袁術は死ぬときに部下に背かれ、周囲にほとんど兵がいない状態で「蜂蜜が食べたい……」と云って倒れたという話があります。
信じる信じない関係なく、笑える。という感想を持つ方がほとんどです。
でもどう考えても創作ですよ。
仮にも皇帝を専称したものが「蜂蜜食べたい」と云って死ぬわけないです。
もっと他にためになることを云ったはずなんです。
まあそれはさておき、今回は蜂蜜ではなく、蜜柑(みかん)の話です。
まずは儒教のお話です
この三国志の時代に三大宗教が史上初めて出そろいます。
一つは民間宗教の「道教」、そしてはるばる天竺(インド)から伝わった「仏教」、
そして長く中国を支えてきた孔子の教えにもとづく「儒教」のことです。
道教はこの時代に出現した最も新しい宗教でした。
仏教も、北方三国志の小説の通り、ようやく定着しようとしていた頃です。
最も盛んだったのが「儒教」なのです。
五徳
儒教には五徳(仁・義・礼・智・信)を磨くことによって五倫(親子、君臣、夫婦、長幼、朋友)の関係を維持するとあります。
あれ?仁義礼智忠信孝悌じゃなかったけ?
もちろん八徳もあります。南総里見八犬伝で有名になりましたからね。
五徳以外にも「他人にはこうしてあげるべき」という心得が三つあるのです。
それが「忠と孝と悌です」
忠とは、忠義を尽くすなんていいますから「主君に尽くすこと」です。武士ですね。
孝とは、親孝行といいますから「親に尽くすこと」です。
どちらも大切な心構えです。
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忠と孝ではどちらが優先順位が上なの?
では、ここに薬が一錠しかない状態で、主君と父親が同じ病にかかりどちらか一方しか救えないとしたらどちらを選びますか?
今でいうと、社長か父親か、どっちを選ぶ?という問いです。
当然、社長より親を選びますよね。あれ、違います?私は社長を選ぶという企業人もいるかもしれません。
実はこの問いは、文帝たる曹丕(そうひ)が太子の時代に宴会で戯れに問答したものです。
さて答えはどちらなのでしょうか。
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忠<孝を説く儒教
このときは最終的に邴原(へいげん)が「父である」と一喝して終了しています。
理由は忠は個人が主君に尽くすもの、孝は一族全体の繁栄を目指すもの、ということで、
目まぐるしく変わる王朝や主君よりも一族安泰が重要というわけです。
孝の心構えは重宝された時代でした。
二十四孝に袁術登場
実際に親孝行した具体的な行動を示した「二十四孝」。
いろいろな時代の人物が登場するこの話の中に袁術が登場します。
凄いことですねー。
陸績が六歳の頃にスーパーエリート袁術の家に挨拶に行ったときに、蜜柑を袁術は出してあげたそうです(優しいですね)。
それを陸積は三つも取って懐に入れたのです。そして帰りにお辞儀をするとき落とすというドジをしでかしました。
袁術は「なんだ陸家の息子は泥棒と一緒か」となじったそうです。
陸積は「帰って母親に食べさせたいのです」と返答し、
その親孝行ぶりに袁術は心を打たれたのです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
こんなところに袁術が登場してくるとは意外ですね。
八徳の孝に対する袁術の理解を示した話でもあります。
袁術は忠の無い部下ばかりでしたが、それはそれ以上に孝を大切にするように日々説いていたからかもしれません。
兵たちは泣く泣く袁術のもとを去り、家族のもとへ逃げ延びていったのではないでしょうか。(前向きにとらえすぎでしょうか)
ちなみに袁術と陸積の父である陸康(りくこう)は仲が悪かったそうですね。
実際に戦争もしていますし。その息子へのこの理解の示し方は袁術の度量の広さを表しているとも私は考えます。
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