徐晃(じょこう)は、張遼(ちょうりょう)、楽進(がくしん)、于禁(うきん)、張郃(ちょうこう)と並んで魏の五大将軍に列せられる人物です。それだけでも凄いのですが、徐晃は用心深い戦術で個人の失敗に帰する敗戦がないある意味、無敗の将軍でもあるのです。
ヨイショ大魔王、曹操(そうそう)に滅茶苦茶褒められた徐晃の不敗の人生を追います。
この記事の目次
- 1ページ目
- 最初に仕えた上司は、後の袁術(えんじゅつ)トホホ武将、楊奉(ようほう)
- 李傕・郭汜が長安で内戦、徐晃、献帝を洛陽に移すように進言
- 今度は董承と韓暹が仲間割れ、徐晃は曹操を頼るように進言するが・・
- 徐晃、曹操に帰順する
- 2ページ目
- 官渡の前哨戦では、顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)を破り袁紹の輸送隊を焼く
- 徐晃、潼関(どうかん)の戦いで陣地を構築し魏の勝利に貢献する
- 関羽、事件を切っ掛けに樊城、襄陽に進撃を開始
- 徐晃、優勢な関羽に挑み、これを撃破する
- 徐晃、孫子のお手本のような戦いで関羽を破り樊城の包囲を解く
- 3ページ目
- 曹操、魏のピンチを救った徐晃を褒めまくる
- 徐晃が凱旋すると曹操は自ら迎えに行く
- 沈着冷静、万事に控えめで少しも奢らなかった徐晃
- 三国志ライターkawausoの独り言
最初に仕えた上司は、後の袁術(えんじゅつ)トホホ武将、楊奉(ようほう)
徐晃公明(じょこう・こうめい)(?~227年)は河東郡の楊県の出身です。若い頃は郡の役人をしていましたが、車騎将軍の楊奉に仕えて賊の討伐で功績を挙げて、騎都尉(きとい)に任命されました。
ちなみにこの楊奉とは袁術トホホ武将の1人で山賊あがりの楊奉の事です。後の不敗将軍が楊奉のような、しょうもないヤツに仕えていたというのも意外ですね。
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李傕・郭汜が長安で内戦、徐晃、献帝を洛陽に移すように進言
その頃、長安で好き放題をしていた李傕(りかく)と郭汜(かくし)が、どうでもいい事で仲違いし長安の内部で戦争を開始します。もちろん民は巻き添えで大勢死に、通りに白骨は溢れました。
徐晃は、献帝(けんてい)をこれ以上長安に置くのは危険だと考え、楊奉に帝を洛陽に移すべしと進言して入れられます。楊奉は、董承(とうしょう)や韓暹(かんせい)と共に、李傕、郭汜を騙して献帝を連れて、洛陽に戻る事に成功、徐晃は、その功績で都亭侯に任じられました。
今度は董承と韓暹が仲間割れ、徐晃は曹操を頼るように進言するが・・
しかし、洛陽に入ると、大将軍に任じられた韓暹が好き勝手に振舞い董承と対立するようになります。徐晃は上司である楊奉に「近くで勢力を伸ばしている曹操(そうそう)を頼り献帝を保護してもらうのが安全」と再び進言します。
楊奉は最初は賛同しますが、結局、山賊仲間の韓暹と組んで董承と対立します。董承が曹操を頼って献帝を売り飛ばすと賊軍になった楊奉と韓暹は曹操の討伐を受けて壊滅、二人は袁術を頼り落ちのびていきます。
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徐晃、曹操に帰順する
徐晃は、目先しか見えない山賊気質の楊奉に付き従うのに愛想が尽きて曹操に投降します。曹操は、徐晃に非凡な才能がある事を見抜き稗将軍に任命しました。曹操に仕えるや否や、徐晃は呂布(りょふ)討伐に従軍し、趙庶、(ちょうしょ)李鄒(りすう)を降伏させ眭固(すいこ)を破り、曹操に従い劉備(りゅうび)を撃退しています。
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