馬稷(ばしょく)の流言により、強敵司馬懿(しばい)を追放する事に成功した
孔明(こうめい)は、新帝、劉禅(りゅうぜん)に出師(すいし)の表を奉じて、
北伐を決行しました。
しかし、北伐の序盤にして、劉備(りゅうび)存命の頃からの重臣、
魏延(ぎえん)との間で、北伐を巡り意見の相違が発生してしまいます。
ですが、この第一次北伐で孔明は後継者、姜維(きょうい)を得るのです。
前回記事:120話:司馬懿失脚の隙を狙い孔明は北伐に踏み切る
この記事の目次
孔明と魏延が北伐の方針を巡り対立する
趙雲(ちょううん)と鄧芝(とうし)を先頭に、北伐の軍を進める孔明ですが、
ここで進軍経路を巡って悩む事になります。
漢中から魏の領地に出るには五つのルートがありました。
いずれのルートも秦嶺山脈の間を通過する道は長安に近道ですが険しく
反対に山脈を迂回するルートは平坦ですが長安までは遠いのです。
兵は拙速を貴ぶとは、孫子の言葉です、国力に劣る蜀は、
なるべく早く、長安を占拠して魏軍の反撃をうち砕く必要があります。
ですが、山道を進むのは兵を疲れさせ士気を低下させます。
あまり急ぐと、途中で魏軍に遭遇して撃破されるかも知れません。
議論は百出しますが、ここで魏延が、自分の意見を出します。
魏延「丞相、それがしに精鋭五千騎を与えて下され、
長安を守る夏候楙(かこう・ぼう)は、家柄だけで出世した青二才です。
それがしが昼に夜を継いで子午(しご)道を駆け抜け、長安に到着すれば、
夏候楙など、軽く蹴散らしてご覧にいれます」
孔明は、魏延の意見を退け、二人の関係に溝が産まれる
しかし、孔明は魏延のプランを採用しようとはしませんでした。
何より、子午道は険しい道であり、ここを強行軍すると
長安につく頃には兵の士気がかなり落ちてしまいます。
これで、夏候楙と戦い勝てるのか?というのが第一の不安です。
第二には、仮に夏候楙を打ち破っても、僅か五千の兵力で、
長安を奪還しようとやってくる曹真(そうしん)や張郃(ちょうこう)の
大軍をしのげるのか?です。
いずれにせよ、魏延のプランは、失敗を許されない北伐プランにおいて、
余りに冒険的過ぎると孔明には映りました。
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魏延は孔明を内心臆病者と侮る
プランを却下された魏延は表面では大人しく引き下がりますが
心の内では孔明を蔑みました。
魏延(ふん、臆病者め、所詮は机の上の戦しか知らないヤツよ。
戦とは、実際に戦地に立ち、血を見なければ呼吸が掴めぬもの、
孔明が最高指揮官では、到底成功はおぼつくまい)
結局孔明は、関山道という最も遠回りのルートを選択します。
安全策を最優先した孔明ですが、ここで思わぬ拾いモノをする事になります。
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孔明、南安城を計略で落す
孔明は、魏軍を困惑させる為に、趙雲と鄧芝を囮として使い斜谷道を進ませます。
これに反応した夏候楙は、斜谷道で趙雲軍と戦い、勝てずに南安城に逃げます。
蜀軍は南安城を攻めると同時に、安定の城主である崔諒(さいりょう)に
偽手紙を送りおびき出して捕まえる事に成功しました。
孔明は崔諒に「夏候楙を捕えれば蜀で厚く用いると」誘いをかけます。
崔諒は孔明の計略を逆に利用して孔明を討ち取ろうと夏候楙と密談しますが
そこは、すっかり孔明にばれていました。
崔諒は張笣(ちょうほう)に斬られ、夏候楙は捕らわれます。
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