内政の仕事は戦場で働く武将達に比べ、華々しさに欠け、
地味で目立たない事が多い仕事ですが、
国家や地域を治めていく場合、非常に重要な役目を担う仕事です。
ですが、中々評価の対象となりにくい仕事でもあります。
楚漢戦争の時代、戦場に出ず、ずっと内政の仕事に従事し続け、
最終的には漢の丞相の位まで上り詰め、後世韓信(かんしん)・張良(ちょうりょう)と共に
漢の三傑と言わしめた内政のプロ・簫何(しょうか)をご紹介します。
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この記事の目次
沛県の役人として活躍
簫何(しょうか)は沛県出身の人で、法律や読み書きができた事から、
沛県の功曹掾(こうそうえん=人事を司る局長)に任命されます。
簫何は沛県の役人となり実務をこなしていきます。
彼の実務能力は素晴らしく、秦の都咸陽への異動の話が持ち上がります。
しかし彼は秦の支配する世が長くは続かないと見切りをつけていたため、
この話を断り、沛県の人事局長として励んでいきます。
驪山へ向かう劉邦を見送る
簫何は若い頃劉邦(りゅうほう)と親しく、彼が罪を犯すとかばっていました。
また彼が労働者を引率して驪山に向かう際、
沛県の役人は300銭ずつ選別として贈りますが、彼だけは500銭を
劉邦に贈り、旅の安全を祈ります。
こうして劉邦を送り出した簫何は再び仕事に戻ります。
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劉邦挙兵
劉邦は労働者が逃亡した事で彼も山野に身を隠します。
その後陳勝・呉広が結託して秦に反旗を翻した事がきっかけで、
彼も挙兵の決意をします。
まずは沛県に帰り、土地の古老や簫何、樊噲らに協力してくれるよう
使者を出します。
土地の古老や簫何、樊噲達は劉邦に協力する事を快諾。
劉邦は彼らの協力を受けて沛に戻って、県令を捕縛し処断します。
劉邦はこうして沛県の乗っ取りに成功し、秦へ反旗を翻します。
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劉邦軍を裏から支える
簫何は劉邦の挙兵に加わると、裏方として劉邦軍の屋台骨を支えます。
彼は沛県時代に見せた尋常じゃない事務処理能力を駆使して、兵糧輸送や
兵士が留まる幕舎の設置、占領した土地の住民の戸籍名簿を作成したりと
劉邦軍を陰から支え続けます。
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金銀財宝よりも書類保護へ
劉邦は各地を転戦し、ついに秦を滅ぼし首都咸陽へ入城します。
この時簫何も一緒に咸陽へ入ります。
諸将は秦が蓄えた金銀財宝に目がくらみ奪おうと争います。
また劉邦は秦の後宮へ走り、美女と酒をもって王宮へ向かい、
酒池肉林に浸ります。
簫何は彼らと違い、咸陽の書類が保管されている丞相の役所へ向かいます。
ここで秦が作成した地方の住民の数や経済、詳細な地図、住民名簿などを
手に入れ、自分の幕舎に運ばせます。
こうして手に入れた地方の莫大な情報を部下達に整理させます。
この時簫何が手に入れた莫大な情報は後の漢王朝に利益をもたらす事になります。
漢の丞相へ
劉邦は項羽(こうう)から漢中王に任命され、漢中へ向かう事になります。
劉邦が漢中王に任命された際、簫何は長年の功績を認められ、
丞相に任命され、劉邦軍の内政の全てを任されます。
こうして丞相になった簫何も劉邦に従って漢中へ赴きます。
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尋常ではない人物K
劉邦軍の古参の将軍である夏侯嬰(かこうえい)は、漢中に向かう途中、逃亡罪で死罪になる
罪人たちを見かけます。
その中に面構えが尋常じゃない人物を見かけ、夏侯嬰は彼の罪を取り消し、
話を聞くことにします。
その後夏侯嬰は簫何にその人物を推挙します。
簫何は夏侯嬰が推挙した人物としばらく話すと、この人物が尋常ではない
軍略の持ち主であることが分かり、彼を劉邦に推挙します。
劉邦は夏侯嬰と簫何二人が、尋常ではない人材として推挙してきた人物を
すぐに役職を与えます。
しかしその人物は翌日脱走します。
千年に一人の逸材Kを捕まえろ
簫何はKが脱走した事を知ると彼を捕えるため、急いで後を
追いかけます。
事情を何も知らない劉邦は、簫何が脱走した事を激怒すると共に
今後の展望に不安を覚え絶望します。
簫何はKを捕え、自らの幕舎に連れて帰ります。
劉邦は簫何が帰って来た事を知ると激怒し、「なぜ脱走したのだ」と
怒鳴りつけます。
簫何は劉邦の話を全て聞き終わった後「王よ。私は
この者を捕えに行っただけなのです。」と弁明します。
劉邦は「嘘をつくな。こんな奴を捕まえに行くなら他の奴でも
出来るだろう」と再度怒鳴ります。
すると簫何は「王よ。この者は千年に一度の逸材です。この者を逃せば
王は天下を取る事は出来ないでしょう。
どうか彼と話して、その才能に納得いただけたら
大将軍の位を与えてください」と頭を下げて懇願します。
劉邦は彼が頭を下げて懇願している姿に驚き、本当に才能があるのか
Kと話し込みます。
するとKは劉邦軍の今後の軍事面での展望と戦略を語り始めます。
この話を聞いた劉邦は大いに感心し、彼を簫何の言う通り、
大将軍へ任命します。
はじさんクイズ(ちょいむず)
いつも突然やってくるはじさんクイズが始まりました
今回は少し難しいですよ。
簫何と夏侯嬰が推薦した千年に一度の逸材Kとは一体誰でしょう。
次の三択から選んでくださーい。
ヒントは背水の陣を敷いたあの方です
1韓信(かんしん)
2灌嬰(かんえい)
3韓王信(かんおうしん)
さてこの中から選んでください
正解は1番の韓信です。
そうなんです。韓信を逃がさないため、簫何は彼を追って行ったのです。
漢軍の兵士に毛が生えた程度の役職しかもらっていなかった韓信が
簫何の推薦により一気に大将軍へと大出世します。
こうして韓信を手に入れた劉邦軍は大躍進を遂げていきます。
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三国志ライター黒田廉の独り言
楚漢戦争時代簫何のように内政を重視して、行っていた人物はいないと思います。
張良や陳平、項羽軍の軍師范増達は軍略や策謀にかけては
素晴らしい才能を持っています。
しかし内政となると彼らはそんなに非凡な能力をもっていないと思います。
簫何は内政をしっかりと行い、劉邦軍が飢え無いようにしっかりと
補給経路を作り、安定した食料補給を行います。
また簫何は、人を見る目もしっかりと持っており、
韓信が脱走したと知ると丞相自ら追って連れ戻しているのはすごいです。
現在の世で表すなら、大臣が普通の自衛隊員が仕事を辞めると聞いて、
引きとどめる様なものです。
現在の世の中では絶対にありえない光景ですね。
簫何(しょうか)は劉邦が挙兵すると彼に従い、
内政面で軍を支え続けてきた人物です。
さらに人物鑑定眼に優れており、一兵卒の韓信を大将軍に推挙。
蜀に閉じ込められた劉邦でしたが、韓信を手に入れた事で軍事面での展望が開け、
中原で項羽と覇を争う事になります。
関中へ帰還
劉邦は簫何の推挙により韓信を手に入れます。
その後劉邦軍は韓信の方針に従って、漢中へ入る際に焼いた桟道を修理し、
旧秦の国を三つに分割し、王となっていた章邯らを打ち破り、
関中へ舞い戻ります。
簫何も劉邦に従い関中へ帰還を果たします。
荒廃した関中の内政に力を入れる
劉邦は関中へ帰還を果たします。
その後すぐさま関中を出て各地へ転戦していきます。
簫何は関中に留まり、内政に力を尽くします。
項羽に関中全体が荒らされたため、税を軽くし、
さらに土地の古老と親しく付き合い兵士を募集してくれるよう依頼。
こうして関中の地から常に兵糧と兵を劉邦に送り続けます。
こうした簫何の内政により、劉邦軍は兵糧と兵士を不足させる事無く、
戦いに専念する事が出来ます。
劉邦から疑念を持たれる
劉邦はこうした簫何の活躍にねぎらいの使者を幾度となく送ります。
簫何はなぜ劉邦が幾度も自分に使者を送ってくるのか分からず、
食客に尋ねます。
すると食客は「王はあなたが反乱を起こすかどうか不安だから
あなたに何度も使者を送ってくるのです。疑いを晴らすのであれば、
アドバイスされます。
簫何はこのアドバイスに従い、彼の血族全てを前線へ送り込みます。
こうして劉邦からの疑念が晴れ、信頼を得ます。
天下統一を果たしても天下は安定しない
劉邦はその後各地を転戦し、ついに垓下の戦いで項羽を破り、
天下統一を果たします。
こうして天下統一を果たした劉邦であるが、論功行賞が行えませんでした。
その理由は天下統一を果たしたが、中華は安定せず、常に反乱が
起きている状態でした。
この反乱を鎮圧するため、劉邦自ら出陣し、討伐を重ねていました。
そのため天下統一を果たしてから1年後、ようやく論功行賞が行われます。
戦功第一は簫何
劉邦は天下統一から1年後論功行賞を行います。
まず戦功第一は簫何に決まります。
命を的に先陣を駆け回った武将達は大いに不満を漏らします。
劉邦はこの不満を聞き「お前たち猟犬と同じで、人間が総合的に判断を下し、
猟犬を操る事ではじめて獲物を得る事が出来る。
この総合的に操っていた簫何こそが戦功第一である。さらに奴は自らの血族
を全員戦場へ送り出してくれた。それに比べてお前達は簫何のように
血族全て前線に送り込んだわけではあるまい。
以上の理由から簫何が先の戦いの戦功第一だ。」と
諸将に宣言します。
韓信の反乱
簫何は一兵卒から大将軍へ引き上げた韓信が、長安で反乱を起こそうとしていると
呂雉(りょち)から知らされます。
簫何は呂雉と策を図り、彼をおびき寄せます。
韓信は自分を引き立ててくれた簫何の言を信じ、王宮へやってきます。
この時呂雉が近衛兵を使って彼を捕えて処断します。
こうして韓信の反乱を未然に防ぐことに成功します。
簫何は韓信の反乱を未然に防いだ功績により、
臣下の最高位である「相国」の位を与えられ、「剣履上殿(剣を身に帯びたまま
宮殿に行く事。」「入朝不趨(宮殿に入った時に小走りしなくてもよい)
「謁讃不名(皇帝に謁見した際実名で呼ばれない)の三つの特典と領地を得ます。
こうして漢王朝最大の家臣となった簫何ですが、自らにも危険が迫って
来ます。
食客召平のアドバイス
劉邦の挙兵当時から付き従ってきた漢建国の立役者陳豨(ちんき)も
劉邦に嫌気がさし反乱を起こします。
劉邦は挙兵当時から付き従っていた陳豨が反乱を起こしたことに
激怒し、自ら兵を率いて出陣します。
簫何はこの時漢の内政に励んでいたが、
ある日食客の召平が簫何に対して「陛下があなたに「相国」の位や特典、
領土を授けたのはあなたを疑っているからです。」とアドバイスします。
簫何は彼の意見を聞き、自らの領地を返上し、私財を寄付して劉邦の陳豨
討伐の軍資を助けます。
劉邦は簫何のこの行為に大いに喜びます。
しかし表面上は喜んでいた劉邦ですが、彼を全幅に信頼しているわけでは
ありません。
そのため再び簫何に危機が訪れます。
三度目の疑心暗鬼
劉邦は簫何の助けもあり、陳豨の反乱を鎮圧します。
しかし翌年黥布が反乱を起こします。
劉邦は劉賈(りゅうか)と劉交(りゅうこう)を黥布討伐に向かわせます。
しかし劉賈は黥布に討ち取られ、劉交は敗北します。
この事態に劉邦は驚き、自ら軍を率いて出陣。
こうして黥布討伐に出陣した劉邦は、再び簫何へ幾度も手紙を届けます。
簫何は劉邦の三度目の疑心をかわす為、金を高利で貸したり、土地を買い占めて
いきます。こうする事で自らに反乱の意志が無い事を示します。
この作戦は上手くいき劉邦の疑心が薄れ、以後彼を疑う事は無くなります。
親友曹参に後を託す
こうして劉邦の疑心をかわし続けた簫何であったが、重病に陥ります。
彼は昔親友であった斉の相国である曹参(そうしん)を
自らの後継に指名します。
こうして後継を指名してから数日後、漢の相国簫何は亡くなります。
簫何は死後文終侯と諡を送られます。
三国志ライター黒田廉の独り言
彼の死後息子は短命で亡くなってしまいます。その後息子の子供が跡を継ぎますが、
彼は罪を犯し、領地を没収されます。
こうして簫何の家は没落したと思いきや武帝の時代に復活します。
その後も幾度か没落と再興を繰り返していき、なんと彼の子孫は
南北朝時代にまで生き延びます。
そして驚きなのは彼の子孫は南朝時代の北斉という国を建てる事になります。
彼の血筋は漢の時代を飛び越え、数百年後にまで残り、活躍する事に
なります。
「今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~」