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カエサルの生涯が凄すぎる!古代ローマ版曹操【ドラゴンブレイド番外】

2016年3月17日


 

ドラゴンブレイド 引用

(写真引用元:映画.com)

 

流浪の古代ローマ将軍と漢の辺境部隊長との間に生まれた

人種と民族を越えた友情を描いた映画「ドラゴンブレイド」。

ジャッキー・チェンや、ジョン・キューザックなど豪華出演陣でも話題の映画です。

でも、同じ時代にも関わらず、政治体制がまるで違うローマと中国。

そこで、今回は古代ローマの曹操とも言うべき、カエサルの生涯を説明しながら

両国の政治体制の違いを説明しちゃいます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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この記事の目次

紀元前100年、古代ローマの曹操 カエサル誕生

 

カエサルは、本名をガイウス・ユリウス・カエサルと言います。

シェイクスピア劇に馴染みがある人は、ジュリアス・シーザーで記憶していると思います。

それも、英語読みであるだけで、間違いではありませんが、

この記事ではローマ字読みの、ユリウス・カエサルで統一しようと思います。

 

彼は、共和制のローマでも由緒正しい、パトリキ(貴族)のユリウス氏族の

出身でしたが、彼の生まれた頃のユリウス氏族は、そんなに勢いがない

弱小の貴族だったようです。

 

 

 

当時の共和制ローマは内乱が頻発していた・・

 

カエサルが少年期を過ごした紀元前90年から

80年は、共和制ローマの内乱期でした。

 

紀元前91年には、ローマの市民権付与や貴族特権と

経済格差の解消を訴えるローマの同盟市との間で同盟市戦争が発生。

 

また紀元前88年からは、ミトリダテス6世が率いる

ポントス王国との戦争が始まっていました。

 

同時に国内では、富裕層である貴族階級のオプティマテス(閥族派)

VSポプラレス(民衆派)の対立が激しくなっていました。

 

曹操の少年期にも似たような対立は存在した

宦官VS外威 三国志

 

このような既得権益を巡る激しい対立は曹操の少年期にもありました。

宦官勢力対外戚勢力と清流派文人による熾烈な権力抗争である

党錮(とうこ)の禁(きん)がそれです。

二人の少年期の光景は奇妙に似ていると言えるでしょう。

 

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カエサル、貴族なのに叔母の影響で庶民派に

 

曹操がそうであるように、カエサルの人生も政争に塗れていました。

当時のローマには、元老院を中心とする有力貴族による政治を標榜する

オプティマテス(閥族派)と、選挙による市民政治を標榜する民衆階級

ポプラレス(民衆派)による抗争が激しくなっていました。

 

両派閥は、それぞれ自派の勢力を擁護する有力者を代表にします。

オプティマテスを代表するのは、ルキウス・コルネリウス・スッラ

そしてポプラレスを代表するのは、ガイウス・マリウスです。

 

カエサルは貴族でしたが、叔母のユリアが、ガイウス・マリウスに

嫁いでいる関係で幼少期から民衆派と見做されていたのです。

 

マリウスとスッラは、軍勢を率いてローマ市を取りあう事になります。

最初にマリウスがローマを制圧して、オプティマテスの有力者を粛清しました。

しかし、マリウスは高齢であり、間もなく死去してしまいます。

すると、追放されたスッラが、ローマを再奪回、民衆派は抵抗しますが、

すべて、鎮圧されて粛清されてしまいました。

 

国家の敵を殺せ!プロスクリプティオ発動

紀元前83年、父の死によって18歳でカエサル家を相続したカエサルですが、

ここで、閥族派のスッラがローマを奪還して民衆派を粛清し始めます。

この大虐殺の根拠としてスッラが利用したのが、プロスクリプティオ法です。

これは「国家の敵法」とでも言うべきもので、国家の敵と指定された人間の

財産を没収し、その生命を奪っても罪には問わないという超法規でした。

 

叔母のユリアを通じて、マリウスに近く民衆派とされていたカエサルも、

この「絶対殺すマンリスト」に名前が掲載されていました。

死が迫ったカエサルですが、当時18歳で政治活動さえしていない彼を処刑する

という事には、スッラの支持者からですら反対の声が上がります。

 

渋々、処刑を撤回したスッラですが、

「君達は甘すぎる、、あの少年の中にもマリウスはいるのだぞ」

と捨て台詞を残したと言われています。

 

後にカエサルは、元老院の力を削いで、事実上の独裁者になりますが

まさにスッラの予言は的中した形になったのでした。

 

カエサル、執念深いスッラの刺客を逃れ 小アジアへ亡命

 

表向き、処刑を撤回したスッラですが、裏では執拗に刺客を放ち、

カエサルの生命を付け狙いました。

それを恐れたカエサルは、小アジア、アカエアに亡命します。

 

ここでカエサルはシキリア属州で人生初の軍務に就きます。

彼のキャリアは亡命先で軍人となる事からスタートしたのです。

 

曹操 黄巾党が仲間に!

 

考えてみると、金持ちでも出自は宦官の孫と不遇な立場だった曹操が、

その知名度を増大させたのも軍人として黄巾賊討伐の手柄を立てた事でした。

 

カエサル 怨敵、スッラが死去しローマに帰還する

 

紀元前81年、法律を改正して終身独裁官まで出世したスッラは、

自ら皇帝になる事なく、支持母体の元老院の制度改革と権限の強化をした上で辞職。

紀元前78年には、生涯を閉じました。

 

カエサルは、スッラが終身独裁官まで出世しながら、

元老院を解体せず、せっせと共和体制を延命させた事に呆れました。

 

カエサル「スッラはアホだ、、政治のイロハが分かっていない」

 

市民派と閥族派のどっちもどっちの血の抗争を幼少期から見ていたカエサルは

早くから共和制に失望していて、独裁官を頂点にした強権政治を志向して

いたようです。

 

曹操も自身は後漢を滅ぼしませんでしたが、蔓延る宦官と外戚の横暴、

官僚腐敗を制止出来ない後漢に見切りをつけていたフシはあります。

両者は、権力を渇望するという点で、もっとも強力に似ています。

 

ともあれ、カエサルはスッラの死で逃げ回る必要が消えて

紀元前78年ローマに帰還します、23歳でした。

 

カエサル ローマで汚職官僚を糾弾し弁舌で有名に

 

カエサルは、ローマに帰還すると、低所得者が住む高層アパート街である

スブッラの一角に、質素な家を持ちます。

今でいえば、閑静な高級住宅ではなく、盛り場みたいな所に

安い事務所を借りて住むという感覚だと思います。

パトリキ出身のカエサルが、敢えて、こんな庶民が住む土地に住んだのは

もちろん理由がありました。

 

転んでもただでは起きないカエサルは、辺境で軍人をしていた時代に

調べた、ローマの総督や官僚達の地方での腐敗ぶりや汚職を、

雄弁な語り口と、身振り、手振りを交えて市民に語りました。

 

その内容と弁舌の上手さが評判になり、カエサルの名声は上昇します。

ところが、調子に乗り、当時の執政官(大統領)ドラベッラを批判して失敗、

報復を恐れたカエサルは、紀元前75年に今度はロドス島に亡命しました。

 

熱血曹操

 

曹操も若い頃は厳しい役人で、法に反した人間は権力者でも容赦なく

処断する熱血漢でしたが、カエサルにも、そういう部分があったのかも

知れませんね。

 

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カエサル海賊に捕まるが少しも恐れず

 

ロドス島に向かう途中、カエサルの船はキリキアの海賊に襲われ、

カエサルも捕えられてしまいます。

しかし、カエサルは捕まえられても、態度がデカく人質らしくありません。

海賊が身代金として、20タラントという金額を要求するとカエサルは激怒、

 

「安すぎる!!50タラントだ!50タラント要求しろ!」

 

などと自分から身代金を吊りあげる始末でした。

 

さらに、海賊にもなれなれしく冗談のような口を利き、

「おい!俺が無事に帰ったら、お前達は磔だぞ」

と軽口を叩いていたとも言われています。

 

身代金と交換に釈放されたカエサルは、すぐに海軍を率いて、

自分を人質にした海賊を捕えてしまい、、

そして、本当に磔(はりつけ)にして殺してしまったそうです。

 

カエサル、ローマに戻り軍団司令官へ、キャリアの階段を登る

 

カエサルはローマに帰還すると、軍団司令官に任命されます。

これは実際に軍を指揮する職ではありませんが、キャリア階級が

必ず任官する名誉職で、カエサルが執政官への道を登り出した事を意味します。

紀元前69年には、キャリアが歴任する財務官(クアエストル)に就任しました。

 

当時、ローマはスッラが死んでも依然、元老院勢力が強かったのですが、

カエサルは、民衆派の支持を取りつける為に、閥族派の天敵である

マリウスの像を掲げて、反元老院の立場を明らかにします。

 

カエサル アレキサンダー大王の像を見て焦る

 

財務官の任務で、カエサルは再び、ローマを離れヒスパニア(現イベリア半島)

に赴任しますが、そこで、建立されたアレキサンダー大王の像を目にします。

 

時に、カエサルは31歳、アレキサンダー大王が死去したのと同じ年でした。

 

カエサル「アレキサンダーの年齢になったのに、

まだワシは何一つ成し得ていない」

 

この言葉には、カエサルがエリートの道を登るだけでは終わらない事、

ローマそのものを変えてしまう野心を持つ事が暗示されていました。

 

カエサル 金持ちと再婚してその資産を政敵の買収に使う

 

財務官を勤めあげた事で、カエサルは元老院議員に選出されます。

元老院は、事実上、共和制ローマの政治を決定する中心機関でした。

さらにこの頃、カエサルは、死去した前妻、コルネリアの後妻として

怨敵だったスッラの孫娘ポンペイアと再婚します。

 

再婚したポンペイアの家は資産家でした。

カエサルは、この財産を惜しげもなくばら撒いて、

敵勢力の買収と人気取りの財源にしました。

 

ボンビーでは務まらない高級官僚・・

 

実は、財務官や、執政官、という高い地位は名誉職で給与が出ませんでした。

共和制の初期は、別に仕事を持ちながら勤めていましたが、

この時期になると片手間で出来る仕事ではなくなります。

 

なので、余程の金持ちでないと、その地位に留まる事は出来ません。

カエサルは、莫大な資金面のハンディを補う為に、機転が利き、

口が上手いという自分の男性的魅力を駆使して、資産家の娘を狙い、

その資金で自分の派閥を造り上げようとしたのです。

 

後世言われるような単純に浪費が好きという人物では無かったのです。

 

 

カエサル、ローマ転覆の陰謀を謀るもいずれも未遂

 

元老院議員になった頃の、カエサルは政敵に追求されるような、

いくつもの共和制転覆の陰謀に関係していると言われています。

 

その中には、後に三頭政治で、仲間になる騎士階級出身で閥族派、

マルクス・リキニウス・クラッスス元老院議員を独裁官にし、

カエサルが騎兵長官としてローマの権力を握るという陰謀もありました。

このクラッススは、映画ドラゴンブレイドに出てくる少年プブリウスの父です。

しかし、どんな陰謀も、まだ実力、知名度において元老院に敵わない

カエサルでは、成功しませんでした。

当時のカエサルは35歳、ちょうど曹操も、西暦190年、35歳の時は、

反董卓連合軍に参加したものの、ボンボンの袁紹(えんしょう)

袁術(えんじゅつ)、孫堅の力が大きく、戦争でも徐栄に大敗するなど、

何事も空回りしていた時期です。

 

カエサル最高神祇官に捨て身の立候補

 

カエサル「このままでは、ジリ貧だ、権威が欲しい!!」

何をやっても協力者が出現せず、失敗に終わるカエサルは権威を熱望します。

そこにスッラが指名した、先代の最高神祇官だった、

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス

死んだというニュースが飛び込みます。

 

最高神祇官は、これという権力はありませんが、

ローマでも随一の人格と実力を兼ね備える人間が選ばれるという

最高の名誉職であり、同時に神官の最高の地位なので、

神聖な人物であるという意味もありました。

 

通常は、50代から上の人間しか立候補しない最高神祇官選挙ですが、

権威が欲しいカエサルは、36歳の若さで立候補します。

すでに、陰謀や勢力拡大工作で、普通に働いた位では

10回生まれ変わろうが支払えない借金を背負っていたカエサルは

腹を括り、さらに協力者の大金持ちクラッススから借金をします。

 

カエサル「母上、この選挙に落ちたら、私は家には戻りませんので、、」

 

選挙に落ちれば破産するカエサルは、落選と同時に再び亡命する覚悟で

クラッススから借りた金を、支持者にばら撒きます。

立候補者はカエサルを含めて3名、多額の現金が飛び交いました。

 

ローマで最も尊敬を受ける仕事が買収で決定するというのも、

妙な話ですが、カエサルは見事に当選!!質素な自宅から、

最高神祇官用の、豪華な公邸に引っ越す事になります。

 

 

カエサル、元老院最強のライバル カトとのバトル

 

紀元前63年、ローマでは、ルキウス・セルギウス・カティリナ一派による

共和制ローマ転覆の計画が露見して大騒ぎになります。

カティリナは、元々、スッラと共に、民衆派のマリウスの一派を

粛清しまくった閥族(ばつぞく)派の政治家でしたが、スッラの死後、

贅沢から次第に借金に追われるようになり進退極まります。

 

そこで、執政官に立候補して、全国民の借金を帳消しにするという

都合の良い公約を掲げて、貧しい民衆の支持を得ようとしますが、

どっちかと言えば金を貸す側が多い閥族派の元老院は、

あたりまえ体操の猛反対でした。

 

♪借金帳消し なんて公約出すヤツは~

つ・ぶ・す あたりまえ体操~

という事で、よってたかってカティリナの立候補を妨害しました。

それを恨んだカティリナは、クーデターを起してローマの実権を

強引に握ろうとしますが、それが発覚したのです。

 

カティリナ派は早速逮捕され、元老院議員の大半は、

これに死刑を求刑します。

しかし、カエサルは、多数派の意見に同調せず、

 

カエサル「死刑は行き過ぎ、未遂じゃないか!終身刑が妥当だ」

と終身刑を主張し、死刑派の急先鋒の元老院議員カトと激しく対立します。

 

カトはカエサルより5歳年下、スキャンダルで真っ黒くろすけなカエサルとは

対照的に清廉潔白で、よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば融通が効かない、

コチコチの石頭の頑固な議員でした。

 

何となく、荀彧(じゅんいく)と曹操の関係に似てなくもありません。

元々、カトは賄賂と買収と女遊びのスキャンダルが絶えないカエサルは

大嫌いでしたが、カティリナの一件で生涯のライバルになります。

もっとも今回の一件は、民衆に人気が高い執政官の

マルクス・トウッリウス・キケロも、カティリナ死罪を主張したので、

カエサルは押し切れられます。

 

それでもカエサルは、しぶとく妨害工作をしましたが、

キケロやカトを支持する熱狂的な死刑派の一団に狙われ、

危うく殺されかけ、さすがに懲りて自宅に引きこもりました。

 

カエサル、カティリナの一味の疑惑が掛かるが・・

 

カティリナのクーデター事件は予想に反して長引き、紀元前62年には

より一層の真相究明を求める会議が開かれます。

ここでは、カティリナを糾弾して死刑に追いやった執政官キケロが、

 

「実はクーデター計画を知っていながら、阻止せず黙っていたのでは?」と

一人の元老院議員から疑いを掛けられました。

 

キケロは憤慨し、疑惑を晴らした上に、キケロに疑惑を掛けた

議員こそが、実はカティリナと繋がっていた事を暴露します。

議員は即時逮捕投獄されました。

 

こうして、カティリナ裁判は、見苦しい政敵追い落としの方策に

利用されます、この中でもカエサルは、

「事件はカティリナと一味を処刑して解決した、不毛な連座制反対!」

とこれ以上、事件の傷を広げる事に反対します。

 

ですが、そうなると、最初から最期までカティリナ一味の死刑に

反対したカエサルにまで疑いが掛かるのは避けられません。

この追求に熱心だったのは、あの清廉潔白がウリのカト議員です。

 

カエサルは、カトの執拗な追求にさらされます、

彼は、のらりくらりとかわしますが、その途中、彼の部下が、

一枚の手紙を手渡しました。

 

カトは、それをカティリナ一味との繋がりを示す証拠と踏んで、

カエサルに公開を求めます。

 

カエサルは、顔色を悪くして、

「これは、ここで公開するには馴染まない」と言葉を濁したので、

カトは、これは証拠になると確信し執拗に公開を要求しました。

 

ところが、カエサルが渋々、手紙の内容を公開すると、それは証拠ではなく、

カトの異母姉、セルウィリアがカエサルに宛てたラブレターだったのです。

 

カト「こ、、この女ったらしのハゲの悪党め!!」

カトは精一杯の罵りの言葉をぶつけますが、実の姉の政敵への

ラブレターを前にしては、もう真面目な疑惑追求は出来ません。

議場は大爆笑の渦に包まれ疑惑は一瞬で吹き飛んでしまいました。

 

古代ローマ版、三国志?三頭政治の始まり

 

紀元前61年、カエサルは前法務官という肩書きでヒスパニア、

ウルステリオル属州総督(そうとく)として赴任します。

この土地で、カエサルは異民族でローマに従わない部族を攻撃して、

次々と平定しました。

そして、その過程で得た戦利品を国庫に入れず、自分のポケットに

着服する事で借金大王から抜け出し、大きな資金を得てローマに帰還します。

 

紀元前60年、カエサルは、最高権力である執政官への当選を渇望します。

執政官の任官は40歳以上なので、カエサルはその年齢を迎えたのです。

ですが、このままでは、閥族派が多い元老院に阻まれるのが確実なので

カエサルは、ポンペイウスとクラッススという二人の実力者を引き込みます。

 

楚漢戦争で言えば項羽!ローマきっての名将、ポンペイウス

 

グエナウス・ポンペイウスは、カエサルより6歳上で46歳です。

カエサルにとっては、敵であった閥族派のスッラ配下の将軍でしたが、

18歳から軍役について、ポプラレス(民衆派)を倒して手柄を立て、

スッラの死後は自立して、アフリカ戦役、ヒスパニア戦役、海賊退治、

オリエント征伐と共和制ローマの領土を拡大させました。

 

ポンペイウスはローマ史上、きっての名将という評判が高く、

カルタゴの英雄ハンニバルを破った名将軍スキピオに匹敵するとも言われます。

 

項羽

 

楚漢の戦いで言えば、項羽(こうう)でしょうし、


三国志で言えば呂布(りょふ)でしょうね。

 

もちろん、ちょろちょろした手柄しか立てていないカエサルとでは、

人気は雲泥の差でしたが、逆にその人気の高さを元老院に警戒され、

大きな不満を抱えている状況でした。

そこでローマ軍を握り、国民人気が高いポンペイウスを

カエサルは言葉巧みに味方に引き込んだのです。

 

元々、ポンペイウスとは仲が悪かった、金持ち代表クラッスス

(写真引用元:クラッスス)

一方のクラッススも閥族(ばつぞく)派、カエサルより15歳年上の騎士階級の人物です。

将軍としては、大した手柄はなく、ポンペイウスに十歩も百歩も、

水をあけられていますが、彼は商才に優れ、親分のスッラが、

ポプラレス(民衆派)から没収した財産を安く買いたたいて蓄財しました。

さらに、その財産を有能な奴隷を使って資産運用するなどして、

巨万の富を築き、カエサルの最大の債権者でした。

 

ちなみに、クラッススの個人資産は、1698億ドルと言われています。

日本円では、約20兆円ですが、もう笑いしか出てきませんね。

 

カエサルは、元々犬猿の仲の二人を上手く丸めこんで味方に引き入れ

元老院をけん制する事で、40歳という若さで執政官に当選します。

 

ポンペイウス・クラッススの力を借りて、カエサルは元老院の力を削ぐ

 

犬猿の仲の二人を味方につけたカエサルは、恨み重なる元老院の力を削ぐ為に、

元老院の議事録を文書化する法律を通過させます。

これにより、これまで噂話で聞くしかなかった元老院議員の発言は

ローマ市民なら、誰でも自由に閲覧できるようになります。

これにより、元老院議員は、迂闊な差別発言は出来なくなり罵りあいが減りました。

さらに、カエサルは、長い間、閥族派の反対で実行できなかった、

個人の土地の所有面積を制限する法律、「農地法」も可決します。

 

これによって、大土地所有者の元老院議員は、

規定以上の面積の土地を手放さざるを得なくなります。

 

国庫に返還された土地は、土地がなく大土地所有者の小作人だった

貧しい市民に再分配されます。

一連の施策は、元老院の力を削ぎ、民衆派の力を強めるものでしたので

執政官、カエサルの庶民人気は、さらに高まる事になります。

 

カエサル武勲を求めて、ガリア遠征に赴く

 

紀元前58年、カエサルは執政官の任期を終えます。

そこで、彼はこのように考えました。

 

「ワシには、ポンペイウスのような武勲も個人の軍隊もない

また、クラッススのような富の持ち合せもない・・

三頭政治は、いつ崩壊するか分からんし崩壊すれば一番損をするのは、

もっとも力でも金でも劣るワシである。

ならば、三頭政治が機能している間に、ワシは金と力と名声を

手に入れなければなるまい・・それを可能にしてくれる方法は

たった一つ、ガリア遠征である。」

 

ガリアとは、今のフランス、ドイツ、イギリスを含む広大な地域です。

紀元前には、ケルト人が複数の部族に別れて住んでいましたが、

ローマに対して友好的であるとは言えませんでした。

 

しかし、カエサルにとっては、それは好都合でした。

彼は、ガリア遠征でこの地域の異民族を従えて、ローマの属州にし

凱旋将軍として、ローマ市民の人気を集めようとしたのです。

 

同時に、長期にわたり、ガリアに留まる事で、ローマ軍として、

出発した軍団をカエサル軍に変え、私軍にするという思惑や、

ヒスパニアでそうしたように、獲得した戦利品を自身の財布に

放り込んで、富を増やすという目的もありました。

 

ガリアの英雄、ウェルキンゲトリクスに苦戦しながらも平定

 

ガリアでの戦いは、組織的な動きをするローマ軍が個々人は強くても

バラバラな攻撃をするケルト人諸部族を撃破する展開でした。

しかし、アルウェニー族の若き族長、ウェルキンゲトリクスが登場し、

バラバラな諸部族を統合して、ゲリラ戦、焦土戦、兵站の分断を

行うようになると苦戦が続きます。

 

カエサルは、小さな辛勝を繰り返しつつ、ウェルキンゲトリクスを追い込み、

紀元前52年、アレシアの戦いで、これを破り捕虜にします。

ガリア征服の情報は、ローマに伝えられ、多くの市民がカエサルに熱狂しました。

 

厳しい戦いで、カエサル軍は鍛えられ、精鋭揃いになります。

また足かけ9年にも及ぶ戦いは、カエサルと兵士の間に友情を育みます。

こうして、ローマ軍はカエサル軍になり、カエサルは自前の軍と、

ポンペイウスに負けない名声と、クラッススに負けない富を得ました。

 

共通点が多い、曹操の烏丸(うがん)討伐とカエサルのガリア遠征

烏桓

 

ところで、三国志でも曹操が赤壁の戦いの前に北方の憂いを断つ為に、

烏丸族の討伐を行いますが、ガリア遠征は、それに似ています。

また、文才の高いカエサルは、この一連の戦役をガリア戦記として

記録しますが、一方の曹操も、烏丸討伐の苦しい行軍を沢山の詩にして

後世に伝えています。

 

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クラッスス、パルティアに敗れて戦死!三頭政治終結

 

紀元前53年、再び、三頭政治の合意で、執政に就任していたクラッススは、

歴代執政官が、望んで果たせなかったパルティア征服の野心に取り憑かれます。

 

政敵であり大口の債務者、カエサルは、ガリア遠征で華々しい戦果を上げ、

ポンペイウスは、エジプト王を自力で王位につけるなどして、

隠然たる実力を見せつけていました。

 

その中でお金以外は、見劣りするクラッススが、歴代の執政官が、

成しえなかったパルティア征服に魅了されたのは仕方ありませんでした。

パルティアが屈服すれば、東の大国、漢とローマが直接に通じて、

莫大な富が転がり込むという目算もあったでしょう。

 

ですが、パルティアンショットを産み出した、無敵の騎馬民族である

パルティアは、クラッススの想像を超えた強さでした。

4万の軍勢を率いて、砂漠を横断したクラッススの率いるローマ軍は、

パルティアンショットの前に壊滅。

 

傷病兵、4000名を置き去りに、ローマ軍は撤退、

軍団長クラッススと息子のプブリウスは戦死する惨憺たる大敗北でした。

この4000名の中の一部が、漢の西域に辿りついた話が、

ドラゴンブレイドの元ネタになった逸話なのです。

 

クラッススが死んだ事で、微妙な均衡を保った三頭政治は破綻します。

 

元老院最終勧告発令、カエサル、ポンペイウスと元老院に戦いを挑む

 

ポンペイウスは、妻にしたカエサルの娘、ユリアが病死し、さらに、

クラッススが戦死した事で、カエサルから離れ、元老院に接近します。

すでにガリア遠征で、自身に匹敵する手柄を挙げたカエサルは、

ポンペイウスにも脅威になっていたのです。

 

軍事力を持たない元老院は、ポンペイウスを抱き込んで安心し、

まずは、カエサルを除こうと決意し、紀元前49年、カエサルに

ガリア総督の解任と、軍隊の解散を命じる元老院最終勧告を出します。

 

カエサル、ルビコンを渡る、賽(さい:サイコロ)は投げられた!!

 

元老院の最終勧告を聞いた時、カエサルは51歳になっていました。

ここで、言う通りにすれば、仮に殺されなくても、もう浮上出来ないでしょう。

敵は元老院だけならまだしも、強敵のポンペイウスまで付いています。

それでも躊躇わず、カエサルは自軍を率いて、ルビコン川の前まで来ました。

ここを越えれば、ローマの本拠地、武装を解かないなら反乱です。

 

カエサル「兵士諸君!ここを渡れば人間世界が破滅する。

さりとて、渡らねば今度は私が破滅する。

それならば行こう!運命の神々の待つ所へ!そして我々をコキ使い、

侮辱した汚らしい元老院の連中が待つ愛しきローマへ!!

我が勇者達よ!今、賽は投げられたり!!」

 

カエサルは、悠々と小さなルビコン河を渡りました。

兵士達は歓声をあげて、これに従います。

この瞬間、カエサルは共和制ローマに対する反逆者になりました。

 

カエサル軍、怒涛の進撃でイタリア半島を支配下に

 

ルビコン河を越えたカエサル軍は、

アドリア海沿いにイタリア半島を制圧していきます。

一方で、ポンペイウスには油断があり、ローマにいて

兵を集める余裕がありませんでした。

 

そこで、ポンペイウスは、自身の縄張りであるギリシャに後退します。

もちろん、軍事力はポンペイウス頼りの元老院議員も従いました。

 

いつもいつも、軍事力を持つ将軍を抱き込む元老院は、

三国志の宦官勢力のように見えます。

 

これによって、カエサルはローマに入城してその支配権を確立します。

さらに、ポンペイウス派の元老院議員がいる、ヒスパニアと、

マッシリアを討伐して、背後から襲われる恐れを無くしてから、

カエサルは自らが仕切り、執政官選挙を行い紀元前48年に、

執政官に選出されます。

 

カエサル、ポンペイウスを追い遠征し、大敗北

 

カエサルは、執政官に就任して10日で職を辞すると、

ギリシャ方面に移動したポンペイウスを追いました。

 

ギリシャに上陸した、カエサル軍は、元老院派の兵站基地である

デュッラキウムの戦いでポンペイウスと対峙します。

この戦いでは、ポンペイウスの軍は臨時徴収の新兵ばかりでしたが

騎兵においては、カエサル軍を上回り、また、総兵力は45000と

カエサルの15000を上回ります。

 

さらに兵站基地であり、食糧にも余裕がある事から、ポンペイウスは

あまり積極的には動かず、拠点に籠り、南側から海軍にも攻撃を掛けさせるなど

複合攻撃を行い、南側が弱点だったカエサル軍を崩壊させます。

 

しかし、ポンペイウスは、58歳と年をとっていて、

用兵が慎重である事や、カエサル軍のあまりに見事な負けっぷりから、

伏兵を疑うなどした為に、とうとう追撃には移りませんでした。

 

もし、この時、ポンペイウスが追撃を命じていたら、

私は戦死していただろうとカエサルは回想しています。

 

 

ポンペイウスは、持久戦でカエサルの自滅を狙うが・・

 

ポンペイウスが、あまり積極的に戦わないのには

年相応の慎重さ以外にも、兵力と食糧と経済力において、

圧倒的にカエサルより有利であるという事がありました。

ポンペイウスよりも、少ない兵力で戦うカエサルは経済力に乏しく

自軍が崩壊する事を恐れて短期決戦を挑んでいると理解していたのです。

 

ならば、挑発には乗らず、相手にせず、カエサルが

軍を維持できなくなった時を突けばいいと、

ポンペイウスは気長に構えていました。

 

しかし、歴戦の名将、ポンペイウスの思惑を理解できているのは、

海軍を担当しているカト議員位でした。

戦争を知らない元老院議員は、少数のカエサルを避けている、

ポンペイウスの戦術が理解できず、腰抜けや愚鈍と罵り、

一刻も早い決着を望んだのです。

 

ポンペイウス(くそっ・・戦のイロハも分からん、馬鹿どもが、、

職業軍人であるワシに、偉そうな口を叩きおって)

我慢していたポンペイウスですが、あまりの悪口に耐えきれず、

とうとう決戦を決意します、その場所がファルサルスでした。

 

ファルサルスの戦いが開戦

 

ファルサルスの戦いは、カエサル軍、23000、

ポンペイウス50000で行われました。

この当時の戦いを左右した騎兵の数でも、カエサル1400、

ポンペイウス4000~7000と大きな違いがありました。

 

しかし、ポンペイウス軍は、数こそ多いものの、

各地で募集した多国籍兵の寄せ集めで、命令系統が徹底しません。

一方で、カエサル軍は、歴戦の勇者で、一枚岩の動きが出来ます。

 

中央で行われた、右翼、中央、左軍の歩兵の激突は、

兵力で圧倒しているにも関わらず、ポンペイウスの側が鈍く、

思った以上に、カエサル軍の兵力を減らせません。

 

「ならば、優勢な騎兵でカエサルの本陣を突き、一撃で決める」

 

ポンペイウスは、騎兵隊長のティトゥス・ラビエヌスに命じて、

カエサル本陣を突かせます。

 

ラビエヌスは、元々、カエサルと仲が良く、カエサルのガリア遠征でも、

その片腕として認められ大活躍していました。

しかし、ラビエヌスはカエサルとの友情より上官であるポンペイウスを選び、

今回の内戦では敵になったのです。

 

疾走する騎兵は、風のように、勝手知ったるカエサルの本陣に向かいます。

しかし、何故か、カエサル軍の騎兵は、それを見ても動こうとしません。

「オカシイな」と感じた、ラビエヌスの前に突然、伏兵が出現します。

 

それは、ガリア遠征で活躍した最強のベテラン兵でした。

馬は突然出現した伏兵に驚き、足が止まります。

 

カエサルは、伏兵に、策を授けます。

 

「固まってガードし、手やりは投げずに、

騎兵の顔や目を狙って攻撃せよ」

ラビエヌスは騎兵をカエサルの元に進ませようとしますが、

目の前の伏兵に気を取られた馬は言う事を聞きません。

そのうちに、カエサル軍の騎兵も背後から襲いかかりました。

総崩れとなったラビエヌスは、唯一空いている南方向に逃げます。

 

カエサル反撃に転じ、ポンペイウスを撃破

 

それを見たカエサルは、騎兵と伏兵にそのまま、

ポンペイウス本陣を突く事を命じます。

さらに、左翼軍と中央軍に、敵の右翼軍を全力で叩く事を

伝令しました。

 

程なく、ポンペイウスの右翼軍は崩壊、そのまま、カエサル軍の

左翼軍は、空いた通路を通り、右方面から飛び出た、

騎兵・伏兵とポンペイウスの本陣を挟み撃ちにしました。

 

ポンペイウス「見事な用兵だ、、カエサル」

 

すでに挟み撃ちを察知したポンペイウス本陣は敗走、

元老院議員も散り散りバラバラに逃げさりました。

 

ポンペイウスは、エジプト、アレキサンドリアまで逃げて、

再起を図りますが、エジプト、プトレマイオス13世の計略で殺害されます。

向かう所、敵なしだった非凡な将軍ポンペイウスは、

ただ一度の敗戦で生命を含めた全てを失う羽目になりました。

この辺りは、楚の項羽にそっくり似ていますね・・

 

カエサル、アレキサンドリアでクレオパトラに逢う

 

カエサルは、それを追い、アレキサンドリアに上陸、ここで、

弟、プトレマイオス13世と王位を争っていたクレオパトラ7世と逢います。

その知的な美貌の虜になったカエサルは、クレオパトラに加担して、

王位争奪の戦争に参加し、ナイルの戦いで、プトレマイオス13世を撃破、

これを戦死させました。

かくして、エジプトはクレオパトラ7世と、弟プトレマイオス14世の

共同統治の時代を迎えるのです。

 

残敵の掃討と、ローマへの凱旋

 

アレキサンドリアでクレオパトラと蜜月の日々を送っていた

カエサルですが、平穏な日々は長くは続きません。

小アジアに派遣した部下がポントス王に敗北したと聞くと、

自ら兵を率いてゼラの戦いで、これを撃破します。

さらに、ポンペイウスの死後も、ヌミディア王、ユバ1世と組んで、

カエサルに抵抗していた元老院派残党を撃破、ウティカでは、

カトを攻撃しこれを自殺に追い込みました。

 

紀元前46年、カエサルはクレオパトラをローマに招き、

壮大な凱旋式を行いました、時にカエサル54歳、

ルビコンを渡る時に投げた賽は、粘り強く、確実な勝利を

積み重ねるカエサルに大きな成功を与えたのです。

 

 

カエサル、終身独裁官へ就任

 

目前の敵を全て一掃したカエサルは、権力への野心を隠そうとはしません。

まず、自分に反抗的な元老院の力を削ぐ為に、600名定員の議席を、

ローマの属州にも開放し900に増やしました。

 

表向きは、属州にも政治に参加する権利を与える事でしたが、

議員の絶対数を増やして、意見の統一を阻止する事が狙いでした。

新しい300名が、全てカエサルを支持したのは言うまでもありません。

 

さらに、民衆派の制度であった民会や、護民官(ごみんかん)の権力を

大幅に減らし、独裁官の追認機関にしてしまいます。

ここに、事実上は、閥族派でも民衆派でも無かった、

カエサルの真意がはっきり表れていると言えるでしょうね。

 

こうして、下準備を施した上で、カエサルは終身独裁官に就任します。

40年ほど前に、閥族派の怨敵スッラが共和制を立てなおす為に

制定した独裁官に、カエサルは生涯の独裁者となる為に就任したのです。

 

体制転覆を恐れる共和派がカエサルを暗殺!!

 

しかし、順調に見えたカエサルの独裁官就任は

共和制の転覆を恐れる新たな敵を産み出しました。

ローマ市民も、凱旋将軍だったカエサルは賞賛しましたが、

彼が終身独裁官になると、不信感を表明します。

その不穏な空気を後ろ盾に反カエサル派は彼の暗殺計画を進めました。

 

運命の紀元前44年、3月15日・・

カエサルは、妻の

「悪夢を見たから元老院に登庁するのはやめて下さい」

という訴えを一笑に付して登庁します。

 

そして会議が始まる直前、ポンペイウス劇場に繋がる列柱廊で、

数人の共和派の刺客にめった刺しにされ絶命します、56歳でした。

刺し傷は23もあり、その中の3番目が致命傷になったようです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

カエサルは、非常に用心深い曹操と違い、

「暗殺を恐れてビクビクしていては、生きていても面白くない」

とうそぶいて、護衛をつけるのを嫌がる部分がありました。

 

そういう部分は、若い時ならいいですが、独裁官に就任し、

何万という人間の恨みを受ける身になっても変わりませんでした。

そこが暗殺という不名誉な死を招く事に繋がります。

 

一方で彼は、曹操のように、政敵であっても、余り殺そうとせず、

味方になるなら、許すという度量が広い部分もあります。

そこには、少年期に閥族派、民衆派と政治のスタンスが違うだけで、

親族同士の殺し合いが生じた事への嫌悪感があったのかも知れませんね。

 

本日はドラゴンブレイドの話題にお付き合い頂き有難う御座います。

 

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はじめての三国志読者の声

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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