張良(ちょうりょう)は軍略・政治を学びます。
その後天下は乱れ張良も兵を集め、自らの君主を探す旅に出ます。
しかしどの群雄も彼のいう事に耳を貸すことはありませんでした。
そんな中一人の男と運命の出会いを果たし、彼に仕える事にします。
前回記事:張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(1/3)
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この記事の目次
劉邦との出会い
張良は楚王として独立した景駒の元へ向かう途中、軍の一団を見つけます。
張良はその軍団の長に挨拶すべく軍営に赴きます。
彼は軍団の長と会ったイメージはだらしない感じですが、気品のある雰囲気を
漂わせた人物でした。
張良は軍団の長に挨拶した後、軍略や政治など色々な事を語ります。
そして張良は一つの決断を降します。
「あなたの軍の軍師として参加したいのですが、
よろしいでしょうか。」と軍団の長に告げます。
軍団の長は少し驚きますが、彼の申し出を快く受け入れます。
この軍団の長こそ、後年項羽と激戦を繰り広げた劉邦(りゅうほう)です。
張良と劉邦はこうして運命的な出会いを遂げます。
進言した策を次々に採用
張良は景駒の元には行かず、劉邦の軍師として仕え、
数々の戦で策を進言します。
劉邦はためらわず彼の策を採用し、戦は連戦連勝。
彼の実力を怪しんでいた諸将も張良の献策により、戦に勝ち続けると、
彼を信用し、劉邦軍にとってなくてはならない存在になります。
また張良も自らの策を無条件で採用してくれる劉邦に感動し、自らの
配下達に「劉邦は真の英傑だ」と最大限に褒め称えます。
こうして劉邦と張良の絆は深まり、後世この二人の主従関係が、
最大の主従関係であるとされています。
韓の公子を立て、故郷奪還へ赴く
楚王であった景駒が秦の章邯(しょうかん)に敗れ、亡くなります。
南から台頭してきた新勢力である項梁(こうりょう)と項羽(こうう)は楚の貴族である懐王を
新たな旗頭として立てます。
劉邦は懐王の元へ身を寄せます。
張良は懐王に「王陽君韓成を韓王に立て、韓の地を復興させたいと思います。
そのため兵をお借りできないであろうか。」と進言します。
懐王は張良の進言に頷き、兵を一千程与えます。
張良は一時的に劉邦の元から離れ、韓王・韓成と共に韓を復興させるため出陣します。
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いざ韓の復興へ
張良は韓王韓成と共に秦に奪われている、旧韓の地へ出陣します。
韓の地へ就くとすぐ張良の兵法が冴えわたり、城をいくつも陥落させます。
しかし逆襲に来た秦の大軍によって、取り返した城は奪い返されてしまいます。
張良は正攻法で攻めるのではなく、ゲリラ戦に方針を切り替えます。
こうして韓の地でゲリラ戦を繰り広げていた張良と韓王の元に劉邦が参陣。
劉邦軍の強さと張良の策が加わるとあっという間に城を十城程陥落させます。
張良は韓の領地を奪取し、秦軍の逆襲が無い事を確認した後、
劉邦の元に戻り、軍師として仕える事になります。
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懐王の命令
楚の建国の立役者であった項梁は章邯軍の奇襲により、亡くなります。
懐王は項梁が亡くなると、諸将の士気を奮起させるため
「秦の首都咸陽に最初に入った者を関中王に命じる」と命令を降します。
この命令を聞いた諸将はざわめきますが、もう一つ命令を出します。
「上将軍宋義と項羽は北に居る章邯の軍勢を撃破すること、
西へ向かうのは沛公劉邦とする」と告げます。
この発言に諸将はどよめきますが、懐王の命令は絶対であり、
命令に従い、宋義や項羽、その他の諸将は北進。
劉邦は西へ向かって出陣します。
張良も劉邦に従い、西に向かって進軍します。
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知略が冴えわたる
張良は劉邦に従い西にある秦の首都咸陽(かんよう)を目指して秦の軍勢を破り、
城を陥落させながら進軍します。
劉邦は咸陽をめざす途中、宛(えん)城を攻撃します。
しかし宛城の守りは堅く、攻め落とす事が出来ませんでした。
そのため宛城を無視して、西へ向かおうとします。
すると張良は「殿。函谷関に急ぐのは分かりますが、秦の城や軍は
いまだ前方に多数存在しており、後方にある宛城を攻略しないで進むのは
敵に挟まれる可能性があるため、非常に危険です。
宛城を攻略してから、西へ進みましょう。」と進言します。
劉邦は張良の進言をすんなりと受け入れ、再度宛城を包囲します。
包囲を続ける事数十日、ついに宛城は降伏。
劉邦軍は背後の危険を取り除き、一気に秦の首都である咸陽へ突き進みます。
三国志ライター 黒田廉の独り言
張良は劉邦と出会うことで、自らの躍進のチャンスをつかみ、
韓の復興にも成功します。
また劉邦も張良が軍師と加わった事で戦術に広がりを見せ、
戦に勝っていくようになります。
しかし、二人にはまだまだ多難な前途が待ち受けております。
張良は咸陽(かんよう)へ向けて西進する劉邦に次々と策を献策。
劉邦は張良が提案した策を採用します。
劉邦軍は張良の策を採用する事で秦の城を次々と陥落させ、
ついに秦の首都咸陽(かんよう)へ到着します。
劉邦が咸陽に到着した頃、項羽は北の地で秦軍と戦い続け、
ついに章邯を降伏。
項羽は章邯を降し、劉邦が占領する咸陽に近づきつつ、あります。
秦の首都咸陽を陥落
劉邦は張良の策を取り入れ、ついに秦の首都咸陽へ向けて進軍します。
劉邦の軍勢が、咸陽近辺に近づいてきたことを知った宦官・趙高(ちょうこう)は
「私とあなたで関中の地を二分して治めようではないか」と誘ってきます。
しかし劉邦は張良からの反対もあり、趙高の誘いを蹴り飛ばします。
こうして武関を突破した劉邦軍は秦王となっていた子嬰(しえい)の
降伏を受け入れ、咸陽を手に入れます。
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劉邦の欲を諫める
劉邦は豪華絢爛な秦の宮殿を見ると自らの家にしたいと思います。
劉邦の護衛隊長である樊噲(はんかい)は劉邦を諫めますが、樊噲の言葉は届きませんでした。
樊噲は張良に「軍師殿。わが主を説得してくだされ」とお願いします。
張良は樊噲の願いを聞き入れ劉邦に「苦労して秦の首都に入って間もないのに
すぐに快楽へ身をゆだねるのはよくありません。忠言は耳に逆らっても行いに
利益があり、毒薬は口に苦くても病には利益があるもの。
殿。どうか樊噲の忠言をお聞きくだされ」と説得。
劉邦は張良の意見を素直に取り入れ、秦の首都咸陽から離れ、
咸陽に近い覇上(はじょう)へ軍を戻します。
曹無傷(そうむしょう)の裏切り
劉邦は咸陽から覇上へ軍を移動させ、関中諸県にすむ土地の古老を集め、
「法は三つにする。一つ人を殺した者。二つ人にけがをさせた者。
三つ人の物を盗んだ者。以上三つの法を犯した者にはそれ相応の処罰をする。」と布告を出します。
この劉邦の布告を秦の古老達は喜び、
劉邦を慕い始めます。
こうして実質的に関中王としての振舞いを見せる劉邦に一人の男が、進言します。
その男の名は曹無傷(そうむしょう)です。
彼は劉邦に「函谷関を締めて、賊が入り込まないようにすれば良いのでは
ないですか。」と進言します。
劉邦は彼の進言を受け入れ、函谷関を閉めます。
曹無傷は劉邦軍が函谷関を締め切った事を確認すると、項羽に使者を出します。
曹無傷の使者は項羽に「劉邦は項羽様を秦の国入れないようにするため、函谷関を閉めました。」と伝えます。
この言葉を聞いた項羽は激怒。
函谷関に着くと烈火のごとく攻め、函谷関を陥落させ、鴻門に陣を敷きます。
恩返しのため張良の陣へ
張良が下邳に潜伏していた時に匿っていた項伯(こうはく)は、
項羽が翌日劉邦の陣を攻めると
聞き、急いで張良の陣へ向かいます。
張良は項伯が来ると再開の挨拶をかわします。
しかし項伯は張良との再会の挨拶をすぐに切り上げ、
「子房(しぼう)よ。挨拶などしている場合ではない。明日項羽が攻めてくる。
早く逃げないと君も殺されてしまう。」と秘密事項を伝えます。
張良は項伯に「殿に、この事を話してくれないか。」と項伯を誘います。
張良と項伯は共に劉邦の陣営に行き、項伯は張良に語った事と同じことを語ります。
劉邦は項伯からこの話を聞くと顔面が真っ青になり、どうすればいいか
張良に相談します。
張良は「殿。項伯殿に仲介してもらい、明日早朝項羽殿へ謝りに行くしか
ないでしょう」と伝えます。
劉邦は張良の進言に従い、項伯に「明日項羽殿へ今回の事を謝りに行くと伝えてくれ」と頼みます。
項伯は張良からも頼まれ、致し方なく了承。
項伯は項羽の陣営に行き、劉邦からの言伝を伝えます。
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鴻門の会
劉邦は夜が明けると、張良と樊噲を連れて、項羽の陣営へ向かいます。
項羽の陣営に着いた三人は早速項羽の元を尋ねます。
張良と樊噲は外で待つことになり、劉邦のみが項羽の幕舎(ばくしゃ)へ招かれます。
項羽は劉邦から事情を聞いた後、宴会を開きます。
この宴会には張良も参加。
こうして始まった宴会ですが、この宴席で項羽軍の軍師范増が
項羽に目配せをします。
張良はこの目配せに危険な物を感じ取りますが、どうする事も出来ません。
しかし何事も起きる事はありませんでした。
だが宴会が終盤に差し掛かると、項羽の一門である項壮(こうそう)
が「この宴席の余興として、わが舞をご覧に差し上げましょう」
と立ち上がり、剣舞を舞います。
この剣舞に危険な物を感じた項伯は立ち上がり、彼も剣舞を舞い
劉邦の盾となって彼を救います。
忠義の士樊噲
その後張良は宴席を立ち樊噲の元へ行き「殿が危ない。一緒に来てくれ。」と伝えます。
すると樊噲は猛ダッシュで宴席の中に乗り込みます。
項羽は突然の乱入者に驚き「何者だ」と声をかけます。
張良は樊噲の代わりに答えます。
項羽は彼を気に入り、酒と肉を与えます。
彼は樊噲が自分を恐れず豪快に飲み食いをしている姿を気に入り、
彼に「まだいけるか。」と尋ねます。
樊噲は「まだ行けます」と答えた後、劉邦は項羽に悪気はない事を伝えます。
項羽は樊噲の忠義の心に感動し、頷くと再び酒と肉を与えます。
張良はこのやり取りの隙に劉邦を呼び「今の内に覇上へ帰りなさい。
後の事は私と樊噲がやっておきます。」と進言。
すると劉邦は「分かった。」と頷き、覇上へと帰ります。
その後宴会は終わり、張良は劉邦が帰ってしまった事を項羽に謝った後、
彼と范増に贈り物を行い、帰還します。
劉邦は最大の危機であった鴻門の会を張良や樊噲、項伯らのおかげで
無事に切り抜ける事に成功します。
三国志ライター 黒田廉の独り言
張良の知恵と樊噲の勇気、そして項伯の恩返しによって劉邦は絶体絶命の
ピンチであった鴻門の会を切り抜けます。
ここから漢の劉邦と楚の項羽の天下を分けた、激闘が繰り広げられる事になります。
楚軍は強大で兵も物凄く強いです。
反対に漢軍の兵は弱く、兵士もあまり強くはありません。
そんな張良は知恵の限りを尽くして、劉邦を支えていきます。
張良の策と樊噲の忠義、そして項伯の恩返しのおかげで、何とか劉邦は
絶体絶命の危機であった鴻門の会から無事帰還します。
鴻門の会を境に項羽と劉邦の二代派閥が、天下の覇権をかけた
戦いが開始されます。
漢中に領土をもらう
劉邦を降して咸陽(かんよう)に入った項羽は、咸陽にある金銀財宝を持ち出すと、
咸陽に火をかけます。
こうして秦の首都として長年活躍した咸陽は灰と化します。
その後項羽は協力してくれた諸侯に対して、論功行賞(ろんこうぎょうしょう)を行います。
論功行賞で数々の諸侯が領地をもらう中、ついに劉邦の出番がやってきます。
彼には漢中と巴蜀の地が与えられ、漢中王の称号が与えられます。
しかしこの漢中と巴蜀の地は三国志の時代においては物産が栄えて
割拠するにはもってこいの絶好の場所でしたが、劉邦の時代は重罪人が流される
流刑地で、漢中と巴蜀の地へ行ったら戻って来れないと噂されている場所でした。
漢中王・劉邦
劉邦はこの地へ向かう事になった翌日、張良が見送りに来ます。
彼は劉邦と共に巴蜀(はしょく)の地には行かず、韓王となっている
韓成(かんせい)の元へ戻る事になっておりました。
張良は巴蜀の入り口まで劉邦と諸将を見送ると「殿。は気鬱になり、兵士の中には向かう前
から脱走する者が多く出ます。
張良は「巴蜀へ通じる桟道(さんどう)を焼き、中原に出る事が無い意志を見せて
置いた方がいいでしょう。鴻門の会で危機は去ったとはいえ、
殿はまだ項羽から疑いの目で見られております。」と進言します。
桟道とは木の板を道の横に並べた物です。蜀へと至る道は非常に険しく、人が一人
通る事の道が連続して続いている場所です。
この道を焼くことによって、劉邦が天下への野心が無い事を項羽に見せつければ、
項羽の疑いは晴れるだろうと予測した張良の献策です。
こうして劉邦は張良の策に従って桟道を焼き、張良と別れる事になります。
その後劉邦は無事に漢中へたどり着き、漢中王として君臨します。
韓王成の最後
張良は劉邦と別れると韓の地へ急ぎます。
しかし韓王である韓成は領土に赴くことが出来ず、項羽と共に彭城へ
向かっておりました。
張良は項羽の手元から韓王成を引き離すため
項羽に「大王。沛公は蜀にかかる桟道を焼き、中原に進出する意思が
無い事を示しております。それよりも斉で田氏兄弟が反乱を起こしております。」と
手紙を送ります。
項羽は張良の手紙を読み、劉邦への疑念を晴らします。
しかし韓王成を手放す事をせず、斉遠征の前に范増(はんぞう)の進言も
あり、韓王成は処断されてしまいます。
韓王成が処断された事を知った張良は、官職を捨て逃亡。
漢中から出て来た劉邦軍へ逃げ込みます。
50万以上の大軍が項羽の本拠地を奪う
漢中からはい出た劉邦は、項羽が居なくなった関中を奪います。
その後項羽の本拠地である彭城へ向かって東に突き進みます。
この際各国の諸侯が劉邦軍に参加し、なんと劉邦軍は総勢50万以上
の大軍で彭城(ほうじょう)へ攻め込みます。
この大軍は速攻で彭城を陥落させます。
その後諸将達はどんちゃん騒ぎを連日連夜おこないます。
張良はこのどんちゃん騒ぎに参加せず、自らの陣営で
次の動きを考えておりました。
滎陽(けいよう)攻防戦
彭城を陥落させ、油断しきっていた劉邦と諸侯は項羽率いる本隊の
一撃でチリジリになります。
項羽がこの時率いていた兵数はわずか3万。
3万の兵で、50万以上の大軍を蹴散らした項羽の強さに驚きですね。
こうして諸侯は項羽軍に敗れ、各々逃走します。
劉邦は夏侯嬰(かこうえい)と共に項羽軍の追撃を振り切り、命からがら退却に成功。
その後劉邦は本拠地関中から近い、滎陽城へ入城します。
項羽は劉邦が滎陽へ逃げ込んだことを知ると、大軍を率いて滎陽城を包囲します。
こうして劉邦と項羽の初めての直接対決の火ぶたが切って落とされます。
酈食其(れきいき)の進言
滎陽城は項羽軍の猛攻を連日連夜受け続けますが、何とか持ちこたえていました。
そんな激しい攻略戦が行われていた頃、
一人の儒者(じゅしゃ=儒教を研究してきた者)が劉邦に進言します。
その名は酈食其(れきいき)です。
彼はこの戦況を打開するため劉邦へ「項羽の失敗は六国の子孫を全員殺した事です。
王が六国の子孫たちを探し出して、再び王に就ければ必ず彼らは王に恩を感じ
援軍を差し向ける事になるでしょう。」と進言します。
劉邦はこの進言を受け入れ、すぐに王の印字の製作に取り掛かります。
酈食其の進言を用いれば天下統一はできない
張良は劉邦から酈食其の策を聞かされます。
すると張良は劉邦に「王よ。その策を実行してはいけません。
今からその理由を述べましょう。」と告げます。
劉邦は驚き、「この策のダメなところを申してみよ。」と伝えます。
張良は劉邦に促され、酈食其が進言した策の欠点を挙げていきます。
酈食其が進言した策のダメなところ
張良は劉邦に酈食其が進言した策を列挙していきます。
その1「古代の湯王(とうおう)や武王(周)が家臣や滅ぼされた国の子孫を
諸侯に任じたのは彼らを抑える力があったからです。
では諸侯を任命した後、王は彼らを抑えるだけの力がありますでしょうか。」
その2「武王は貧困している者に施しを与えました。今の王にできますか。」
その3「武王は殷(いん)を倒すと武器をすべて捨てて、天下統一の成功を
内外に見せつけました。現在の王にできますか。」
その4「天下の諸侯がいま王に付き従っているのは、項羽に勝った後、
恩賞にあやかりたいからです。しかし彼らが国を建てた場合、王は誰と
手を組んで天下を目指すのでしょうか。」
といくつか例を挙げて反対します。
この反対意見を聞いた劉邦はすぐに王の印字の製造を中止。
こうして酈食其の策は実る事はありませんでした。
三国志ライター 黒田廉の独り言
張良は韓王成を助ける事が出来ず、嘆き悲しみます。
張良の悲しみを見た劉邦は、韓王室の子孫を探し出します。
彼を成信侯に任命し、韓王室は存続する事になります。
張良は今まで劉邦の客将でしたが、これを機に本格的に
劉邦軍の軍師として仕える事になります。
また酈食其の策が実行していたら、独立した諸侯はすべて項羽に味方し、
劉邦の天下統一はありえなかったでしょう。
「今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~」
次回記事:張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(2/3)
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