人間が不完全な存在である限り消滅する事はないであろう犯罪・・
そして犯罪がある以上そこには刑罰というものが存在します。
戦乱の時代の三国志の時代でも、当然、刑罰はあり、牢獄も存在していました。
今回はじさんでは、社会の暗部、三国時代の牢獄について調べてみました。
この記事の目次
三国志の時代の牢獄とは、どうなっていたのか?
三国志演義を見ていると、登場人物が政治闘争に敗れて牢獄に繋がれるシーンがあります。
見ていると、現代のように、鉄格子が嵌った牢獄が出てきますが、
これは、どうやら遥か後世の事で三国志の時代では無いようです。
では、三国志の時代の牢獄は、どんな姿をしていたのでしょうか?
三国志の時代の牢獄は、穴を掘って造る丸い牢獄だった
古代中国で、牢獄をあらわす言葉には圜土(えんど)というのがあります。
これは、丸いという事を意味しているそうです。
中国の神話によると殷(いん)の紂(ちゅう)王は、西岐(せいき)の
文王(ぶんおう)の威勢を恐れて、これを捕えて、羑里(ゆうり)という土地にあった
周囲300歩の小さな城に閉じ込めます。
そして、城内の庭を深く掘り抜いて監獄にし文王はそこに閉じ込められました。
そこは、地中なので窓と言えば天井しかない場所だったようです。
飽くまでも神話ですが、そのベースには当時の社会風景が反映されていると
考えられるので、まるで井戸を掘るように土を掘りそこに囚人を置いた
というのが当時の一般的な牢獄ではないか?と思われます。
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大金国志に見る中国の牢獄
もう一つ、時代はかなり下りますが、13世紀に編纂された大金国志には、
当時の牢獄についての記述が存在しています。
其獄掘地数丈 置囚人干其中 罪無軽重 悉笞背
※翻訳:牢獄は地下に数丈(一丈は3m)の穴を掘って造りその中に囚人を置く
罪の軽い重いに関係なく、ことごとく背を鞭で打つ
かなり時代は違いますが、神話の物語も地下に掘り上げた土の牢獄、
金の時代も土を掘った牢獄ですから、三国志の時代も一般的な牢獄は、
穴を掘り下げた土牢獄だったと考えられます。
もちろん、掘り下げ式の井戸のような牢獄なら、窓は天井の穴だけ
湿気も多かったでしょうし、空気は殆ど循環せず極めて住みづらい
苛酷な環境だったでしょうね。
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気になる当時の囚人服、赭衣
囚人服というと、古典的な青と白のストライプを連想しますが、
三国志の時代の囚人の衣服は赭衣(しい)といい赤褐色だったようです。
どうしてか?と言えば、やっぱり目立つからでしょうね。
中国ばかりでなく、日本も戦前までは受刑者は赤い衣服でした。
日本が中国の影響でそうしたかどうかまでは分かりません。
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三国時代の刑罰とは?
三国志の時代の刑罰は、死刑と労役刑に分かれていました。
死刑は腰斬と斬首刑、さらし首、そして磔(はりつけ)刑に分かれていて、
苦痛が大きい腰斬刑が特に重大な犯罪を犯した罪人に課せられました。
これは秦の時代から引き継がれた刑罰で、秦帝国の丞相、李斯(りし)は、
親子、共々、この腰斬刑で苦しみながら死んでいます。
死刑とまではいかなくても肉刑が存在し、鼻を削いだり足を切断したり
顔に黥を入れたり、または、宮刑という去勢刑もありました。
※一応、肉刑は前漢の文帝の時代に宮刑を除いては廃止されますが、
三国志を見ても、烏巣の戦いで敗戦して魏にみせしめに鼻を削がれた
淳于瓊(じゅんうけい)のようなケースもあるので名残はあったのでしょう。
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もう少し軽い罪だと労役刑
肉刑までもいかない場合には、労役刑といい、首枷をはめられたまま、
万里の長城建設などの重労働をさせられるケースがあります。
もう少し軽くなると、首枷無しで重労働、もっと微罪だと、
役所の雑務や、牢獄の仕事の手伝いなどをしたようです。
労役刑の場合には仕事が終わると牢獄に戻り刑期が終わるまで、
現場と牢獄を往復する事になります。
三国志ライター kawausoの独り言
絶対に入りたくない牢獄ですが、三国志を楽しむ上で知っておくと、
面白いかな?と思い、色々調べて執筆してみました。
しかし、井戸を掘る要領で造られる牢獄、ジメジメして光も入らず
換気も無さそうなので、実際には刑を終える前に死んでしまったり、
病気になる人も多かったようです。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—
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この記事を書いた人:kawauso
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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。