今回紹介するのは三国志の英雄曹操(そうそう)の
先祖・曹参(そうしん)をご紹介していきたいと思います。
彼は高祖・劉邦の挙兵時代から付き従い、戦の進退において優れた能力を発揮します。
また両国を経営する統治能力にも非常に優れていた人物であったとされています。
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この記事の目次
劉邦に従って挙兵
曹参は沛県の役人で、上司には簫何(しょうか)がおり共に優れた役人であったそうです。
また簫何と物の見方は違いますが、互いの事を認める親友であったそうです。
劉邦(りゅうほう)が挙兵した際、曹参は簫何と共に劉邦軍に加わります。
劉邦は曹参を侍従として向かい入れて家臣とします。
曹参はその後、軍を率いる隊長に任命され、劉邦と共に各地を転戦していきます。
各地の戦いで勲功を挙げ続け、咸陽攻略戦でも活躍します。
その後漢王となった劉邦から将軍に任命され、楚軍と戦います。
彼は楚軍との戦いでも実績を残し、仮左丞相に任命されます。
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劉邦の元を離れ、韓信と協力して各地で戦
これ以降は、劉邦の元から離れ、韓信(かんしん)と協力して戦っていきます。
魏・趙・斉などの各地の国々を平定する戦いで抜群の勲功を挙げます。
斉王・韓信が劉邦を助けるべく援軍に向かうと、曹参は斉の反乱を鎮圧するため、
斉に留まり民心を安定させることに尽力します。
曹参は天下平定の戦を戦い抜き数々の功績を残し、
漢王朝の礎を築いたとして、劉邦から平陽侯に任命されるのです。
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斉の丞相として、劉邦の息子を補佐する
劉邦は天下を統一した後、息子・劉肥(りゅうひ)を斉王に任命します。
また曹参を宰相に任命し、息子を補佐するようにと伝えます。
斉の国は70城も城がある大国であり、この地を治めるのは至難でありました。
しかし曹参は民の言葉をしっかりと反映させ、
有能な人材を次々に登用する事によって治めるのが難しいとされていた
斉の国を見事に治める事に成功します。
曹参は9年間斉王・劉肥を支え続け、民衆からは賢相として称えられたそうです。
斉の宰相から天下の酔っ払い宰相へ
漢の丞相・簫何(しょうか)が死去します。
曹参は簫何が亡くなったことを伝え聞くとすぐさま引っ越しの準備をします。
奥さんは引っ越しの準備をしている曹参を見て「あなた、なんで引っ越しの準備をしているの」
と問いただします。
すると曹参は「簫何は必ず俺を後任の丞相に任命する。
国家の丞相になるには、首都・長安に行かねばなるまい。そのための準備だ」と言います。
数日後、曹参の予想通り、丞相に任命する通達が彼の元へ来ます。
曹参はこの通達を受け取り、すぐさま首都・長安へ向かいます。
曹参は長安に着き、丞相の位を拝命します。
丞相になると、一切政治に関心を持たず酒に明け暮れる
彼は丞相になると、一切政治に関心を持たず毎日酒ばかりを飲んで過ごしたそうです。
国の政治を取り仕切るトップが、このような事では国が亡びると思った人が、曹参を注意しに行きます。
注意しに来た人は、曹参からたらふく酒を飲まされて、酔っぱらってしまい注意できなかったそうです。
恵帝(漢の二代目皇帝)は、曹参が政治をおろそかにして
朝から夜までずっと酒を飲んでいる事を知り、彼の息子に注意に行くよう命じます。
曹参の息子は「父上、酒ばっかり飲んでないで仕事をしてください。」と厳しく注意します。
すると曹参は激怒し、息子をぶん殴ります。
曹参の息子は仕事をしない理由を聞けなかったと恵帝に報告します。
恵帝は曹参の息子に謝った後、曹参を呼び、
「なぜ仕事をしないで酒ばかり飲んでいるのだ。我を侮っているのか」と厳しく追及します。
すると曹参は冠を脱ぎ捨てて、恵帝に謝罪します。
曹参は謝罪した後、恵帝に「陛下自らが客観的に判断して、高祖とどちらが上ですか」と質問します。
すると恵帝は「高祖には及ぶ事はない」と答えます。
曹参は、目で頷くと次の質問を恵帝に投げかけます。
「陛下から見て、私と簫何どちらが優れているでしょうか」と質問します。
恵帝は「簫何の方が優れている」と答えたそうです。
曹参は頷き「よくご存じでございます。
高祖と簫何この二人が決めた法令を我らは変更せず守っていけば良いのです。」と進言します。
すると恵帝は頷き「わかった。しかし酒を朝から夜まで飲み続ける事はないであろう」
と笑って曹参を下がらせたそうです。
曹参はその後も高祖・劉邦と簫何が決めた法令を何一つ変更させずにしっかりと守らせていくことで、
漢帝国に平和と潤いを与えたそうです。
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三国志ライター黒田廉の独り言
曹参の軍事・政治能力に秀でた部分を最も色濃く曹操が受け継いだからこそ、
三国時代の覇者として活躍できたのかもしれませんね。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~♪
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