広告

始皇帝が眺めていた星空から星座が分かる。凄い!ギリシャ神話にも劣らない中国の星座

2015年12月27日


 

始皇帝と星空

 

私達は、星座と聞くと、乙女座とかてんびん座とか獅子座などの

ギリシャ神話に由来する西洋の星座を連想してしまいます。

しかし、当然、大昔には民族の数だけ星座があったわけで、中国ではギリシャに勝るとも劣らない程の天体観測が行われ、そして星座が造られてきました。

では、2200年の昔、秦の始皇帝(しこうてい)が眺めた星空はどんな姿をしていたのでしょうか?

 

関連記事:三国志を楽しむならキングダムや春秋戦国時代のことも知っておくべき!

関連記事:キングダムと三国志の違いって何?時代を追ってみる

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



中国の星座は大きく分けて二つ存在する

 

 

中国における天文学は遥か(いん)の時代に遡りますが星が星座という形で纏められたのは紀元前7~8世紀の事だと言われています。

西洋の天文学が黄道を回る太陽を基礎にした黄道十二宮(獅子座、やぎ座、)に対し、中国は天の赤道を回る月の周期に沿って二十八宿(角、亢、柳)という星座を定めました。

 

二十八宿は、青龍、玄武、朱雀、白虎の4つの方角で七宿ごとに分けられ今でも、結婚や習い事、家の建築などの吉凶を占う時に利用されます。

 

そして、もう一つ、二十八宿とは別に北極星を天の皇帝として、

同心円状に皇族、官僚、軍隊や建物、庶民をかたどった250余りの星座を造りました。

これが紀元前4~5世紀だと言われています。

 

関連記事:中国最古の王朝 殷とはどんな国だったの?

関連記事:封神演義(ほうしんえんぎ)って何?殷末の武将たちの戦いをもとに書かれた小説

関連記事:よくわかる!周の成立から滅亡をざっくり分かりやすく紐解く

中国の星座は三国時代に陳卓(ちんたく)にまとめられた

 

 

こうした星座は、 甘徳(かんとく)、巫咸(ふかん)、石申(せきしん)という人々に造られていましたが、三国の呉から晋の時代の天文学者の陳卓がこれらを統合してまとめ、283星座、1464星の星図を造ります。

以後、中国の星図は増減を繰り返しつつも陳卓のまとめた星図を基本に発展していきます。

 

中国の星座には、どんなものがあるのか?

 

 

さて、中国の星座には、どのようなものがあるのでしょう。

ギリシャ星座がギリシャ神話に即しているオリオン座やさそり座等が登場するのに対して、中国の星座は、地上の官僚機構を、そのまま星図に当てはめてしまった所に特徴があります。

 

まず、北極星の部分に天帝の星があり、その付近に皇太子である太子の星が鎮座しています。

そして、天妃(てんひ)、宦官(かんがん)、家臣の最高位である三師(さんし)や

三公(さんこう)や五諸候(しょこう)、尚書(しょうしょ)、九卿(きゅうけい)、

車騎(しゃき)、将軍、虎賁(こほん)、という三国志ファンなら

一度は見たであろう名前の星座が同心円状態に並んで、まるで、

ひな壇のような整然とした官僚機構を表現しているのです。

 

関連記事:【三国時代】英雄の地位はどの位?

関連記事:丞相、校尉、都督……? 三国時代の役職(官職)が分かりづらい!

関連記事:後宮の美女達にも階級ってあるの?気になる~♪

 

天帝の星から離れる程、グレードが下がる

孔子 儒教

 

中国は儒教に則った華夷秩序に基づき、皇帝を中心に円を描いて、

そこから離れれば離れる程に野蛮で卑しく未開になっていきます。

なので、星座も、天帝からもっとも離れた地点では、

天厠(トイレ)や屎(ウンチ)など、不浄な名前がつけられています。

 

関連記事:孔子・孟子・筍子?儒教(儒家)ってどんな思想?

関連記事:儒教(儒家)ってどんな思想?|知るともっとキングダムも理解できる?

関連記事:儒教が引き金?外戚と宦官の対立はなぜ起こったのか

 

えっ!始皇帝が見ていた北極星は今とは違う星?

 

 

私達は、北極星は不動の星だと思っていますが、それは人間の寿命で考えた場合の事で、実は北極星の位置も数千年の単位だと動いています。

実は地球は、真っ直ぐに自転しているわけではなく、例えば、コマ回しをした時、コマが首を振るように上がブレています。

 

これを歳差と言い、約25800年掛けて一周しています。

現在の北極星は、小熊座の柄の先にあたるαポラリスですが、

紀元前1000年頃の北極星は、β星のコカブでした。

 

古代中国においての天帝星は、このβコカブを意味していて、

もちろん、始皇帝の時代にもβコカブを天帝星としていました。

つまり、始皇帝はβコカブを自分と見做していたのです。

 

中国人は、何故星座に官僚機構を当て嵌めたのか?

 

 

古代ギリシャ人が星空に神話の物語を託したのにどうして中国人は、星座に官僚機構を当て嵌めたのでしょうか?

やはり、これは、星と星の間は動かず不動であるという事が大きいと考えられます。

つまり、星の世界では、天帝の星に九卿の星が変わる事はない、

全てが秩序を保って永遠に運行されている事が王朝の永続と重なったのです。

始皇帝も天上の星座のように、自分が立てた秦帝国が不滅であれと願い

見上げる星空に願いを託した事でしょう。

 

始皇帝陵の地下にも描かれた星図

 

 

また兵馬俑などの発掘品で知られる始皇帝陵にも

天井を天空に見立てて、極彩色の星図を描いたと考えられています。

現在は発掘する事により遺跡が大気で損傷する事を考慮して、

始皇帝陵の全貌解明は進んでいませんが新技術が開発されれば、

始皇帝が肉眼で見た2200年前の極彩色の星空が

私達の目の前に現れるかも知れません。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

星空は、時代を問わず、人類に見果てぬ夢とロマンを与えてきました。

現在では、その関心は、地球外生命体など科学的なものに変わりましたが

未知なるものに対する知的好奇心は昔も今も変わらないかも知れませんね。

 

関連記事:諸葛亮をこよなく愛した土井晩翠、星落秋風五丈原が後世でも形を変えて愛されていた!

関連記事:曹操も劉備もこれで学んだ?漢の時代の教科書と学校

関連記事:宝刀・七星剣(しちせいけん)?なにそれ?おいしいの?伝家の宝刀を分かりやすく解説!

関連記事:旧約聖書の創世記に出てくるノアの方舟の元ネタは古代中国にあった?

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代バナー

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

よく読まれている記事

孔明 コペルニクス

 

よく読まれている記事:古代中国のコペルニクスは孔明だった?彼はなぜ天文学を学んだの?

 

兵馬俑 kawauso

 

よく読まれている記事:知らないと損する!始皇帝と大兵馬俑を100倍楽しむための外せないポイント

 

キングダム 政

 

よく読まれてる記事:【衝撃】秦の始皇帝陵は実は完成していなかった!壮大な地下宮殿と兵馬俑の謎

 

兵馬俑

 

よく読まれてる記事:戦術マニア必見!兵馬俑の戦車で2200年前の戦略がわかる!

 

始皇帝

 

よく読まれてる記事:中華統一後の始皇帝は大手企業の社長並みの仕事ぶりだった!?彼が行った統一事業を紹介

 

この記事を書いた人:kawauso

kawauso

■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。

もちろん、食べるのはサーモンです。

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-春秋戦国時代
-, , , , , , , , , , ,