三国志系のゲームでは、知力・武力ともにバランスがよい名将の楽進(がくしん)。
しかし、三国志演義での扱いは、弓の名手とされているだけで、同僚の張遼(ちょうりょう)や、徐晃(じょこう)のような名将軍の扱いは受けていません。ところが、正史の樂進(がくしん)は、演義とは大違いの叩き上げの勇猛な男でした。
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小柄な楽進は曹操から武将扱いではなく記録係りに
元々、楽進は、小柄な人物でした、曹操が反董卓連合軍を起して、兵を募ると、楽進も応じてやってきますが、小柄な楽進を見た曹操(そうそう)は、「これでは、とても武将としてはやっていけまい」と記録係の文官にします。楽進は控えめな性格なのか、それでも文句を言わず、黙々と記録係の仕事に甘んじていました。
楽進が武将として扱われるきっかけ
ところが、ある時に兵を補充しようと楽進を故郷に派遣すると、楽進は一人で、1000名もの兵力を集めて戻りました。これで曹操は楽進の人望と統率力を知り、武将として扱い軍の仮司馬・陥陣都尉に任命しています。ここから、楽進の快進撃が始まります。
楽進の快進撃
濮陽(ぼくよう)での呂布(りょふ)戦、雍丘(ようきゅう)での張超(ちょうちょう)戦、苦(く)での橋蕤(きょうずい)戦では、何れも一番乗りとしての戦功を立て、広昌亭侯に封ぜられました。
※橋蕤は袁術配下のザコ大将軍(袁術のトホホな部下参照)
呂布戦では流石の曹操も大苦戦
特に濮陽の呂布戦は、曹操も大やけどを負うような大苦戦で、呂布の天下無敵な騎馬隊相手ですから、楽進の勇気が窺えます。
官渡の戦いでも楽進は大活躍
曹操と袁紹(えんしょう)の事実上の天下分け目の官渡の戦いでは、その序盤で于禁(うきん)と共に五千騎で出陣して獲嘉(かくか)にある袁紹側の陣営を攻撃、さらに官渡の本戦でも、烏巣(うそう)の食糧庫を守る淳于瓊(じゅんうけい)を斬り、烏巣に火を放って食糧を焼いて、曹操軍の大勝利に貢献します。三国志演義では、無能な淳于瓊も、正史では決死の覚悟で烏巣を守り一時は攻撃側の曹操も危うくなる所でしたが、楽進は奮戦しています。
袁一族を根絶やしにする楽進
袁紹の死後は、その息子の袁譚(えんたん)、袁尚(えんしょう)を引き続き討伐して、戦功を重ねます。
烏丸討伐戦にも参戦する楽進
異民族である烏丸討伐戦にも、楽進の姿があり、隙を見て途中で曹操に謀反を起した、高幹(こうかん)も撃破しています。こうして、見ると猪武者のように見える楽進ですが、守将としての腕前も一級の人物でした。
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ディフェンディングチャンピオン楽進
西暦208年に曹操が赤壁で敗れると、楽進は襄陽(じょうよう)に踏みとどまり、勢いに乗る劉備軍の関羽(かんう)や蘇非(そひ)を撃退しています。
異民族を抑制した楽進
これはとても重要な勝利で、これにより周辺の異民族は曹操に反抗する事を諦めて、大人しくなったと言われています。もし、楽進が敗れて襄陽が落ちれば、異民族は勢いづき、劉備に呼応して、許都まで攻めのぼったかも知れません。楽進は、ナイスストッパーになって曹操を守ったのです。
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合肥の戦いで孫権の大軍を迎え討つ
その後、楽進は、西暦215年、合肥の戦いで孫権の大軍を迎え撃った時、7000名で10万の孫権軍と戦う羽目になりました。
張遼と李典と楽進は仲が悪かった
この頃に、合肥にいた、張遼(ちょうりょう)と李典(りてん)と楽進は過去の経緯で仲が悪かったのですが、張遼の「今は私怨を捨てて、公に生きるべきだ」という言葉で団結します。張遼と李典は決死隊を率いて、城外に出ると楽進は奮戦して合肥城を守り、孫権軍の猛攻を防ぎ切りました。
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張遼ばかり目立つが楽進が負けていれば張遼も危機だった
この戦いでは、張遼がクローズアップされますが、楽進が負けていれば、城が落ちて、張遼も李典も万事休すだったのですから、守将としての楽進は、もっと評価されてもいいと思います。
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楽進の最期
楽進は、西暦218年に曹操に先んじて死にますが、右将軍にまで昇進子供に500戸を分割して、列候に立てる事ができました。歴史家陳寿は、曹操在世時に最も功績があった将軍の1人として、張遼・于禁・徐晃・張郃とともに同じ巻に伝をおいていて、楽進を驍勇果断と評しています。
演義での楽進は凌統と甘寧と戦うが....
演義では、凌統(りょうとう)と一騎打ちを演じて、途中、甘寧(かんねい)の矢を顔に受けてしまい以後出てこないので、「もしかして死んだ?」というフラグを立てられがちな楽進ですが、紛れもない魏の建国の功臣なのです。今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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