なぜ関羽は祀られるようになったの?初期の関羽信仰から神様になった経緯

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初期の関羽信仰(1P目)




帝位が贈られる

神様になった関羽(関帝廟ver1)

 

関羽に帝位が贈られ有名な「関聖帝君(かんせいていくん)」となるのは明の万暦帝(ばんれきてい)の時代です。1578年に「協天護国忠義関聖大帝(きょうてんごこくちゅうぎかんせいたいてい)」、続いて1613年に「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君(さんがいふくまたいていしんいえんしんてんそんかんせいていくん)」が贈られています。

 

関聖帝君は後者の略称です。

 

三国志平話

 

また、最初の贈られた諡号では「忠義」の文字が入っていますが、これは(げん)から(みん)にかけて三国志平話(さんごくしへいわ)や三国志演義などの書物が民間に広まり、忠義の人としての認識が広まったためと思われます。

 

「三界伏魔大帝」については江南における道教信仰が元になっていて、仏教における三界(さんがい)(欲界、色界、無色界)の悪魔を退治する神様といった意味合いです。この神号を得たことで関羽は道教において正式に神様として認められました。

 

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清代に関羽信仰が拡大

辮髪(べんぱつ)

 

明代で関羽信仰は完成したと言われていますが、清代では半ば強引に信仰が広められています。清では関帝の助けによって中華統一を果たしたと考えられていたため、国を挙げて守護神として奉じました。関帝廟のない村がなくなるほど全国的に信仰を広めた結果、中国で随一と言えるほど有名な神様になったのです。

 

また、清になってからも諡号(しごう)の追贈も続き、6代目乾隆帝(けんりゅうてい)の代で「山西関夫子(さんせいかんふうし)」が贈られるといよいよ儒教(じゅきょう)の始祖・孔子(こうし)と同格として扱われます。

 

モブ朝まで三国志

 

そこから孔子廟(こうしびょう)(文廟)と関帝廟(武廟)は文武廟として同じ場所に建立されるようになりますが、1966年から始まった文化大革命(ぶんかだいかくめい)の中で儒教は弾圧を受け、文廟の大半は取り壊されました。残った関帝廟では儒教の名残で学問の神様として祀られています。

 

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三国志ライターTKの独り言

TK(ライター)

 

筆者は関羽ファンを自称しながらも関帝廟に行っただけでテンションを上げ、それ以外の信仰や背景については全く無頓着でした。次に関帝廟を参拝する時はもうちょっと細部を見て歴史の重みに浸ろうと思います。

 

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