善悪関係なし!6人の君主を渡り天寿を全うした軍師賈詡の生涯!

2016年12月1日


 

賈詡

※こちらの記事は「大戦乱!!三国志バトル」専用オリジナルコンテンツです。

 

三国志に登場する人々は、義とか仁という大義名分を立てたがります。

確かに「今から行う戦いは私利私欲だ、ゲヘヘ!」と言ったのでは、

誰もついてきませんが、それにしても綺麗事と美辞麗句が多いです。

 

しかし、今回、紹介する賈詡(かく)については綺麗事も汚いもありません。

賈詡は、ただ、己の頭脳を駆使し乱世を潜り抜け、六度も主を替える変節を

繰り返しながら、その智謀故に全ての主君に重宝され天寿を全うしたのです。

 

「敵を欺きてこそ軍師、敵を破りてこそ軍師、善悪は預かる所にあらず」

ひたすら、本能のままに知略を奮ってきた軍師、賈詡の物語の始まりです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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賈詡は、性格が悪く友達一人いない前漢の功臣、陳平に匹敵した

賈詡

 

賈詡(147~223)は字を文和(ぶんわ)と言い、

涼州武威姑臧(ぶいこぞう)の人です。

若い頃は、全く無名で誰にも知られていない隠者でしたが、

ただ一人、漢陽の閻忠(えんちゅう)という人物が賈詡を見て、

 

「張良、陳平の智謀に匹敵する奇謀」と評価していました。

 

陳平

 

張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)も、共に漢の高祖、

劉邦(りゅうほう)の配下で、劉邦に天下を取らせた功労者ですが、

張良はともかく陳平は素行が悪く、えげつない奇略を六回進言して

六回成功させるという人物、性格の悪さと恐ろしい智謀のせいで

宮廷に友達一人いないという曲者でした。

 

賈詡、朝飯前に嘘で氐族を騙す

賈詡

 

賈詡はやがて、考廉に推挙されて郎になりますが、

そこで病気になり官を辞し故郷に帰る途中で氐(てい)族に襲撃され捕まります。

一緒に捕まったのは、十数名いましたが賈詡は慌てずこんな事を言います。

 

「私は、漢の大尉、段熲(だんけい)の甥だ、

汝らは私を別に埋めよ、我が家が必ず厚く報いてやるだろう」

 

大尉と言えば、漢の軍事を握る大物、その甥を捕まえたとなれば

討伐軍が差し向けられるかも知れない・・

氐族は賈詡を恐れて彼一人だけを釈放してしまいます。

 

もちろん、全て賈詡の作り話でしたが、自信満々の賈詡の発言に

氐族はすっかり騙されてしまったのです。

 

董卓の娘婿、牛輔の配下として駐屯し、董卓の死を知る

賈詡

 

賈詡は、その後、董卓(とうたく)の配下として、

董卓の娘婿(むこ)牛輔(ぎゅうほ)の下にいました。

しかし、192年、董卓は呂布(りょふ)王允(おういん)の計略で暗殺されます。

 

さらに、王允が差し向けた李粛(りしゅく)の軍勢に牛輔は善戦しますが、

董卓が死んで軍が動揺しているのを見て、勝てないと思いこんで脱出し、

恩賞に目が眩んだ部下に殺されました。

 

牛輔の配下には、李傕(りかく)郭汜(かくし)、張済(ちょうさい)がいましたが、

大将が死んだので

「仕方ねぇ、それぞれ、故郷まで落ちのびるべぇ・・」と決めます。

ところが、それに賈詡が反対し、逆に長安を攻めるべきと主張します。

 

「長安では、涼州人は全て殺すと息巻いておるようだ

ましてや、あなたがたが軍を解散してしまえば、これを捕えるのは、

一亭長の手でも出来る、むざむざ死ぬような事はお止めなさい

ここは、軍を纏め、一致団結して長安に攻め上り王允を殺して、

帝を手に入れるのです、それ以外、生き残る道はない」

 

怖くなった李傕、郭汜、張済は、賈詡に従い兵を起こすと、

途中で王允に不満を持つ勢力が軍に加わり、あっさりと長安を落して

王允を殺害、李傕と郭汜は思っても見なかった董卓の後継者になるのです。

 

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長安で勢力争いを繰り広げる李傕・郭汜を見限る賈詡

賈詡

 

李傕と郭汜は首が繋がり、いまや天下を抑えたのは賈詡先生のお陰と

賈詡に封侯しようとしたり、尚書僕射(しょうしょぼくしゃ)のような

高い役職を与えようとします。

 

しかし、李傕や郭汜の統治能力の限界を知っている賈詡は禍を恐れ、

謙虚に振る舞い、人事を握る尚書になって献帝(けんてい)に接近します。

その頃、李傕は少帝(しょうてい)の妃、唐妃(とうひ)(※唐姫)を妾にしていましたが、

賈詡はこれを察知し、献帝に

「唐妃に位を与えて、貞操を全うさせて下さい」と進言。

 

こうして、唐妃は李傕の下から解放され宮廷に住むようになります。

賈詡、さりげなく、このような善行もしているのです。

 

賈詡は、間接的に李傕・郭汜の横暴を制御するように動きますが、

それも限界に近づき、賈詡は奇計を用いて献帝を洛陽に移動させる事に成功、

自身も印璽を返却して、長安を出る事になります。

 

賈詡が出て行くと、李傕と郭汜の暴政は末期的になりました。

彼等は賈詡の智謀を恐れ、どこかで遠慮していたのです。

 

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賈詡、同郷の将軍段煨の配下になるが見限る

賈詡

 

長安を去った賈詡は、同郷の段煨(だんわい)将軍の配下になります。

ところが、この段煨、表面上は賈詡を敬いつつも、

 

「いつか賈詡は、自分の地位を脅かすのでは?」

と心配する器量の小さい人物でした。

 

このままでは、近い間に誅殺されると考えた賈詡は、

南陽に張繍(ちょうしゅう)が居るのを幸いに、その配下になります。

段煨はむしろ、賈詡が張繍の配下になったのを喜び、後々の為に

賈詡が置いていった彼の家族を手厚く保護しています。

 

賈詡は張繍に説いて、劉表(りゅうひょう)と同盟し外敵に備えました。

 

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張繍の配下として、曹操を敗走させる

賈詡と曹操と張繍

 

西暦197年、曹操(そうそう)は宛に攻め込んで張繍を屈服させます。

そして、張繍の族父の妻である美女、鄒氏(すうし)を強奪して関係を持ちます。

張繍も鄒氏を狙っていたと言われ、内心面白くありません。

 

さらに曹操は邪魔な張繍を殺そうとしたので張繍は怒りが爆発します。

そこで賈詡に謀ると、今なら曹操に勝てますと進言したので、

秘密裏に計画し、曹操の屋敷を襲い、曹操は取り逃がしますが、

息子の曹昂(そうこう)、ボディーガード典韋(てんい)を討ち取る大戦果を挙げます。

 

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官渡の戦いで、袁紹が張繍に味方になるように説くも賈詡は反対

曹操と張繍

 

西暦200年、北方の雄、袁紹(えんしょう)は曹操と戦端を開きました。

これが世にいう官渡の戦いです。

袁紹は、張繍に同盟を持ちかけ、曹操と敵対していた張繍は、

これと結ぼうとしますが、賈詡は袁紹の使者を罵倒します。

 

「従兄弟同士でさえ仲良く出来ない者に天下の国士が得られようか!」

 

袁紹の使者は怒って、出て行ってしまいました。

 

「なんという事をしたのだ!これではワシは誰を頼めば・・」

 

途方に暮れる張繍に、賈詡は今こそ曹操を頼むべしと言います。

張繍は「息子を殺したワシを曹操が許すだろうか?」と不安を口にすると

賈詡は次のように言いました。

 

「曹操と袁紹では、袁紹が優勢であり、曹操は味方を喉から手が出る程

欲しがっていますから、今降れば、必ず殿を重く用いるでしょう

また、曹操は私情より勝利を優先する男、決して殿を殺しません」

 

果たして、張繍が曹操に降伏すると曹操は大喜びして、

これを重く用いました。

こうして、賈詡は自動的に曹操の家臣となります。

 

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賈詡、官渡の戦いで決定的なアドバイス

賈詡

 

官渡の戦いは、途中から官渡城に籠った曹操軍と

包囲する袁紹軍の消耗戦になります。

 

しかし、袁紹の待遇を不満とする許攸(きょゆう)が降伏、

袁紹軍は烏巣というポイントに大兵糧庫を築いているという情報をもたらすと、

「罠かも知れない」と疑う諸将の中で、

荀攸(じゅんゆう)と賈詡だけが直ちに烏巣を攻撃すべきと進言します。

 

曹操は、この助言に従い自ら軽騎兵五千を率いて烏巣を急襲して、

食糧庫を焼き払い、官渡の戦いに勝利を収めました。

 

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賈詡、曹操に赤壁でアドバイスするが曹操は聞かず敗北

賈詡と曹操

 

西暦208年、袁紹の残党と烏桓族を平定した曹操は性急に、

荊州を併合して、呉の孫権(そんけん)を下そうとしますが、

賈詡は、焦らずに荊州を経営して人心を得れば、呉は戦わずして降ると助言。

ところが統一を焦る曹操は聞かず、赤壁で敗れて呉を倒せませんでした。

 

西暦211年、韓遂(かんすい)馬超(ばちょう)の関中軍閥が

曹操に背くと、苦戦した曹操は賈詡に助言を求めます。

 

賈詡は離間の計を考え、手紙を用いて韓遂と馬超を仲違いさせ、

関中軍閥を分解させる事に成功しました。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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