古来より、これを読んで涙を流さないものは忠臣にあらずと言われる名文、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の出師(すいし)の表(ひょう)。でもその原文は当然、漢文で長く読むのが大変です。そこではじさんでは、出師の表を分析して、孔明が言いたかった事のポイントを要約し、知ったかぶりできるようにしました。
この記事の目次
そもそも出師の表って、どういう意味?
出師の表とは、出師+表という二つの意味から出来ています。出師とは、軍の総「帥」が国から「出」陣する事を意味していて、表とは皇帝に出す文書の事を言いあらわしています。
つまり、「出陣するにあたり軍の総帥が皇帝に宛てた文書」というのが本来の意味で、必ずしも孔明の事を意味するのではないのですが、孔明の出師の表が有名になり過ぎて、出師の表=孔明になったのです。
では、以後、出師の表を分かりやすく解説します。
まず劉禅(りゅうぜん)を軽く脅し非常事態を印象づける
出師の表の書きだしは、「陛下の家臣である諸葛亮が申し上げます」から始まります。
そして、
「先帝(劉備)は天下統一の大業の志半ばで亡くなられてしまいました。今、天下は三国に分かれて争い、益州は疲れ果てています。現在、蜀は史上最大のピンチなのです!!」
として厳しい現状分析をして孔明は劉禅を軽く脅しています。本来出陣しない丞相の孔明自ら北伐を敢行するわけですから、劉禅に呑気に構えるなよ、大ピンチだぞ!と強調する必要があるのです。しかし、これで劉禅を怯えさせて終わっては困るので、ですがと続けます。
先帝劉備(りゅうび)の徳を称え家臣を信用するように教える
怯えまくる劉禅に、次に孔明は、しかし心配には及びませんとして以下のような事を書いています。
「大ピンチにも関わらず、陛下をお守りする兵士達は怠慢の気持ちを起しません。また志を持つ文官達は犠牲をいとわず職務を遂行しています。それは、先帝が彼等を特別の礼でもって報いたからで今、彼等はその恩義を陛下(劉禅)に返そうとしているのです」
このように蜀は大ピンチですと脅しつつも兵士も文官も、それに腐るような事なく仕事に誠実に向き合っています。それは先帝の徳が偉大であるからなのですと結んでいます。つまり大変だけど、皆、劉備の恩義に報いようと必死ですから、心配には及びませんよと孔明は言っているのです。
脅したり、すかしたり、孔明が劉禅を翻弄する様子が見えます。
関連記事:劉備と西郷隆盛の共通点って何?
関連記事:武将を惹きつける人間磁石 劉備玄徳
関連記事:滅びゆくものへの郷愁劉備という生き方
人は用いる時はエコひいきをしない、賞罰は公平に
しかし、一度、成都を離れれば、今までのように自ら劉禅を導くという事は孔明には難しくなります。劉禅は暗君ではありませんが、良くも悪くも他人の色に染まる人でした。
劉禅が変な人物を気に入ると、宮中が乱れ孔明も北伐どころではなくなります。そこで、孔明は人を用いる時には、エコひいきをしない事、そして、賞罰は公平にして人によって違いが出てはいけないと書いています。
関連記事:蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?
関連記事:劉禅が読んだ韓非子ってどんな本?
孔明オススメの人物をさりげなく紹介
とは言え坊っちゃん育ちで人を見る目に乏しい劉禅が賢臣を選ぶ保証はありません。そこで孔明は表の中で親切にも絶対オススメの家臣の名前を上げます。
「文官では郭攸之(かくゆうし)や董允(とういん)、費禕(ひい)は善良で実直、真心があり素直で、先帝が見出して陛下の為に残された財産です。
私も国の仕事は3人に必ずはかり、そのアドバイスを聞いて、仕事にミスが無いようにしています。また将軍の向寵(しょうちょう)は、性格は穏やかで公平そして軍事に通じています。先帝は彼を戦争で使ってその才能を高く評価されました。そして、大勢で相談して彼に将軍を任せる事にしたのです。もちろん、私も軍の事では向寵に相談しているので蜀軍は統率が取れそれぞれの才能を無駄なく活かせております」
このように、孔明は、郭攸之、董允、費禕、向寵の名前を特に上げ、彼等は劉備が信頼し、私も頼りにしている忠臣であると持ち上げます。そして自分がいない間は、彼等を頼るように指示するのです。
歴史の教訓を語り、お人よしの劉禅を戒める
次に孔明は、蜀の前身である後漢王朝がどうして栄え、どうして衰退したかをかなり簡潔に説明します。
「才能や人格に優れた家臣に親しんで、品性下劣な家臣を遠ざけたこれが後漢が繁栄した理由です。また、品性下劣な家臣と親しみ、才能や人格に優れた家臣を遠ざけたこれが後漢が衰退した理由なのです。
私は先帝と、色々政治の話を論議しましたが、毎日のように後漢の桓帝、霊帝の堕落した政治を嘆いていました」
これは、後漢の事を言ってはいますが、ゴマすり屋のお気に入りの人間を好む劉禅に釘を刺す為の例えだと思います。
後漢を乱れさせた最大の原因は宦官の十常侍に桓帝、霊帝が政治を任せたからですが後年、劉禅は彼等と同じく宦官の黄皓(こうこう)を寵愛しています。恐らく若い頃から劉禅にはそういう部分があったのでしょう。
関連記事:人々の鑑になった良い宦官達
関連記事:後漢を滅ぼす原因にもなった宦官(かんがん)って誰?
関連記事:宦官VS外戚の争い 第二ラウンド
侍中(じちゅう)長史(ちょうし)尚書(しょうしょ)
参軍(さんぐん)に親しませる。
1人1人の名前は出しませんが、孔明は侍中や長史、尚書や参軍というような皇帝の側近について、志が真っ直ぐで大義の為には命を惜しまないと称え劉禅には彼等と親しく接して、必要な計略を巡らし漢の王室が栄えるのを待つようにと指示しています。
恐らく、劉禅は後宮で宦官相手に話す事が多く、表の官僚である侍中、長史、尚書、参軍達と親しく話す機会が少なかったのかも知れません。しかし、自分が成都を留守にするにあたってはそれではいけませんと、孔明は忠告したかったのでしょう。
関連記事:孔明や荀彧が務めていた尚書(しょうしょ)ってどんな役職?女尚書も存在した?
関連記事:荀彧は曹操の下でどんな仕事をしていたの?尚書令について超分かりやすく解説
お決まり、孔明と劉備のメモリー
ここから、孔明の話は、自分と劉備が出会った頃になります。
「私は草深き田舎に住み、畑を耕して自分の天寿を全うする事だけを考えていた卑しき凡夫でしたが、先帝は、そんな私の庵を三度も尋ね、礼を尽くし世の中の事をお尋ねになり私を軍師としてお迎えになりました。
私は、その先帝の真心に感激し、今まで奔走し仕える事二十一年になります。その間に先帝は病に倒れ、特に私が慎み深い事を信頼され、お亡くなりになる直前に、私に国家の大事を託されました」
この後、孔明は、劉備から託された大事が重く、毎日思い悩み人に頼む事の出来ない責任の重さにため息をついたと書いています。非常にプライベートな事ですが、自身も万能ではない、思い悩む人間であると言う事を劉禅に分かって欲しかったのかも知れません。
関連記事:劉備はどうやって三国志界の天才軍師・諸葛孔明を手に入れたの?
孔明、北伐の決意を語る
前項で、重すぎる大事を劉備に託されて、思い悩んだとプライベートな一面を暴露した孔明ですが、次には一転して戦いの機は熟したとして、以下のように述べます。
「現在は懸念があった南方は平定され、武器と鎧、兜は充分に揃っています。今こそ、大軍を起して、中原に攻め込み、悪者共を討伐して、都を元の場所に戻し、漢の天下を再興するのが取るべき正しき道なのです」
ここには、それでも大事を託されたからには自分は、やらなければならない。そういう孔明の大きな決意が刻まれています。
もし北伐の成果が上がらないなら自らも処罰する
大きな決意の下に大軍を動かすからには、いつまでもだらだらと戦争を長引かせるわけにはいきません。ましてや、蜀は魏より兵力でも経済でも劣るのですから、一度の敗戦でも致命傷を負うかも知れません。そこで、孔明は以下のように書いて自らの責任を明らかにします。
「もし功績があがらなければ私の罪を決めて先帝の御霊に報告します。もし、民衆に恩恵を施す言葉が無ければ、郭攸之や董允、費禕の過ちを責めその罪を明らかにします。陛下もまた、御自身でも調べられて、そして臣下の意見を聞いて相談し正しい方向に導いて下さい。先帝陛下の臨終の言葉をどうか思い出して頂きたいのです」
関連記事:司馬懿が三国志演義に初登場するのはどのタイミングなの?
号泣・・劉備の劉禅に宛てた暖かくも厳しい遺言
因みに、劉備が我が子劉禅に宛てた遺言とは、以下のような内容です。
「丞相の話では、お前の知力は非常に大きく進歩は期待以上だとの事だ。それが本当なら朕には何も心配することはない。
よいか、公嗣(劉禅の字)努力せよ、ただ、努力するのだ。悪い事は例え爪の先程の小悪でも行ってはならぬ。善い事は、例え、それが取るに足らぬ小善でも必ず行うのだ。忘れてはならぬ、賢と徳のみが人を心服させる道だと言う事をそれから、お前の父は徳が薄いのだから見習ってはいけない。
書物に親しみ特に、「漢書」と「礼記(らいき)」を読みなさい。そして、暇なときは諸子(しょし)の「六韜(りくとう)」「商君書(しょうくんしょ)」を読むようにして自分の知恵を増すようにしなさい」
「劉禅が皇帝の器でないなら君が取って代わって漢を再興してくれ」という衝撃的な孔明宛ての遺言と違い、劉禅への遺言はとても平凡なものですが、それだけに人の心を撃つものがあります。努力せよ、ただ、努力するのだとは、何十年も戦塵に塗れ皇帝に上りつめた苦労人劉備の哲学のように思えます。
そして、劉禅が凡庸だと知っていた劉備の密かなアドバイスにも思えます。この時、劉禅も臨終の時の父の事を思い出して涙を流したのでしょうか?
関連記事:かわいそうな阿斗(あと)の壮絶な人生
関連記事:実子劉禅(りゅうぜん)と養子劉封(りゅうほう)の明暗
思いが溢れて何をいうべきか分かりません
出師の表の最後は、先帝の恩義を思うと感激の余り涙が止まらず、今、初めて陛下の元を離れて私の本心を申し上げるにあたり、胸の奥から思いが溢れて、何を言うべきか分かりません。と言う事で閉じられています。
恐らく出師の表を読み上げながら、孔明は泣いていたのではないでしょうか?
そして、それを聞いていた全ての人々も、劉備の遺徳と困難な蜀の前途を思い涙を流したのではないかと思います。
三国志ライターkawausoの独り言
出師の表は、凡君である劉禅を成都に残すにあたり、孔明が心配する事を全て詰め込んだ指示書のようなイメージがあります。
まだ、20歳になったばかりの劉禅を1人置いて、北伐に出かける孔明の心中の不安と、劉備への恩義、そして蜀の前途への不安がないまぜになり思いが溢れてしまい、最後には、何を言うべきか分かりませんと書いてしまう辺りは、本当に名文だと思います。
今日も三国志の話題をご馳走様でした。