キングダムの李牧(りぼく)は情報操作によって王騎を策にはめて見事討ち取り、
函谷関の戦いでは咸陽奇襲軍を編成。
咸陽に向かう途中に迎撃してきた麃公を討ち取るなど華々しい
活躍をしている彼ですが、史実では一体どのような人物であったのでしょうか。
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この記事の目次
趙国最後の守護神李牧:鉄壁の名将はここから始まる
李牧は中央の戦乱で活躍する将軍ではなく匈奴から
趙の国境である雁門(がんもん)を守る国境守備隊の長官でした。
彼は国境を守るため様々な匈奴対策を行います。
まず匈奴の軍勢が来たことをいち早く知らせるため多数の狼煙台を設置。
また匈奴軍が本格的に趙の国境である雁門(がんもん)に侵攻してきた際は
城から打って出る事はせず、籠城する事で被害を最小限にくいとどめる方針でした。
李牧の采配により国境近辺は匈奴に侵攻される事無く
大損害を出すことはありませんでした。
趙国最後の守護神李牧:バカな王の命令はシカトに限る
李牧は積極的に出撃しない事で大規模な損害を出さないでいましたが、
兵士達は不満に思っておりました。
趙王は消極的な出方をしていた李牧を始めは許しておりましたが、
だんだんと積極策に出ない李牧に腹が立ちついに
「李牧。次匈奴が攻めてきら城から打って出ろ。でないとお前はクビだ。」と李牧を脅します。
李牧は趙王の命令を受け取りますが、シカト。
匈奴軍が襲来してきた時は今まで通り籠城して、敵軍を迎撃します。
趙王は自らの命令を無視した李牧に腹を立て、国境守備隊長官の職を解任します。
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趙国最後の守護神李牧:趙王に条件を突きつける
李牧はクビになった後、ニート生活を開始。
家で昼間まで寝て、その後は書物を読み、悠々自適な生活を始めます。
李牧が悠々自適な生活を過ごしている頃、
国境ではとんでもない事が起きておりました。
李牧の後任者が匈奴軍に挑んで大敗北。
国境は匈奴軍に侵され、めちゃくちゃになっておりました。
趙王はこうした事態に驚き、再び李牧を国境守備隊の長官に起用しようとします。
しかし李牧は家に鍵をかけ、居留守を使い、
あげくの果てに「俺。病気だから」と言って趙王の使者を拒否します。
趙王は強制的に李牧を将軍にし、宮殿へ呼びます。
李牧は致し方無く宮殿へ行き趙王と会見。
趙王に会うと李牧は「私を強制的に将軍に任命したからには、
一つ条件を飲んでもらいます。」と趙王に条件を突きつけます。
趙王は「なんだ」と李牧に問いただします。
李牧は「私を将軍に起用するからには、従来のやり方でやらせてもらいます。
よろしいですな」と強い口調で言い放ちます。
趙王は彼の言葉に頷き「そなたに任せた。後は頼むぞ」と伝えます。
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趙国最後の守護神李牧:匈奴撃滅作戦その1
李牧は国境守備隊の長官として、再び雁門(がんもん)へ着任します。
今回李牧はある秘策を用意しておりました。
その前に彼は早速、狼煙台を整備。さらに城壁を修理して
匈奴軍の襲来を待ちます。
匈奴襲来を待つこと数十日。待ちに待った匈奴軍が襲来します。
李牧は兵士数千に加え、輜重と家畜大量に率いて城門から打って出ます。
匈奴軍は李牧の軍勢を見つけると勢いよく襲ってきます
李牧はわざと負け、輜重と家畜をすべて捨てて退却。
この敗北は匈奴軍の油断を誘う李牧の策でした。
匈奴は大量の輜重と家畜を手に入れ、すぐに帰還。
匈奴軍は帰還すると匈奴の単于(ぜんう)に報告します。
単于は報告を聞き「よし。次はわれみずから大軍を率いて行こうではないか。」と言います。
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趙国最後の守護神李牧:匈奴撃滅作戦その2
単于は数か月後、大軍を率いて雁門へ向け出陣します。
李牧は単于の大軍が来たことを知り、すぐに伏兵を設置。
自らは守備隊の大半を率いて、出陣します。
李牧は匈奴軍が猛攻をかけると軍を左右に分けて挟撃します。
匈奴軍は左右の挟撃に耐えられず、退却します。
しかし、退却途中の匈奴軍に李牧が設置した
伏兵が一斉に攻撃を仕掛けて来ます。
こうして匈奴軍は10万人以上の死者を出し、命からがら退却します。
匈奴軍は李牧を恐れ数十年間、攻撃を控えます。
彼はこの大勝利により、趙王から大将軍の位を下賜され、
中央の覇権争いに参加する事になります。
しかし匈奴を討伐し、大いに戦果を挙げた李牧ですが、
いきなり大将軍へ昇格するには突然すぎるような気がします。
その理由を次の項でお話しします。
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李牧が大将軍になれた理由
趙は李牧の活躍により、匈奴討伐には成功しますが、趙の国力は低下し弱っておりました。
さて李牧はなぜいきなり大将軍になれたのでしょう。
大将軍になれた原因が二つあります。
一つはキングダムでも紹介されましたが、長平の戦いで趙軍が破れた時、
秦の六大将軍白起(はくき)により、
趙の兵士は四十万人以上生き埋めにされました。
この時の傷を完全に回復させる事が
できる人材が趙に存在しないのが大きな原因です。
二つ目は内政・軍事両方に秀でた人材がいなくなってしまった事です。
趙の全盛期には優れた王である恵文王の元に趙の三大天として恐れられた
藺相如(りんそうじょ)や廉頗(れんぱ)、趙奢(ちょうしゃ)、恵文王の弟である平原君など
の有能な人材が数多く存在しておりました。
しかし李牧の時代には藺相如や趙奢、平原君はすでに亡くなり、
三大天最後の生き残りである廉頗は楽毅の弟楽乗と喧嘩し、
国外に逃れてしまいます。
李牧はこのような理由により、趙は衰亡を食い止める事の出来る人材として、
期待され趙の大将軍に上り詰める事が出来たのです。
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趙国最後の守護神李牧:鉄壁の守りを披露
秦は趙の領土を削り取るため、大軍を侵攻させます。
趙は秦の大軍が侵攻してきたことを知り、李牧を総大将に任命。
李牧は秦の大軍を迎撃するため、赤麗(せきれい)城へ赴きます。
秦は赤麗城を攻略するため猛攻を加えますが、李牧の巧みな迎撃の
前に城を陥落させることができませんでした。
そのため秦軍は方針を変え、宜安(ぎあん)城攻略に赴きます。
しかし李牧は秦軍よりも早く宜安に赴き、この城でも進軍を撃破。
秦の軍勢は再度方針転換し、番吾(ばんご)城へ赴きます。
秦の大軍は番吾城に猛攻をかけますが、この城も李牧の采配により、
陥落できずに秦軍はむなしく帰還する事になります。
この当時中華最強の秦軍を撃退したのは趙の李牧と楚の項燕の二人でした。
それほど各国は秦軍の攻撃の前になすすべがなかったと思われます。
秦軍を撃退した事で李牧の名は中華に轟き、
趙王は李牧を褒め称えます。
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