台頭初期から曹操を支えた荀彧には数々の逸話があります。その中でも天下分け目の一戦となった官渡の戦いでは開戦から勝敗を分ける大きな決断まで荀彧が関係しており、この戦いで勝利を収めたことにより曹操は天下統一に大きく近づくことになります。
まさに曹操にとっての「わが子房」であった戦いです。
※子房とは前漢の初代皇帝である劉邦の軍師である張良の字であり張良がいなければ劉邦は天下を取れなかったといわれるほどの人物今回は王佐の才が存分に発揮された官渡の戦いでの荀彧の逸話を紹介致します。
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この記事の目次
苦戦必須!当時天下取りに最も近かった男との大戦
曹操は数々の戦にて呂布・袁術・李傕らを下して199年には兗州・豫州・司隸・徐州を統一しさらに荀彧の助言もあり
長安で起きた内戦から洛陽へ逃げ延びていた献帝を手中に収めたことで自身も三公である司空となっていました。
一方の袁紹も199年には公孫瓚を討ち冀州・青州・并州・幽州の四州を支配しており中原において二大勢力となった両者は天下統一に向けて大戦を行うことは必須な状況となっていました。
しかし曹操は連戦続きであり兵士の士気も低下し、兵糧も少ない状態でした。一方の袁紹は富国強兵に努めており兵糧十分、兵士の士気も高まっていました。そんな不利な状態でも曹操は戦を挑み見事勝利。戦乱の世において第一勢力となります。
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勇気の決断!開戦を決意させた荀彧の助言
そんな不利な状態で曹操は荀彧に袁紹との戦について尋ねると荀彧は度(度量)・謀(計略)・武(武力)・徳(徳義)で袁紹に勝っているとし、
さらに郭嘉もそこに追い打ちをかけるように10の要素を付け足し、曹操を鼓舞しました。
また袁紹の軍についても荀彧は袁紹の軍を兵士は数は多いが、軍法が行き届いておらず武将の顔良と文醜は武力のみであり将としての度量はなく田豊は上に逆らい、
許攸は貪欲で傲慢、審配は独断的で計画性がなく、逢紀は自己中心的な性格であると評価し曹操を勇気付けます。そういった助言もあり曹操は開戦を決意します。
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弱気になった曹操を支えた一通の手紙
官渡の戦いにおいて曹操軍は序盤優位こそ櫓の上から放たれる飛距離の長い弓に苦しみますが投石車を導入し戦況を徐々に押し返します。
戦いは膠着状態とりますが兵糧・戦力において不利である曹操はこのままでは不利になると感じ許都にいる荀彧に撤退をすべきか否か相談します。
荀彧からの返事は「この戦いは天下分け目の一戦でありあなたは献帝の命により戦を行っている。袁紹の軍は一見強大に見えますが兵士の質でいえばわが軍に優位があり袁紹のあなたの比べても負けているところをありません。そのため官渡から撤退する必要はありません」といった内容でありこの手紙にて決意を新たにした曹操は官渡にとどまり戦を続けます。
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