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諸葛誕の一族は蜀と呉の諸葛氏に負けず三国志の乱世を生き延びた勝ち組だった!

2022年6月28日


 

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諸葛誕

 

蜀の丞相と言えばこの人、三国志演義(さんごくしえんぎ)では最早仙人の類に足を踏み入れている諸葛亮(しょかつりょう)!呉の国でめちゃくちゃ重要なポジションにいました、巷(筆者調べ)では知らない人はいません、諸葛瑾(しょかつきん)。さてさて魏にも諸葛一族はいます、魏の狗と例えられた諸葛誕(しょかつたん)

 

……と、三国志演義ではかなり出番が亡くなってしまったために他両名に比べるとちょっと知名度が足りない諸葛誕。ですがその一族は実は勝ち組だった? という訳で今回は諸葛一族のお話をしましょうか。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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温和で孫権を操縦できた呉の諸葛瑾

諸葛瑾

 

まずは諸葛瑾のお話を。諸葛瑾は孫権(そんけん)に良く仕え、呉の大将軍となりました。戦闘面では大勝せずとも大敗せず、やや臨機応変に欠けると言われていますが、何よりもあの呉の皇帝、孫権を良く説得できたただ一人の人と言えましょう。

 

諸葛瑾に無茶振りを言う孫権

 

人格者であるとも知られ、諸将のみならず虞翻(ぐほん)からも感謝をされたほど。呉の中核を担った人物の一人です。

 

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魏のマイナー武将列伝

 

 

 

性格が傲慢で一族を滅ぼした諸葛恪

諸葛恪

 

しかし、長男の諸葛恪(しょかつかく)には才覚は受け継がれど人格は受け継がれず。次男の諸葛喬(しょかつきょう)には人格は受け継がれても寿命が足りず。

 

諸葛融

 

三男の諸葛融(しょかつゆう)はどうしてこうなったのか遊んでばかりの人物となり、諸葛恪がやらかしてしまったために呉の諸葛一族は皆殺しとなりました。後に蜀に逃れていた諸葛喬の子が一族の復権をしたとも言いますが、その後は分かっていません。

 

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蜀のマイナー武将列伝

 

 

演義でも正史でも有能な蜀の諸葛亮

株式会社三国志で働く劉備と孔明

 

劉備(りゅうび)三顧(さんこ)の礼で迎え入れられ、そしてその礼に忠義で以て応えた諸葛亮。三国志演義でこそ超常的な存在にされていますが、正史三国志においてもその優秀非凡さは他の追随を許さず。特に北伐を何度も繰り返しながらも国は破綻していないという政治的手腕には驚くばかり。

 

北伐する孔明

 

最期こそ五丈原(ごじょうげん)で志半ばとはなったものの、その生涯と才能は正に忠に捧げ尽くしたものと言って良いでしょう。

 

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漢のマイナー武将列伝

 

 

魏の鄧艾に太刀打ちできない平凡な諸葛亮の子孫たち

鄧艾に敗北し戦死する諸葛瞻

 

しかしその子らの代には、既に蜀はもう支え切れるものではなくなっていました。魏は強大すぎ、疲弊しきった蜀では対処はできませんでした。諸葛亮の息子、諸葛瞻(しょかつせん)、その子、諸葛尚(しょかつしょう)二人は国に殉じました。

 

生き残った孫たちは河東に移され、西晋に仕えました。現代までその血筋は残っていると言われています。

 

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蜀漢の滅亡

 

 

曹叡に嫌われ司馬氏の台頭で滅びる魏の諸葛誕

諸葛誕を攻める司馬昭

 

諸葛誕も諸葛瑾、諸葛亮と同じく名声を得ていたようですが、彼の不運は時の皇帝、曹叡(そうえい)に疎まれたこと。曹叡が亡くなってやっと重用されたと思えば、司馬(しば)一族の専横が始まったことです。夏侯玄(かこうげん)らが殺されたことから疑心暗鬼になり、最終的には追い込まれて反乱を起こし、処刑されました。

 

諸葛誕と仲違いを起こし殺害される文欽

 

そしてその一族は皆殺しとなったので、諸葛誕だけを見るとかなり悲惨な末路と思えますが……実は彼の血筋、かなりの所で生きていたのです。

 

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夏侯惇

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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