呉郡にあって猛将である太史慈(たいしじ)を上手くつかえず、
孫策(そんさく)に大敗を喫して逃げ出したとされる劉繇(りゅうよう)
確かにお粗末です。
三国志のゲームでも使えない武将のひとりとして有名です。
しかし、皆さんが思っているほど力量のないものに異民族ひしめく揚州刺史の詔がくだされるでしょうか。
恐らくは息のかかったもので周囲を固め、勢力を拡大しようとしたのが、
徐州の牧である陶謙(とうけん)の推薦の狙いだろうと思われています。
詳しくこの年を記してはいませんが、初平三年(192年)ごろではないでしょうか。
と、すると劉繇36歳の頃ということになります。
王族・劉家のスター劉繇
劉繇の祖先は、「斉の孝王」です。誰?って感じですよね。
高祖(劉邦)の八人の男子の中で長子である劉肥は妾腹の子だったために家督を継げずに、東方の斉の国王となりました。
そこにまた九人の男子がおり、その四子が劉将閭(しょうりょ)です。
しかし劉肥の長子である劉襄に子が無くお家は断絶。
皇帝は領地を劉肥の子らに分割しました。
劉将閭はそこで斉の孝王となります。
漢に謀反を起こした王族に加わらず籠城して守りぬき、その後に疑いをかけられて服毒死したそうです。
後に罪がなかったことがわかり、国が再興します。
漢帝国にために戦い、無実の罪で死んだこの斉の孝王のことは、ほとんどのひとがよく知っています。
つまりスーパースターです。
皆があの「斉の孝王」の裔遜か!と嬉々として迎い入れるのです。
そんなスーパースターの威光もあって、叔父の劉寵は三公である太尉に、
その弟で劉繇の父である劉輿は山陽太守に、劉繇の兄である劉岱は兗州刺史に任じられています。
やっぱり劉繇はエリート一家なんですね。
揚州の実態
しかし、劉繇が働くべき揚州の州府がある北の寿春には、こともあろうにあのスーパーエリート袁術がいました。
当時の袁術は左将軍です。
しかも名門中の名門。勝てません。
そこそこエリートのスター劉繇は、唇を噛み締め、泣く泣く長江を渡り、呉郡に新しい州府を建てます。
それを補佐したのが呉景と孫賁といわれています。
どちらも孫策の血族者です。
呉郡は孫策の誕生の地でもあります。
ちなみに192年4月に兄の劉岱が戦死していますから、
劉繇は一族を連れて、呉郡の曲阿県に向かったのでしょう。
関連記事:【数奇な人生】三国志演義には登場しない臧洪(ぞうこう)と袁術の奇妙なニアミス!
関連記事:エリート袁術が逃げ込んだド田舎の揚州に住む異民族とはどんな民族だったの?
関連記事:【袁術のちょっとイイ話】袁術(えんじゅつ)と蜜柑のお話
関連記事:スーパーエリート袁術!理由はファミリーにあり?スーパー名家を探るよ
フラフラする呉景と孫賁
呉郡は孫策の父、孫堅の故郷ですから、その棺と共に孫賁は一族を守っていました。
呉景は孫堅の妻の弟です。
孫賁、呉景ともに朝廷の印綬をもっているこのスター劉繇を素直に歓迎しました。
呉郡の豪族や名士たちは「あの斉の孝王」の末裔がきたと大喜びです。
周辺からもその声を聞きつけてやってくるものがいました。
孫卲(のちの呉国の宰相)や太史慈(武勇抜群・孫策と引き分けるほど)や
許劭(人相見の第一人者)などがこぞって集まってきたのです。
そうですスター劉繇には「人望」「名声」があったのです。
それは隣国の徐州牧、陶謙以上だったようです。
許劭は陶謙を見限り、劉繇のもとを訪れています。
歓迎ムードの中で微妙なのは二人。
袁術の息のかかった孫賁と呉景でした。
袁術の嫉妬
同じ揚州の地で、瞬く間に力をつけてきたスター劉繇に嫉妬を感じたスーパーエリート袁術は、潰しにかかります。
目障りだったのでしょう。
まずは呉景、孫賁を引き抜き、勝手に丹陽太守と豫州刺史にしていまいます。
左将軍にはそんな権限がありませんので、これはスーパーエリートの権限を活用してのことでしょう。
人が集まるスター劉繇に二人は敵わず撤退します。
朝廷もさらに劉繇の力を認め、揚州の牧に任じられることになります。
関連記事:理屈は確かにそうだけど・・中2病的な袁術の皇帝即位の理由とは?
関連記事:袁術祭り秘話|袁術をkawausoが取り上げた理由
関連記事:孫策を自分の息子にしたいと思っていた袁術
関連記事:三国志一の策謀家、袁術の伝説
孫策の台頭
ここで待ってました!といわんばかりに孫策が劉繇討伐に名乗りを上げて、
異常な強さで呉郡を圧倒するのです。
この辺りはまるで源義経並みの神がかり的な活躍ぶりです。
その勢いに押されて劉繇は撤退。会稽ではなく豫章に落ち延び病死します。
その後は長子の劉基が家を継ぎ、孫権に仕えると、光祿勲に任ぜられるところまで出世しています。
スターの名は呉国でも尊重されたのです。
関連記事:孫策も憧れた「西楚覇王」項羽が残した伝説の戦いベスト3
関連記事:于吉(うきつ)とはどんな人?最古のメンタリスト UkiTsu!小覇王・孫策の生命を奪った仙人
関連記事:孫策と周瑜の怪しい関係は事実だったの?子不語にある逸話を紹介!
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
袁術(孫策)がいなければ江南に大勢力を広げたのは劉繇だったかもしれません。
ただし孫策と劉繇の大きな違いは、実力者を起用するか名家を起用するかでしょう。
(袁術はけっこう誰でも起用しちゃいますが・・・)
太史慈の起用のされ方がそれを物語っています。
劉繇は、大将の器のある太史慈を、名家ではないことから斥候役程度にしか起用していません。
人望と名声があったスターだけに、なんとももったいない話ですね。