物語では、彼の義兄弟、関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)とともに
ライバル曹操(そうそう)との長年にわたる抗争が描かれています。
しかし、『三国志演義』は、彼らの死と共に幕を下ろすわけではなく、
後半戦へとまだまだ続いて行きます。
三国志演義の後半戦は孔明と司馬懿で物語が進む
その後半部分の主人公は、
蜀の軍師、諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)で、
ライバル役は魏の司馬懿仲達(しばい・ちゅうたつ)が務めます。
孔明はすでに物語には何度も登場していてなじみの深い人物ですが
司馬懿とは、はていったい、誰でしょうか。
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司馬懿ってどんな人?
河内郡温県出身で代々儒学を修める士大夫(したいふ)という知識人階級の家柄です。
多少は見劣りがするものの、
河内の司馬氏といえば、名家で有名でした。
179年生まれ、八人兄弟の次男で、
兄弟みんな字に「達」がつくので、まとめて「八達」と呼ばれていました。
魏への出仕は遅く、30歳のときです。
208年、当時、丞相位についた曹操から招へいされてやってきました。
220年に曹操が亡くなるまで、およそ10年間、
曹操の身近に侍り、進言や諫言をして、位人臣を極めて行きました。
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司馬懿、はじめて表に登場
曹操のそばでブレーンとして長く侍っていた司馬懿ですが、
『三国志演義』で具体的な戦略を提示したとして登場するのは、
219年のことです。
関羽が荊州北部に侵攻してきたとき、
樊城(はんじょう)では、于禁(うきん)がとらわれてしまい、
このままでは関羽にしてやられてしまう、という状況になりました。
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司馬懿は関羽を挟み撃ちをしようと呉に提案
このとき司馬懿は、
「呉の孫権と手を結び、関羽を挟み撃ちにする」という案を
進言します。
赤壁では、劉備・孫権の同盟軍にしてやられた曹操が、
今度は孫権と組んで劉備に対抗するというのは、
赤壁後に魏の配下となった司馬懿ならではの新しい考え方でした。
曹操も、孫権も、もちろん関羽も、
三国の関係がこんなことになるとは、
まったく予想できなかったにちがいありません。
司馬懿の戦略はピタリとはまり、
歴戦の猛者、関羽はついに、討ち取られてしまうのです。
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普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。