曹操の息子の曹丕は大のお香好きで、その衣の香りがあまりにきついので、
乗ろうとした馬から嫌がられて膝を噛まれたというエピソードがあります(『三国志』魏書方技伝)。
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荀彧もお香が大好きだった
また東晋時代に書かれた『襄陽耆旧記』には、劉弘という人物が愛香家として紹介されていますが、
彼が友人に「荀令君が訪れると、彼の座った席は三日間その香りが残る」と語った話が載っています。
荀令君とは曹操の右腕であった荀彧のことで、外見内面とも立派な人物と評価が高かったので、
このエピソードから後に「令君香」という言葉ができ、転じて高雅な人物の風采を意味するようになりました。
ただし、劉弘が果たして好い香りときつい香り、どちらの意味で荀彧を引き合いに出したのかは謎です。
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日本の平安時代でも同じように化粧をしていた
日本でも平安時代の貴族男性は白粉を塗り、眉は剃って墨で描き、頬紅や口紅をして、
調合したお香を衣に焚き染めていたといいますので、同じようなイメージでしょうか。
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何で男子は化粧や香りをたしなむようになったの?
それにしても、どうしてこれほどまでに男性が化粧や香りを嗜むようになったのでしょうか?
一説には、社会背景の変動が関係しているといいます。
孔子の教えが支持されるようになってからというもの、社会モラルは儒家の道徳・倫理観念で厳しくルール化されていました。
公の場での振る舞いから対人関係のマナーまで、それはそれは細かいお約束事がありました。
言動はもちろん、思想上も価値観の統一がはかられ、個性主義よりも集団主義が重視されました。
それが漢帝国が衰退するにつれ、儒家の権威が下がると、人々は儒家の禁欲的な「常識」を破る行動をとるようになります。
つまりこれまでの束縛への反動が、化粧などのオシャレとして現れたのだといいます。
ただし、儒家思想が濃かった漢代から官吏たちは白粉をしていたので、この解釈がどこまで適当かは不明です。
ただ少なくとも当時の知識人たちの美的感覚からすると、
白面のお化粧男子こそエレガントという認識であったことは間違いなさそうです。
なお、化粧もお香もともに高価な嗜好品ですので、
主には富裕層で嗜まれ、一般庶民にはまた別のオシャレイズムがあったことと思われます。
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