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なぜか気になる夢占い!曹操も劉備も初夢を占った?古代中国の夢占いと衰退した理由

2016年1月5日


 

正月

 

はじめての三国志」読者の皆様、あけましておめでとうございます。

本年も、「はじめての三国志」を宜しくお願い致します。

表情 董卓05

ところで、皆様は初夢をご覧になりましたでしょうか?

古代中国にも、夢で見た内容を分析し吉兆を占う『夢占い』がありました。

 

しかし、中国の夢占いは漢の時代以降、衰退してしまいました。

果たして、何が原因で夢占いは衰退してしまったのでしょうか?

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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古代中国で、夢占いはさかんだった

曹操頭痛

 

現代の私たちにとって、夢診断というとフロイトやユングの心理学を

ベースとしたものというイメージが強いでしょう。

 

中国の夢占いはそれよりはるか以前、

春秋戦国時代にはすでにさかんに行われていたようです。

 

諸子百家のひとつである儒家が経典とする書物(経書)のひとつ、

『周礼』(しゅうらい)に合計360もの官職(六卿・りくけい)

について述べている部分があります。

 

この官職のひとつとして夢占いを司る『占夢の官』についての記述があります。

 

 

そもそも周礼とは何?

 

『周礼』は紀元前1000年頃にあった

王朝、周の政治家である周公旦(しゅうこうたん)が記した書物とされていますが、

実際には戦国時代に成立したものと考えられています。

 

逆に言えば、戦国時代の頃には、

王朝の官職として夢占いを職務とするものがあったことにもなりますね。

 

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史書にも多くの夢に関する記録

表情 董卓01

 

『周礼』以外の経書にも、夢占いに関する記録を見出すことができます。

 

また、史書である『漢書』にも「黄帝長柳占夢」や「甘徳長柳占夢」

という夢占いに関する記述がある他、『史記』を始めとする数多くの史書に、

夢に関する記録や記述が数多く残されています。

 

 

魏延が見た不吉な夢

孔明過労死

 

三国志演義では、諸葛亮が死んだその日、

蜀の将軍であった魏延(ぎえん)が頭にツノが映える夢を見たという話があります。

 

その話を聞かされた費禕(ひい)

「角という字は刀を用いると書く。頭に角が生えるとは、首を切り落とされる暗示だ」と語ったとされています。

 

このくだりは、正史にあった記述を脚色し、

本来諸葛亮とは関係のなかった逸話を彼の死に絡めて描いたものです。

 

 

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中国の夢占いの方法とは?

 

 

 

古代中国の夢占い=夢の解釈の仕方には、

大きく分けて3つの方法があったようです。

 

 

 

(1)  直解

 

 

呼んで字のごとく、夢の中で見た出来事がそのまま現実に起こるとする見方です。

 

殷王朝の第22代王であった武丁はある夜、説(えつ)という名の聖人

と出会う夢を見て、その人物を臣下の者に探させました。

 

すると、道路工事に従事する労働者に同じ名を持つ者が見つかり、

会ってみると夢で見た聖人と同じ顔をしていました。

 

説と話をした武丁は、彼が本当の聖人であることを知り、

彼に傅(ふ)という苗字を与えました。

 

武丁は傅説(ふえつ)の補佐を得て、衰えていた王朝を復興したということです。

 

 

(2)  転釈

 

 

直解は最も素朴な夢占いの方法として最も早い時代から行われていました。

 

しかし当然ながら、その方法ではほとんどの夢が解釈できません。

夢というものは脈絡がなかったり、前後の繋がりがおかしかったりするからです。

 

そこで考えだされたのが「転釈」と呼ばれる方法です。

 

「転釈」は見た夢をまず決まった形式に転換し、その上で解釈して

そこから予兆を読み取ろうと言う方法です。

 

このことによって夢の解釈が自由になり、

夢占いをする者の活躍の場を増やしました。

 

 

(3)  反説

 

 

転釈は夢を診断する自由度を高め、夢占いの幅を広げましたが、

明らかに事実に反する夢を見た場合、それを解釈するには限界がありました。

 

そこで考えだされた手法が「反説」です。

 

反説とは字を見ても分かる通り、

夢を反対に、あるいは逆転させて解釈するという方法です。

 

これによって、一見悪い兆候であるように見える夢からでも、

吉兆を読み取ることができる、というわけです。

 

こう書いてしまうとなんだか「なんでもあり」って感じですよね。

 

しかし、日本でも「正夢」と「逆夢」なんていう言葉がありますし、

夢占い(夢診断)というものは元来そういうモノなのかもしれません。

 

 

夢占いは漢の時代以降、衰退

王騎 キングダム

 

春秋戦国時代には専門の官職が置かれるほどさかんに行われていた

夢占いですが、漢の時代以降は衰退してしまいます。

 

後漢時代の思想家である王充(おうじゅう)は、その著作である

『論衡』の中で、夢占いを俗信として大いに批判。

 

また、同じく後漢時代の思想家である王符(おうふ)も、

その著書『潜夫論』において夢占いの方法を10種類に分類し、

そのいずれもが夢を曲解させる原因として批判しました。

 

夢占いを批判的に見る風潮が広まる中、

夢占いを専門とする官職は廃止、あるいは地位降格されるに至り、

やがて夢占いそのものが衰退していったと考えられています。

 

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なぜ夢占いは衰退したの?

 

 

古代中国の夢占いが衰退した背景には大きく2つの要素があったと考えられます。

ひとつは、諸子百家のひとつである道家(老荘思想)の影響です。

 

道家の思想において有名な「胡蝶の夢」という話があります。

 

蝶になる夢を見た男が、自分は人間になった夢を見ている

蝶なのではないか、と疑うというのがというものです。

 

この「胡蝶の夢」に見られるように、老荘思想では夢というものを曖昧で、

解釈のしようによっていかようにも解釈できるとされています。

 

 

そうした老荘思想の考え方が広まると共に、夢というものの信ぴょう性

そのものを疑う人が増えていったと考えられます。

 

もうひとつは、『易』の存在です。易を体系化した古典的経典である

『易経』は、儒家の思想の基本とされる『五経』のひとつとされます。

 

儒家思想の広まりと共に、易が中国における占いの中心的存在となっていきました。

この易に押される形で、夢占いは衰退していったものであると考えられます。

 

 

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三国志ライター 石川克世の独り言

石川克世

 

漢代以降衰退してしまった中国の夢占いですが、

夢そのものに関する記録や記述は、その後の時代の史書にも数多見出すことができます。

占いの元としては使われなくなっても、やはり夢は気になるものだったのでしょうね。

それでは、次回もお付き合いください。

再見!!

 

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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