数多くの人物が登場する三国志ですが、中にはその生き様や死に様が似通った人物も珍しくありません。
例えば郭嘉と法正は生きていたら夷陵や赤壁の戦いの敗北を防げたと言われる人物で、どちらも若くして亡くなっています。
このように共通点のある人物同士を紹介していこうと思うのですが、今回ピックアップしたのは孫策と関羽。
孫策は孫堅の死後に江東で独立し、呉の礎を築いた人物。
関羽は劉備の配下で文武に優れ、三国鼎立の要となる荊州の統治を任された人物です。残念ながらこの二人が直接関わることはありませんでしたが、その生涯には似た点がいくつもあるので紹介をしていきます。
この記事の目次
共通点1:必要であれば人に屈する
関羽は曹操が徐州に進行してきた際、劉備が早々に逃亡をすると関羽は曹操に降伏するという道を選択しました。
孫策もまた父の孫堅を亡くし、部下たちを養うことができなくなると袁術を頼って下働きをします。
ただ、いずれも一時的なもので、関羽は劉備の行方が分かると曹操の元を離れていますし、孫策は拠点となる地を確保するとすぐに独立をしています。必要であれば屈辱に耐えるという精神力と現状に甘えず志を全うしようという強い意思を持っていた点が共通していると言えるでしょう。
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共通点2:寡兵からスタートしている
劉備は小さな勢力に過ぎなかったので、関羽が最初に従えていたのも小規模な部隊。そのため、直接的な戦闘よりも後方の撹乱や周囲を扇動して撹乱するといったゲリラ的な戦いを得意としていました。
孫策も最初に袁術から借り受けた兵はわずか千人。そこから周瑜らの働きもあって5千人ほどまで兵力が増えていますが、少ない兵力で劉繇を何度も破っています。
ただ、孫策の場合は父の代からの叩き上げの将兵が多く含まれていたことや江東へ進出していくなかで兵力が急増しているので、関羽とは境遇が違いますがスタート地点は似た状況でした。
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共通点3:性格が災いして死んでいる
まず関羽の人物評として陳寿は「1人で万の兵に匹敵する」としながらも「強情で自信を持ち過ぎるために破滅を招いた」と言っています。
関羽は自身の強さを鼻にかけ、曹操軍や同盟相手である孫権、自軍の古参の将である士仁や糜芳といった部下を軽んじた結果、樊城での敗走と戦死という結果を招きました。
孫策の場合は、陳寿から「勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がいないが、軽はずみで思慮が足りぬために身を滅ぼした」、郭嘉からは「江東を併呑する上で英雄豪傑の類を殺しているので、いずれ刺客の手にかかって死ぬだろう」と言われ、実際そのとおりになっています。
両者は一度人に屈するという辛酸を舐めたせいか、一定の地位や名声を得たことで驕りや慢心が生まれたように思います。そして、生じたスキを突かれてこの世を去りました。どちらももう少し長く生きていたら時代が大きく変わったかもしれないほど、歴史に大きな影響を与えた人物であったことも共通点です。
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