偉人の末裔は国や時代を問わず注目されるものです。特に人気のある人物であればあるほど、末裔の生涯が気になります。
そんな中で三国志の人気キャラである関羽の子孫は皆殺しにされたという記述があります。そこで今回は関羽の子孫やその末裔がどうなったのかを見ていきましょう。
関羽の息子たち
関羽の子どもは正史では関平、関興の2人です。三国志演義では関索という三男がいますが架空の人物とされています。
関平は演義において養子という設定で、それなりに見せ場があります。しかし、正史では樊城を攻めた際に従軍し、関羽と一緒に捕らえられ処刑された記述しかありません。また、これが初陣だったとも言われている悲運の人物。
関平は演義での活躍ぶりからか演義に登場する周倉とともに3人セットで関帝廟に祀られるようになりました。
次男の関興は演義において張飛の息子・張苞と義兄弟の契りを結ぶと2人揃って父の仇を討ち、青龍偃月刀と蛇矛を取り返します。
その後も北伐において活躍する姿が描かれていますが、正史にはほぼ記述がありません。ただ、馬良の死後、弱冠20歳にして侍中と中監軍に任じられています。侍中は皇帝の質問に答えたり、上奏される書類の取次をする役割です。
曹操配下では荀彧や司馬懿がこの役職についていることから、関興が若くして期待されていたことがわかります。しかし、残念ながらその数年後には若くして逝去。長命であったなら蜀の中心人物になっていたでしょう。
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関羽の孫
関羽の孫にあたるのは関興の息子である関統、関彝の2人ですが、いずれも正史、演義ともにほとんど記述がないためどんな人物だったかはわかりません。
関興が若くして亡くなったことで関統が後を継ぎますが、関統は子どもがいない状態で逝去してしまいます。このままでは関羽の血筋が途絶えると危惧した劉禅が弟の関彝を後継し、さらに自身の娘を嫁がせています。
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関羽の娘
関羽には孫権が自身の息子と結婚させようとした娘がいます。実名は不明で演義においても孫権との縁談で話題に上る程度です。
しかし、民間伝承においては趙雲に武術を習い南中征伐(雲南)へ向かうなどストーリーが創作されている人物です。
関銀屏や関三小姐(関羽の三番目の姉御という意味)というあだ名で親しまれ、物語の中心舞台となる雲南では実際にお墓も建てられています。
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