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官渡の戦いは裏切りはなぜ発生した?許攸とはどんな人物?

2022年6月17日


 

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兵糧を焼かれて慌てる兵士

 

西暦200年、官渡(かんと)の戦いを制した曹操(そうそう)でしたが、この戦いに勝てた大きな要因として袁紹(えんしょう)軍の兵糧輸送隊への襲撃成功があります。

 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

その際に、輸送部隊の守将や宿営の場所、兵力、士気の低さといった情報をもたらしたのが許攸(きょゆう)という人物です。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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許攸と袁紹の出会い

許攸

 

許攸は荊州南陽郡(けいしゅうなんようぐん)の出身で、袁紹とは群雄として旗揚げする以前から交流がありました。袁紹は若くして父母を亡くしており、母親の喪が明けてから遡って父の喪に服しています。

 

6年に渡って墓の側で暮らしていた時期があり、この頃は天下に知られた名士でなければ会うことは叶いませんでした。その際に、奔走の友(危機に陥った時には駆けつける間柄)の契を結んだのが張邈(ちょうばく)何顒(かぎょう)伍瓊(ごけい)呉巨(ごきょ)、許攸です。

 

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許攸が袁紹配下となった経緯

王芬

 

許攸は189年に冀州刺史(きしゅうしし)だった王芬(おうふん)の誘いに乗って、霊帝(れいてい)を廃して合肥侯を新たな皇帝に立てようと画策します。

 

霊帝の皇帝廃位のクーデターを曹操にも誘う王芬

 

王芬の計画では黒山賊を防ぐという名目で派兵し、霊帝の北部巡行の際に襲撃をする手はずでした。しかし、計画を実行に移す前に霊帝が王芬を朝廷に召還したため、事の露見を恐れた王芬は自殺します。

 

田豊

 

結局クーデターは失敗に終わり、身の危険を感じた許攸は渤海太守(ぼっかいたいしゅう)となっていた袁紹の元へ逃亡。袁紹の謀士となり、その後は田豊(でんほう)荀諶(じゅんしん)と並び称されるほどの人物となります。

 

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許攸は野心家だった

正史三国志_書類

 

許攸が裏切った詳細については正史の中にも記載されています。しかし、様々な理由が記載されているため、どれが真実かは定かではありません。その中の理由の一つに、袁紹が許攸の欲求を満たすことができなかったというものがあります。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

前述したクーデター計画へ参加したことを見ても許攸が野心家であることがわかりますし、陳寿(ちんじゅ)荀彧(じゅんいく)の評価も貪欲な人物であると評しています。

 

袁術

 

また、袁術(えんじゅつ)は淫らで不純な人物と評していることからも欲深い人物だったのでしょう。曹操に内部の情報という手土産を用意し、曹操軍が困窮した効果的なタイミングで投降しています。

 

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袁紹は許攸を重用しなかった

腐れ儒者気質な孔融

 

孔融(こうゆう)が智謀の士であると評価しているように、許攸は袁紹に対して数々の進言を行っています。例えば、官渡の戦いでは直接曹操を迎え撃たず、兵を分散させつつ袁紹自身がまっすぐ許都へ向かい、献帝(けんてい)を迎えるよう提案。

 

許攸の進言を無視する袁紹

 

資治通鑑(しじつがん)によれば曹操軍の兵力が少ないことから手薄になった許都を軽騎兵で襲撃し、天子を奉戴すれば曹操を捕らえられると進言していますが、いずれも袁紹は聞き入れませんでした。

 

曹操

 

その結果、許攸は失望し曹操へ降ったと言います。許攸は曹操軍の兵糧がごくわずかであることを看破していましたし、奇襲作戦を進言するなど優れた能力を持っていたようです。その才が活かされないとあっては寝返りも仕方がなかったのかもしれません。

 

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許攸の家族の罪

魏志(魏書)_書類

 

荀彧伝によれば、袁紹の配下である審配(しんぱい)は独善的で無策な人間であると評価されています。官渡の戦いで留守を任された審配は、許攸の家族が罪を犯すとこれを許さず逮捕しました。

 

許攸 兵糧のありか教えますひひひ

 

その結果、許攸は曹操へ投降してしまったのです。審配はこの他にも沮授や逢紀らとも対立をするなど味方を陥れる行為を繰り返し、袁紹軍弱体化の原因を作ったとも言えます。こうした審配の采配が許攸の裏切りを招き、官渡の戦いは決したのかもしれません。

 

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許攸の裏切りと官渡の戦いの決着

兵糧を運ぶ兵士

 

許攸は曹操に降ったあと、曹操軍の兵糧がどれくらい持つのかを訪ねています。曹操は2度に渡り偽りの答えを述べますが、台所事情を見透かしていた許攸に詰問され1ヶ月分しか無いと告白。

 

空腹の三国志の兵士(兵糧)

 

状況打開の策として許攸は袁紹軍の兵糧輸送部隊に関する情報を提供し、それを信じた曹操は奇襲を成功させます。この失策から袁紹の配下だった張郃(ちょうこう)高覧(こうらん)が投降、総崩れとなった袁紹軍は8万人の兵を失い戦に敗北しました。

 

袁紹に告げ口をする逢紀

 

許攸の裏切りは官渡の戦いの勝敗を決める大きな一手になったと言えます。ただ、袁紹軍内部は足の引っ張り合いが頻発していたこと、袁紹が決断力に欠けていたことなどから、許攸の裏切りがなくとも、判断ミスにより勝機を逃した可能性も否定はできません。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

官渡の戦いに際して袁紹は劉表(りゅうひょう)に加勢を要請し、劉表も承諾をしていますが、援軍を送ってはいません。これは荊州南郡で張羨(ちょうせん)が反乱を起こしていたためですが、その前にも宛城にいた張繡(ちょうしゅう)が劉表から寝返り曹操へ帰順しています。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

また、この頃の孫策(そんさく)は袁術軍の残党を糾合し、一大勢力となっていました。曹操はこれを手懐けようと孫匡(そんきょう)に親族を娶らせ、曹彰(そうしょう)にも孫賁(そんほん)の娘を嫁がせていますが、孫策は許都の襲撃と天子奉戴(てんしほうたい)を計画しています。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

結果的に孫策は暗殺されてしまい失敗に終わっていますが、官渡の戦いはあちこちで裏切りが発生した興味深い戦と言えます。この微妙なパワーバランスが少し崩れるだけでも官渡の戦いの結果は大きく変わっていたのかもしれません。

 

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TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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