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この記事の目次
斉、趙、秦による三国鼎立が発生する
春秋の時代には後進国であった、秦や斉には、背後に大きな未開発の領土があるという強みがありました。名君と共に、政権が安定してくると、未開発の土地を開いて、強い勢力を得るようになるのです。
田和が興した田斉にも、名君、威王(いおう)が登場します。紀元前356年に即位した、威王は、最初は日本の織田信長のような馬鹿殿でしたが、それは芝居で、信用するに足る家臣を見分ける為でした。やがて、本来の姿を現すと、孫臏のような天才兵法家を抜擢して、強国だった、魏を撃破し、さらに、学者村である稷下の学を開いて、儒家、法家、墨家、道家、兵家、縦横家、雑家、農家などの学者を自由に討論させ、中国の思想史に大きな貢献をしました。
同じ頃、秦では、商軮が、商君の変法と呼ばれる大改革をしていました。商軮は、秦に厳格な法律を敷き、これに従うものには恩賞を与え、これに背くものは、王族でも処罰するようにします。これにより、秦からは怠け者と不正が消え、急激に強くなるのです。商軮は、軍を率いて、斉の威王に敗れた魏の領土を奪い取り、その領土を大きく広げる事に成功しました。
また、趙でも、名君が登場していました。敬侯の後を継いだ、武霊王(ぶれいおう)は、柔軟な人物であり、それまで野蛮人の戦闘法として、見向きもされなかった胡服騎射(こふくきしゃ)を多くの反対を説得して採用し、戦車同士の戦いだった中華の戦争を一変させます。武霊王は、中山国を騎馬隊の攻撃で滅ぼすなど、領土を拡大します。こうして、一時期、中華には、秦、斉、趙の三カ国が鼎立しますが、武霊王は、後継者問題でつまづき、趙は停滞状態になります。ここで、抜け出てきたのは、斉と秦の二強でした。
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斉と秦が一時期、帝を名乗るが、斉が没落・・・
趙の没落に乗じて、秦は、趙、魏、韓を攻めて、その領地を奪いました。また、斉は威王の孫の湣王の時代に、燕の内乱に乗じて壊滅寸前まで追い込み大きな領土を得る事になります。そこで、秦と斉は、お互いに西帝・東帝と呼び合う程に強大化します。しかし、斉の湣王(びんおう)は、父、祖父にはまるで及ばない実力しかない割には、驕り昂る人物でした。
特に、斉に滅亡寸前まで追い詰められた燕の昭王(しょうおう)は、復讐を誓い、植民地同様だった、燕を改革して、多くの人材を集めます。そこに出現した楽毅(がくき)は、斉に恨みを持つ、五カ国を連合させて、怒涛の侵略で斉を瞬殺するという合従軍の構想を持ち出してこれを成功させます。
50万という大軍になった燕・趙・韓・魏・楚という合従軍は、何もしらない斉軍を撃破し、湣王は殺され、斉は即墨(そくぼく)と莒の(きょ)二城を残して、残りは燕に奪われるという大敗を喫します。幸いに、斉にも名将、田単(でんたん)が登場して、奪われた七十余の城を燕から奪還して斉の領土を回復させますが、すでに斉にかつての勢いはありませんでした。
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秦、昭襄王、そして、始皇帝を経て天下統一
斉の没落は、結果として、秦を強くしただけでした。秦の昭襄王(しょうじょうおう)は、在位50年に及ぶ長期政権を実現させた上に、積極的に、他国に撃って出て、領土を拡大していきます。
特に、名将、白起(はくき)は、斉に継ぐ勢力を有していた趙を、紀元前260年に、長平の戦いで撃破し、趙兵四十万人を穴埋めするという凄まじい戦果を挙げます。しかし、間もなく、昭襄王は病死、以後は、二代、短命の王が続きますが、昭襄王の曾孫の秦王政が、紀元前247年に13歳で即位します。
政は、初期は丞相、呂不韋(りょふい)の独裁のいいなりでしたが、成人すると、呂不韋を廃して、権力を握ります。そして、信(しん)、王賁(おうはん)、王翦(おうせん)、蒙恬(もうてん)、というような名将軍を使い、六国を次々に滅ぼして、紀元前221年に、最後に残った斉を無血で滅ぼして、中華を統一します。もちろん、この政こそ、始皇帝という事になります。
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春秋戦国ライター kawausoの独り事
戦国時代は、新興勢力である魏によってスタートが切られます。魏の文侯が登用した人物は、いずれも合理主義であり、身分や習慣に捕らわれれない献策を幾つも実行しました。最終的に天下を統一する秦は古い国でしたが、商軮など、外国人を絶えず使う事で国を硬直化させず、絶えず時代の変化に対応できました。
趙、魏、斉、秦と戦国時代をリードした国は、変化に柔軟な国であったという事が出来ます。春秋時代には天下に近かった楚は、なまじ歴史が古いので、改革は守旧派の反対で中途半端になり、燕は、昭王と楽毅以外には、特に見るモノがなく、天下を争うには土地が遠すぎたようです。本日も悠久の春秋戦国時代に乾杯!
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