「諸葛亮の北伐は不要なことだった」などと言う人もおりますが、それについてまずはヒトコト。
現代のような国境のある程度定まった時代ならばともかく、古代中国の食うか食われるかの世界では、「天下統一レースから脱落した国は滅ぼされるか、早めに降伏するかしかない」のが前提と思います。
そして蜀漢は「漢王朝の復興」という大義名分を抱えていた為、降伏する道は存在しない。いちかばちかでも、最期まで魏(のちに晋)に挑戦し続ける他ありませんでした。
それに「無茶」と言われる諸葛亮の北伐も、実は目的意識がとても明確でした。魏をいきなり滅亡させることではなく、「長安を取る」こと。長安を占領してしまえば、いっきに蜀漢が「正統の王朝」として天下に号令をかけられる。
ここにターゲットを絞った、「蜀の国力すべてを賭けた乾坤一擲の賭け」という意味がありました。そしてなるほど漢中をとっている以上、長安だけを目標とするなら、あと一歩に来ている。では、あと一歩、何が足りなかったのか?
「人材難が敗因だった」とは、よく言われます。それならば、たとえば、「もし荊州を巡る戦いで関羽が死んでおらず、関羽や関平、周倉らがことごとく北伐の際に投入できる状況だったなら?」とイフ展開を考えてみましょう!
すなわち、「北伐の際に関羽が存命だったら、どういう布陣で長安奪取に向かった」のでしょうか?
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そもそ も北伐プランは「三国鼎立論」の必然的結果だった?
「関羽さえいれば、もしかしたら長安奪取の可能性はあったのでは?」そう考える根拠が、ひとつあります。諸葛亮孔明による有名な「三国鼎立論」自体、別に「中国を魏・呉・蜀で仲良く分けて共存しましょう」という平和的な発想ではなく、最初から「三国鼎立の形をとることで、魏を倒すチャンスを作る」と考えていた周到な戦略だった筈という点です。
つまり、諸葛亮にとって「三国鼎立状態」を確立することはあくまで戦略の前半であり、「魏・呉・蜀の三国で天下を分けた後で、魏をじりじりと追いつめる」ことが戦略の後半でした。そしてその孔明の戦略において重要なキーワードが、「長安攻略ルートの確保」でした。
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長安奪取のために絶対に必要だったのは漢中だけでなく荊州も!?
ここでいう長安攻略ルートとは、実際に孔明が採用した「漢中からのルート」だけではありません。
孔明にとって本当に大事だったのは、彼が住んでいた土地でもある荊州からの北上ルート。つまり孔明の真の作戦プランは、「漢中と荊州の双方から軍を北上させ、長安を挟撃すること」でした。
そしてその際には、荊州出発隊の指揮は関羽に任せる想定だったのでしょう。長安奪取というポイントに絞った精密なプラン。これが諸葛亮の深謀だったとなると、史実において、呉に荊州を取られた上に関羽を殺されてしまったことは、諸葛亮の大戦略を根本から崩壊させてしまった衝撃だったわけです。
「なんという余計なことをしてくれたんだ孫権!」というのが諸葛亮の本音だったことでしょう。
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【北伐の真実に迫る】
関羽が生きていた場合の北伐チームを想像してみた!
では、もし関羽が生きていたら、北伐はどういう形になっていたか?
まず本隊にあたる漢中出発隊。こちらは史実の北伐部隊とあまり変わらず、諸葛亮、趙雲、馬謖あたりがメインの指揮官でしょう。
ただし、関羽が死ななかった世界では、夷陵の戦いもなかったはずであり、夷陵の戦いがなかったとすると、黄忠が存命だった可能性があります!
馬謖の経験不足も、趙雲と黄忠という大ベテランが二人ついていれば、うまく補い、安定したのではないでしょうか?
いっぽう、荊州出発隊は、関羽一族と周倉、廖化、王甫といったところが名を連ねます。
馬良との縁から、もしかしたら馬謖はこちらのチームに回ったかもしれませんが、荊州チーム側もベテラン揃いであり、馬謖を余裕をもって良い人材に育てられたことでしょう。
「しかし、これをやってしまうと荊州がガラアキになり、けっきょく孫権に虚をつかれるのでは?」という不安がありますが、ここについては、既に病に倒れている馬超がギリギリ間に合うはず。
病気だということを隠して、馬超を荊州に入れておけば、そのネームバリューのインパクトで孫権もうかつには攻めてこないでしょう。この布陣が完成していれば、蜀にも勝ち目が多少は出てきていたはずです。
というのも、このような「二大チームによる挟撃」をかければ、当時の魏における最大のオオモノであるところの司馬懿も、どちらか片方と戦い、もう一方を無視せざるを得なくなるからです!
もし司馬懿が諸葛亮軍と対陣すれば、関羽軍に当たる人材が問題となります。司馬懿が関羽軍の抑えに入れば、諸葛亮軍を誰か別の人材に任せなければいけません。
しかしそんな人材が司馬懿本人以外にいるか?
これにはさしもの司馬懿も頭を悩ませるハズ!
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まとめ:それでも強力な司馬懿を倒すには、もう一人、生きていてほしい男がいる!
ただし、さるものの司馬懿。もしこうなったら、慌てることなく、まずは全力で関羽軍を潰し、そのあと超スピードで漢中側に戻って、孔明との決戦に持ち込むという思い切った戦略を採用してくるかもしれません。
その場合は、司馬懿VS関羽の対決が北伐第一ラウンドとなり、ここでいかに関羽が司馬懿を引きつけ時間を稼げるかが、蜀の運命を決します。ですが、うーん、そうなると、関羽軍にも司馬懿と対抗できる軍師タイプの人材がもう一人は欲しい!
ここでいい男を思い出しました!
北伐が成功するためには関羽が生き残っているだけではなく、かの「臥龍鳳雛」の一角、龐統が生き残っていてほしい!
つまり、北伐の第一ラウンドを、司馬懿VS関羽のガチンコではなく、司馬懿VS関羽と龐統のタッグとする!
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三国志ライターYASHIROの独り言
これだけの準備があれば、北伐もかなりいい線にいけたのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
「関羽も生きていて、さらに龐統も生きていれば」となると相当贅沢な「イフ」ですが、そんな蜀漢の最強布陣、見てみたかった!
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