曹操孟徳(そうそう・もうとく)は、西暦155年、沛国礁県で生まれた人物です。
祖父は、宦官のトップを極めた曹騰(そうとう)で、父は夏候家から、曹騰の養子に入った人で大金持ちの曹嵩(そうすう)です。
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曹操の家系の事情
金銭的には恵まれていても、男性のシンボルを切除され皇帝の奴隷として生きる宦官の孫という立場は、曹操にはマイナスに働きましたが、それは、曹操に常識には囚われない柔軟な発想と身分ではなく、才能によって人間を取り立てるという合理的な精神を育みました。
今回のアンケートでは、曹操は序盤こそ、票が無かったものの、
中盤から後半にかけて票が伸びました。
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投票回答:人が好きなんでしょうね
内訳は、男性票2票、女性票5票と女性ファンが多いようです。30代男性のコメントには「人が好きなんでしょうね」とありました。
これは、曹操の代表的一面の人材マニアを言い当てています。
甥の曹安民(そう・あんみん)を殺す策を授けた
軍師、賈詡を恨むでなく、配下に加えるなどは、その真骨頂ですし、
部下にしようとするなども曹操の人間大好きを裏付けます。
投票回答:多芸多才で何でもありな所
40代女性の意見には、「多芸多才で何でもありな所」
という意見もありました。
曹操はただの人間好きなお人好しではなく、
「自分が人を裏切っても人が自分を裏切るのは絶対に許さない」
という自分本位を貫く所があり、敵に通じていると疑った、
知りあいの家族を皆殺しにしたり、徐州においては、
情け容赦のない大虐殺を繰り広げるなど、苛烈な一面を見せます。
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女性も大好きな曹操
また、女癖も悪く、降伏させた敵の未亡人に入れ上げて、
絶対絶命の窮地に陥り、正妻に離婚されるなど英雄らしからぬ
無節操な一面も見せています。
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投票回答:その波乱万丈と合理的な人生が好き
10代の男性読者からの意見としては、
「その波乱万丈と合理的な人生が好き」とありました。
三国志演義では、最強無比な敵役の曹操ですが、
その生涯においては、董卓軍の徐栄に討たれそうになったり、
呂布に謀られて焼け死にそうになったり、危ない場面が何度もあります。
三国志後半でも、赤壁の敗戦で築き上げた軍勢の大半を失い
命からがら本拠地へ逃げ戻り、潼関では、馬超の騎兵に追いまわされて、
あわやという所まで追い詰められるなど忙しい人生でした。
しかし、失敗に足を取られるでもなく、直ぐに体勢を整えるなど
合理的な精神を最期まで失いませんでした。
「今は戦時だから、葬儀は簡単でいい、葬儀が済んだら、
喪に服すまでもないから、急いで、持ち場に戻れ」
死の直前にも、こう遺言するなど、葬儀を重んじる当時の常識を
覆す合理的な態度を貫きました。
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回答:多芸で武勇だけでなく頭も優れ 詩が上手く人間味に溢れているから
10代の女性の意見には、
「多芸で武勇だけでなく頭も優れ 詩が上手く人間味に溢れているから」
というものもありました。
曹操は「文武両道」という50代女性の意見もある通り
彼は、武勇ばかりではなく芸術も愛好して文化を手厚く保護しています。
曹操は戦の傍ら、武器を傍らに置いてまで詩を竹簡に書いた
という程の文化人でした。
その詩も、一方的に自分のヒロイズムに酔うような自画自賛ではなく
戦乱で苦しむ農民の立場に同情し、一刻も早く太平の世を開きたい
という心情を詠んだり、戦塵に苦しむ、部下の苦労を労わったりと、
ただ冷血ではない曹操の内面の豊かな人間味が溢れています。
曹操は内政面でも、後漢の太祖、光武帝の屯田の制を採用して、
黄巾の乱や、董卓の争乱で荒れ果てた土地に流民を定着させて
農耕させながら、兵士としても動員できるように制度を整え、
他の群雄が、僅かに残された豊かな土地を奪いあっている間にも、
着々と国土の再生に取り組んでいました。
投票回答:誠の英雄
・「全てにおいてカッコ良すぎる」40代女性
・「英知溢れる誠の英雄」30代女性
常に時代の先を読み、どんな英傑よりも未来を見据えていた、
風雲児、曹操、その波乱万丈の人生が1800年後の人間の心を
捉えて離さないのも分かる気がします。
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