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司馬懿の名言から分かる!曹爽との権力争いを分かりやすく紹介!「駑馬、短豆を恋う」

2016年3月13日


 

司馬懿

 

彼は重病であった魏の二代目皇帝である明帝から曹爽(そうそう)と共に

幼い皇帝を補佐するよう後を託されます。

司馬懿(しばい)は曹爽と共に三代目皇帝を補佐しますが、次第に両者の仲は

冷え切っていきます。

そして一触触発の対立にまで発展してしまいます。

両陣営は注意深く相手のスキを伺っている緊張した毎日が続いている中、

司馬懿の陣営から一人の大臣が曹爽に寝返ります。

司馬懿に報告した大臣はうろたえます。

しかし司馬懿は落ち着いており報告してきた大臣に

「駑馬、短豆を恋う(どば、たんとうをしたう)」

一言漏らします。

今回は司馬懿が漏らした名言と曹爽との権力争いを分かりやすく

紹介していきたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏の明帝死す

 

 

司馬懿は公孫淵討伐から帰還している最中、一人の使者がやってきます

その使者は明帝の側近でありました。

明帝の側近は「司馬懿殿。明帝が危篤状態で明日をもしれぬ状態です。

早く洛陽へお戻りくだされ。」と伝えます。

司馬懿は軍勢を置き去りにして洛陽へ急ぎ、洛陽へ着くと

明帝の寝室へ入ります。

明帝は司馬懿が来た事を知らされると「司馬懿、よく来た。朕の命はもう長くない。

次の皇帝は幼い皇帝であるため、そちと曹爽。二人が力を合わせて補佐してくれ。」

と遺言を託します。

司馬懿は明帝の言葉に頷き、遼東討伐の報告を簡単に行い、

その場を後にします。

そして239年魏の二代目皇帝曹叡(そうえい)は静かに息を引き取ります。

 

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政権の中枢から外される

司馬懿

 

司馬懿は明帝の遺言を守るため曹爽と共に幼い皇帝を補佐します。

二人はお互いに協力して幼い皇帝を補佐し、

魏の政権が乱れ無いように細心の注意を払いながら

政治を行っていきます。

こうして数か月が過ぎた頃、曹爽の側近である何晏らは

司馬懿を要職から落とし、曹爽を魏の政権の中心に据えようと画策。

そのため何晏ら側近は曹爽に「司馬懿を太傅にし、

政権から遠ざけ彼の権力を押さえましょう。」と進言。

曹爽は何晏らの進言を受け入れ、司馬懿を太傅へ任命させます。

こうして司馬懿は政権から遠ざけられる事になります。

なぜ司馬懿は反発せず、

名誉職である太傅にすんなりと収まったのでしょうか。

 

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司馬懿が反発しなかった理由

司馬懿

 

司馬懿は知略や軍略、謀略にも優れている彼が、

なぜ大人しく曹爽のいう事を聞いたのでしょうか。

そこにはしっかりとした理由がありました。

司馬懿は政権から遠ざけられても、

魏国の中でずば抜けた軍事的功績を持っており、

政権から離れても軍権は未だに彼の手中にあります。

そのため政権の中枢から遠ざけられても

軍事は司馬懿、内政は曹爽という分担制になっただけなので、

反発せず大人しくいう事を聞きます。

 

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軍事的実績を積むため蜀へ侵攻

 

曹爽は曹家一門の一人という事もあり、高い名声を持っておりました。

だが軍事的実績が無いため、未だに司馬懿が魏の軍権を保有しております。

そこで彼は軍事的実績を群臣に示し、司馬懿から軍権を奪い取り、

魏の政治と軍事両方の権力を握るため蜀侵攻を考え、会議の席で発言。

司馬懿は曹爽の提案である蜀侵攻は必ず失敗すると判断し、

猛反対します。

しかし魏の群臣は曹爽の意見を支持した事で、

蜀侵攻が決まります。

 

大敗北で終わった蜀侵攻

 

 

 

曹爽は大軍を率いて、蜀の玄関口である漢中へ侵攻を開始します。

だが蜀の重鎮である王平(おうへい)鄧芝(とうし)らの策に嵌り、大敗北してしまいます。

こうして何の戦果を挙げず、国力のみを疲弊させた曹爽は軍事的能力の

無さを群臣にさらしてしまう事になります。

 

司馬懿の引退

司馬懿

 

司馬懿は曹爽が敗北してくると分かっていても

止められなかった責任と高齢であることを理由に引退を表明します。

魏の群臣らは司馬懿を政権に引き留めようと説得しますが、

彼の決意は固く引退します。

しかし彼は本当に引退した訳ではなく、

曹爽一派を油断させるためあえて引退を申し出たのです。

 

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司馬懿側の大臣が寝返る

宦官集合 

 

司馬懿は引退した後もしっかりと朝廷内の様子を探らせます。

長男司馬師や次男司馬昭、それに司馬懿側に味方している大臣数人が

情報を提供してくれます。

息子や大臣らが得て来た情報を精査し、正しい情報を得る事が

彼の日課となっていました。

そんな中、司馬懿の味方であった大臣が突如曹爽側へ寝返ります。

 

司馬懿の名言「駑馬、短豆を恋う」

司馬懿 仲達

 

報告者である大臣は慌てふためきます。

司馬懿は報告を聞いても落ち着いており、慌てている大臣に向かって

「駑馬(どば)、短豆を恋う(たんとうをしたう)」と告げます。

駑馬の意味は鈍い馬もしくは駄馬を指します。

これを人に当てはめると才能の鈍い人という事になります。

また短豆は馬の餌であるかいばの事です。

これらを合わせると才能の鈍い人材が、高い官位(餌)で釣られて、

寝返ったにすぎないから安心しなさい。という意味になります。

報告者は司馬懿の説得に納得し、落ち着きを取り戻し、再び彼の為に

情報集めに戻ります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

この司馬懿の残した名言、実は現代にも活用できる優れた名言です。

皆さん会社で仕事が出来なくて威張り散らしている

曹爽みたいな上司はいませんか。

そういう上司を見かけたらすぐさまこう言ってあげてください。

「駑馬、短豆を恋う」と。

しかし上司は何を言っているか分からないため、

しっかりと三国志の曹爽の出来事を説明してあげれば、上司も恥ずかしくて心を

入れ替えるかもしれません。

良かったら試してみてくださいね。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~。」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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