幼いころから勇気と武力が備わっており、蜀の五虎将軍の一人趙雲(ちょううん)に匹敵する強さだと敵から恐れられた勇将文鴦(ぶんおう)です。
その勇気と強さは成長するにつれて頭角を現します。
父文欽をはるかに凌ぎ有名になった文鴦は、現在では某ゲームなどに登場し、その名前は現在でも有名です。
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この記事の目次
魏軍に恐れられた勇将文鴦
父文欽(ぶんきん)と毌丘倹(かんきゅうけん)は司馬氏が魏を牛耳っていることに嫌気がさして反乱を起こします。
文鴦は父に従い反乱に加担し、戦陣に赴きます。敵陣に夜襲をかけるため、深夜に出陣し、父文欽と軍を二手に分けて敵陣に向かいます。
文鴦は魏軍総大将司馬師の陣に向かって大声で「総大将は何処だぁぁぁ‼」と呼ばわりながら猛攻をかけます。
魏軍はこの大声にたじろいでしまい、大混乱に陥り夜襲は成功したように思われますが、父文欽は戦場に到着しないまま、朝が近づいてくるのです。
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文欽の夜襲が失敗したと悟った文鴦は呉に亡命
文鴦は父が攻撃に参加しないことで夜襲が失敗に終わった事を悟り、退却します。途中で父を見つけた文鴦は父文欽に退却を促します。
文欽は急いで軍を反転させて退却を開始します。父の退却時間を稼ぐため、配下数十騎と共に文鴦は追撃軍と激闘を開始します。
文鴦が激闘を繰り広げている間、文欽は呉に亡命します。
文鴦も追撃軍を蹴散らした後、父を追いかけて呉へ向かいます。この文鴦の勇気ある行動は一見無謀に見えますが、長阪で阿斗を助けた時の趙雲にそっくりです。
この後、敵軍から趙子龍に匹敵する剛の者と恐れられたと一説には言われております。
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再び魏に仕える文鴦
寿春(じゅしゅん)で反乱を起こした諸葛誕は呉に救援要請を行います。
呉はこの要請を快く受け、父文欽に出陣命令がくだります。文鴦も父に従って戦地へ赴きます。
寿春城に立てこもった諸葛誕を救援するため呉軍と共に入城します。文鴦は度々魏軍を蹴散らし武略を示しますが、戦況は好転しませんでした。
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諸葛誕は文欽を斬ってしまう、その理由とは?
ある日反乱の首謀者諸葛誕と父文欽が今後の戦術について言い争いをしていました。
諸葛誕は文欽の言い方に頭にきて文欽を斬ってしまいます。
文鴦が知った時はすでに父文欽は亡くなっており、諸葛誕を討つべく兵に呼びかけたが、だれもついて来ませんでした。
文鴦は致し方無く、弟文虎(ぶんこ)と共に魏に降伏します。
魏に降伏した文鴦は司馬昭に抜擢される
魏に降伏した文鴦ですが魏軍の諸将は「文鴦を処刑しろ」と声高に叫びます。魏軍総大将司馬昭は諸将をなだめた後、文鴦を将軍に抜擢します。
これを聞いた諸将は激怒し「なぜ、あやつを将軍に任命したのですか」と司馬昭に詰め寄ります。
司馬昭は「文鴦を優遇すれば寿春の反乱軍も降伏しやすくなるだろう。また降伏しなくても城内の将軍や兵士は動揺するはずだ。」と諸将に説明します。
将軍になった文鴦は寿春城に投降を呼びかけると、司馬昭の予想通り城内は動揺し、救援に来た呉軍の将軍が投降します。
この事態を好機ととらえた司馬昭は一気に寿春城を攻略し、諸葛誕は斬られ反乱は収束します。
その後、文鴦は関内侯に任じられ、父文欽の亡骸を弔います。
天下にその名を轟かせた文鴦
魏が司馬氏に皇帝の位を譲り、晋の時代が到来します。
文鴦は涼州で反乱を起こしていた異民族討伐の命令を受け、諸軍を率いて出陣します。文鴦は異民族に自軍の陣を大きく広げて大軍のように見せかける事で異民族を威圧します。
異民族は晋軍が大軍であることに怯んだ所を見逃さず猛攻をかけます。
文鴦の激しい攻撃に耐えきれず異民族は崩れ方々に散ってしまう。その後文鴦の強さに恐れをなした異民族の軍勢は降伏を願い出て晋軍の大将は快く受諾した事で反乱は収まります。
文鴦は大した犠牲を自軍に出さず討伐を成功させた事で天下に文鴦の名が広まります。
この討伐時が文鴦の絶頂期でありました。
その後文鴦は、司馬家の讒言によって文鴦のみならず、家族や親戚など三族すべてが処刑される悲惨な最後を迎えるのです。
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三国志ライター黒田廉の独り言
蜀の関羽(かんう)や趙雲(ちょううん)、魏の楽進(がくしん)、張郃(ちょうこう)などの将軍たちと見劣りしないほどの強さを誇っていると私は思います。文鴦の最後がパッとしない終わり方でしたのでそれが残念でなりません。また文鴦が趙雲に比肩されるほどの強さをもって敵に恐れられていました。
これは三国志演義で記載されているのですが、 他の書物では張飛に比肩する強さと称されているそうです。
どちらにしてもとんでもない強さを持った人物であることは間違いないです。
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