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121話:孔明、後継者姜維(きょうい)を得る

2016年2月15日


 

孔明 出師

 

馬稷(ばしょく)の流言により、強敵司馬懿(しばい)を追放する事に成功した

孔明(こうめい)は、新帝、劉禅(りゅうぜん)に出師(すいし)の表を奉じて、

北伐を決行しました。

しかし、北伐の序盤にして、劉備(りゅうび)存命の頃からの重臣、

魏延(ぎえん)との間で、北伐を巡り意見の相違が発生してしまいます。

ですが、この第一次北伐で孔明は後継者、姜維(きょうい)を得るのです。

 

前回記事:120話:司馬懿失脚の隙を狙い孔明は北伐に踏み切る

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明と魏延が北伐の方針を巡り対立する

魏延

 

趙雲(ちょううん)鄧芝(とうし)を先頭に、北伐の軍を進める孔明ですが、

ここで進軍経路を巡って悩む事になります。

漢中から魏の領地に出るには五つのルートがありました。

いずれのルートも秦嶺山脈の間を通過する道は長安に近道ですが険しく

反対に山脈を迂回するルートは平坦ですが長安までは遠いのです。

 

兵は拙速を貴ぶとは、孫子の言葉です、国力に劣る蜀は、

なるべく早く、長安を占拠して魏軍の反撃をうち砕く必要があります。

ですが、山道を進むのは兵を疲れさせ士気を低下させます。

あまり急ぐと、途中で魏軍に遭遇して撃破されるかも知れません。

 

議論は百出しますが、ここで魏延が、自分の意見を出します。

 

魏延「丞相、それがしに精鋭五千騎を与えて下され、

長安を守る夏候楙(かこう・ぼう)は、家柄だけで出世した青二才です。

それがしが昼に夜を継いで子午(しご)道を駆け抜け、長安に到着すれば、

夏候楙など、軽く蹴散らしてご覧にいれます」

 

孔明は、魏延の意見を退け、二人の関係に溝が産まれる

魏延 孔明

しかし、孔明は魏延のプランを採用しようとはしませんでした。

何より、子午道は険しい道であり、ここを強行軍すると

長安につく頃には兵の士気がかなり落ちてしまいます。

これで、夏候楙と戦い勝てるのか?というのが第一の不安です。

第二には、仮に夏候楙を打ち破っても、僅か五千の兵力で、

長安を奪還しようとやってくる曹真(そうしん)や張郃(ちょうこう)

大軍をしのげるのか?です。

いずれにせよ、魏延のプランは、失敗を許されない北伐プランにおいて、

余りに冒険的過ぎると孔明には映りました。

 

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魏延は孔明を内心臆病者と侮る

基礎 孔明の後継者姜維03 魏延

 

プランを却下された魏延は表面では大人しく引き下がりますが

心の内では孔明を蔑みました。

 

魏延(ふん、臆病者め、所詮は机の上の戦しか知らないヤツよ。

戦とは、実際に戦地に立ち、血を見なければ呼吸が掴めぬもの、

孔明が最高指揮官では、到底成功はおぼつくまい)

 

結局孔明は、関山道という最も遠回りのルートを選択します。

安全策を最優先した孔明ですが、ここで思わぬ拾いモノをする事になります。

 

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孔明、南安城を計略で落す

孔明 出師

 

孔明は、魏軍を困惑させる為に、趙雲と鄧芝を囮として使い斜谷道を進ませます。

これに反応した夏候楙は、斜谷道で趙雲軍と戦い、勝てずに南安城に逃げます。

蜀軍は南安城を攻めると同時に、安定の城主である崔諒(さいりょう)に

偽手紙を送りおびき出して捕まえる事に成功しました。

 

孔明は崔諒に「夏候楙を捕えれば蜀で厚く用いると」誘いをかけます。

崔諒は孔明の計略を逆に利用して孔明を討ち取ろうと夏候楙と密談しますが

そこは、すっかり孔明にばれていました。

崔諒は張笣(ちょうほう)に斬られ、夏候楙は捕らわれます。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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