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于吉(うきつ)とはどんな人?最古のメンタリスト UkiTsu!小覇王・孫策の生命を奪った仙人

2015年12月9日


 

于吉

 

多くの武将が冴えわたる知略や力みなぎる武術をもって活躍する中で、妖術で呉を混乱させた于吉(うきつ)。呉の小覇王である孫策(そんさく)の前で奇跡を起こし、自身が殺された後も孫策を苦しめた人物です。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐州が生んだスーパースター于吉

于吉

 

于吉(うきつ)は、三国志でも屈指の道士で、妖術を使い多くの民の病気を治療していたことから、巷では有名なスーパースターでした。ちなみに道士とは、中国三大宗教の一つである道教の僧侶です。

 

三国志の時代は、科学技術が進んでいなかったので、病気の治療ができる于吉は奇跡の力を持つ人物としてファンも数多くいました。于吉は徐州出身で、主に呉や会稽で活動していたため、孫策の勢力圏で特に有名な人物でした。

 

 

于吉は民だけのものではない

孫策

 

于吉は、一般の民だけでなく呉や会稽の城内にも多くのファンを抱えていました。その人気たるや孫策が羨むほどです。当時、曹操(そうそう)に対して敵対感情を抱いた孫策は、袁紹(えんしょう)からの共闘を持ち掛けられていました。

 

その使者を歓待する宴会に、突然、于吉が現れたのです。スーパースター于吉の登場に呉郡の城内にいた賓客や武将は、我先にと使者と孫策をそっちのけで于吉の元に集まり、拝み始めたのです。これには孫策もご立腹で、于吉を捕らえてしまいました。

 

 

孫策からの挑戦状

孫策

 

于吉が孫策に捕まったことは、巷にもすぐに広まりました。なんと于吉のファンが、于吉を許してほしいとお願いに来たのです。于吉の人気に嫉妬している孫策も、これにはお手上げです。そこで孫策は、理由をつけて処刑することを思いつきます。

 

「近頃、呉に雨が降ってないから、降らしてみろ。それが出来たら助けてあげよう。」これは孫策から于吉に対する挑戦状でした。于吉は自らの命を守るため、雨乞いの祈祷を始めます。

 

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奇跡の人于吉

 

 

于吉は雨を降らせるため祈りに祈ります。その祈りは、なんと3日に渡って続けられます。しかし、その甲斐も虚しく雨は降りませんでした。3日も祈って雨の降らないことに、待ちきれなくなった孫策はまたもやご立腹です。どうせ降らないなら祭壇ごと焼いてしまえと、于吉の処刑を開始します。祭壇に放たれた火は、みるみる広がりあっという間に于吉を包みます。于吉に最大のピンチが訪れました。

 

サイババか!

 

 

しかし、ピンチはチャンス。なんと、于吉はこのタイミングで雨を降らせたのです。この雨にたちまち祭壇の火は消え、それどころか市中を水で溢れさせたのです。なかなかのニクイ演出で、奇跡を起こした于吉でした。これに、于吉のファンは大熱狂。誰にも于吉を止めることはできません。

 

于吉、孫策

 

孫策を除いては・・・。孫策は、「天候が人に動かせるわけが無い」と于吉の奇跡を全否定し、あろうことか于吉の処刑を命じます。これには会場もドン引きで、誰も処刑を実行しません。これには孫策も我慢の限界です。ついに、自らの手で于吉の首を刎ねてしまいました。

 

 

ファン獲得に必死な孫策

孫策 頬

 

于吉を処刑した孫策は、于吉ファンを減らすために死体を市中に晒します。これで、孫策人気の復活を狙ったのかは、定かではありません。しかし、そんな孫策の期待とは裏腹に、于吉の死体が一晩で消えてしまいます。

 

于吉、孫策

 

これを知った孫策は、見張り番を問いただします。これには見張り番も困惑していると、なんとそこには首を刎ねられたはずの于吉が、孫策の前にだけ現れたのです。

 

さすがの小覇王・孫策もメンタルが崩壊

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

しかも、事あるごとに于吉が孫策の前に姿を現すので、さすがの孫策も参ってしまいます。孫策は、みるみるやつれ、母親にも心配されるほどです。自分の病状を確認するため鏡を覗き込んだ孫策は、突如鏡を叩き割りその場に倒れてしまいます。なんと、鏡には于吉が映っていたのです。

 

孫策は、以前の戦いで深傷を負っていましたが、あまりの怒りにこの傷が開いて命を落とします。最後まで于吉のファンにはならなかった孫策には、于吉のサービスは精神的に負担だったようです。

 

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本当に実在した于吉

三国志演義_書類

 

于吉が、奇跡を起こしたのは三国志演義でのエピソードです。しかし、裴松之(はいしょうし)によって記された正史三国志の注釈に、孫策が于吉を処刑したことが記されています。

 

正史三国志は三国志演義とは異なり、史実に基づいた文献です。ここに于吉の名が記されたことは、于吉が実在していたことに他なりません。

 

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三国志ライター黒太子の独り言

張角逝く 張角 死

 

于吉は道教の道士として数々の奇跡を起こします。実は、黄巾の乱の張角(ちょうかく)も道教の一派で、妖術を使うことができます。現代では科学技術の進歩で解明されていることでも、三国志の時代では奇跡として扱われることも多くありました。その影響力は、民を率いて一国を滅ぼすほどの勢いを持っていました。ここから孫策が躍起になって于吉を処刑しようとした理由がわかります。

 

孔明 東南の風

 

ちなみに、諸葛亮はこの心理を利用して、赤壁の戦いで逆風を吹かし、諸葛亮が周瑜に妖術が使えると信じ込ませます。また、宗教の力は世界各地で大きな影響力を持ち、日本でも織田信長は一向宗による宗教の一揆に苦しめられます。宗教は昔から政治を脅かす存在でした。

 

 

呂蒙 孫権

 

また、三国志で呪いに苦しんだのは孫策だけでなく、呂蒙は関羽に呪い殺され、関羽の呪いを恐れた孫権は関羽の首を曹操に送り付けます。

 

 

曹操頭痛

 

曹操は関羽の呪いを恐れて衰弱して病死しました。三国志での于吉はパッとしませんが、宗教の力で呉を混乱に陥れた恐るべき人物です。結果として、孫策を殺し孫権がそのあとを継ぐことになりました。もし、于吉がいなければ孫策も小覇王では終わらなかったですし、袁紹に加勢して曹操を打倒していたかもしれません。また、于吉が処刑されていなければ、第二の黄巾の乱もあったかもしれません。

 

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黒太子

自己紹介: こんにちは、黒太子です。歴史については、日本から世界まで幅広く興味を持っています。 HNの黒太子は、ジャンヌダルクが活躍した百年戦争のエドワード黒太子からです。三国志は、歴史に興味を持つキッカケになった作品です。 噛めば噛むほど味が出るところ、知れば知るほど新しいことに出会うところに、特に魅力を感じています。

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