【蜀の建国~滅亡まで】蜀の国を背負って戦い続けた丞相【孔明編】

2016年10月4日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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孔明

 

荊州で晴耕雨読(せいこううどく)の人生を送っていた諸葛孔明(しょかつこうめい)

彼は劉備の人柄と篤実さにほれ込み彼に仕えることになります。

劉備に仕えた孔明は、政治家としての能力を発揮し、

天下三分の計の要となる益州を劉璋から奪うと、益州を豊かにするため、

優れた政策を計画、実行していきます。

そして劉備が亡くなった後は、蜀の国を背負って一人、

国の安定を図りながら魏との戦いを行っていきます。

今回は劉備から蜀の国を任された孔明がなぜ亡くなるまで、

魏と戦いを続けなくてはならなかったのかを孔明の足取りを追いながら

分かりやすく説明していきます。

 

乱世の英雄・劉備死す

劉備

 

劉備は夷陵の戦いが蜀軍の大敗北で幕を閉じると病に倒れてしまい、

そのまま回復することなく、瀕死の状態になってしまいます。

劉備はこのままでは自分がいつ死んでもおかしくない危険な状態になると、

息子である劉禅(りゅうぜん)と蜀の政治家として国を治めている諸葛孔明

そして益州で仲間になった家臣団を代表して李厳を呼びます。

彼は三人がやってくると孔明に「私の息子はポンコツだから、

君が蜀の国を治めてくれ。」と孔明に劉禅を押しのけて、

蜀の君主として立つように依頼します。

孔明は劉備の言葉を聞いて大いに驚きますが、「陛下。私はあなたの息子をしっかりと

補佐して、蜀の国を盛り立てていく所存です。安心してください。」と

劉備の意見を受け取らず、劉禅を補佐していく決意を述べます。

劉備は孔明の意見を聞くと大いに頷き、劉禅に対して

「孔明の意見をしっかりと聞き、勉学に励んで、国を治めよ」と遺言を残した後、

静かに目を閉じて、息を引き取ります。

こうして乱世の英雄であった劉備は亡くなります。

孔明はここから蜀の二代目君主である劉禅を補佐しながら、

蜀の国を盛り立てていく事になります。

 

南方が反旗を翻す

孔明

 

劉備が亡くなると、蜀の南方にいる太守達が異民族と結託して、反乱を起こします。

孔明は蜀の南方の異民族討伐へ向かいたかったのですが、

夷陵の戦いで大敗北したせいで、軍勢の力と国力が蜀の建国時と比較して、

大幅に減少したため、討伐することができませんでした。

また呉との同盟を再開させることも喫緊の課題であったため、

南方に目を向ける余裕がありませんでした。

南方の反乱軍達は、蜀軍が討伐に来ない事を知ると、

近隣の都市へ攻撃を仕掛けて陥落させていき、南方の反乱は時間が立つに連れて、

日に日に拡大していく事になります。

 

呉へ使者を送る

孔明

 

孔明は南方の反乱をとりあえず放置して、呉との同盟締結を急ぎます。

このような状況の中、孔明に呉と再び同盟を結んで、魏に当たるべしと

進言してきた人物がおりました。

その名を鄧芝(とうし)と言います。

 

孔明は鄧芝が呉との同盟が喫緊の課題である事をしっかりと

理解している事に驚きと共に彼を呉との同盟締結の使者として送れば、

呉と再び同盟を締結できるかもしれないと考えます。

こうして孔明は鄧芝を呼び出し「私は君と同じように、

呉と再び同盟を結ぶことが喫緊の課題であると認識していた。

 

しかし今まで呉と同盟を修復できる人物が見当たらずに困っていたが、

やっと同盟を締結できる人材と巡り合うことができた。

呉との関係を修復し、同盟の再締結を君に行ってもらいたいと思う。

やってくれるか。」と呉への使者になってくれるように、鄧芝に依頼します。

鄧芝は孔明の言葉を聞き、「わかりました。私も丞相と同じ意見を持っていたので、

ぜひこの役目をやらせていただきたいと思います。」と呉への使者になることを快諾。

こうして鄧芝は孔明に呉と関係を修復して、同盟を再び結ぶために呉へ旅立つことに

なります。

鄧芝の弁舌が孫権を動かす

 

孫権

 

鄧芝は呉へ赴き孫権と会見することになります。

彼は孫権と会見すると「王よ。長江の険峻な守りを用いて、魏との同盟を破棄して、

蜀と同盟を結んで魏へ攻撃を仕掛けていけば、

魏を倒すことができると思います。

魏を討伐することに失敗したとしても魏は国力のすべてを傾けて、

呉を討伐することはできないでしょう。

それは諸葛孔明率いる蜀が東にいるからです。

魏がもしも国を挙げて全力で呉を攻撃したとしても、

蜀が軍勢を北上させて、魏の領土に攻撃を行うため、

魏は呉へ全力で攻撃することはできません。」と一度言葉を切って孫権を見上げます。

孫権は鄧芝の言葉を聞きながら、何度もうなずいておりました。

鄧芝は自らの弁論が孫権に響いている手ごたえを感じて、

論を展開していきます。

 

鄧芝の活躍により蜀・呉同盟が復活

劉備と孫権同盟

 

鄧芝は孫権に対して再び、鮮やかな弁舌を再開します。

彼は「しかし魏との同盟を維持している場合、

魏から色々と要求を突き付けられる事になります。

そして一つでも魏の要求をはねつけた場合、

魏は呉に対して攻撃を行うことになるでしょう。

この時蜀軍も永安から軍勢を出陣させて、荊州へ攻撃を仕掛けた場合、

王はどのようにして魏と蜀の両軍からの攻撃を防ぐのですか。

危機に瀕した時に蜀へ同盟を持ち掛けても成立させることは難しいと思います。

そのため、両国が同盟を締結させ、協力して魏に攻撃をかければ、

蜀も呉も滅亡のする可能性は低く、魏を圧倒することも可能です。

蜀と同盟を結んで魏を滅ぼし、共に天下統一を実現させませんか。」と結びます。

孫権は鄧芝の言葉をすべて聞くと、「わかった。再び同盟を結んで、

共に魏を討伐しようではないか。」と伝えます。

こうして蜀・呉同盟は再締結することになり、孔明の一番の不安要素が無くなり、

南方の反乱鎮圧に全力を傾けることが可能となります。

 

初めての戦

孔明 軍師

 

孔明は鄧芝が帰ってくると大いに彼を誉めた後、

ついに南方の反乱軍討伐へ出陣しますが、この戦いは孔明にとって大事な戦でした。

孔明は今まで劉備に従っていくつかの戦いに参加することはありましたが、

劉備の相談役として従っていたので、武将や軍勢を率いての戦いは一度も

したことがありませんでした。

そして今回の南方の反乱鎮圧戦は、孔明が初めて兵士や武将を率いての戦いになるので、

自分がどの程度、武将達や兵士達を指揮することが可能なのかを試す

絶好の機会となります。

 

反乱軍の首謀者達の討伐に成功

孟獲

 

孔明は東と西に軍を分けて、東西で進軍をしていき反乱軍を挟み撃ちにして、

鎮圧する方法を取ります。

東回りで進軍を行っていくのは夷陵の戦いに参加して、

軍略の才能を発揮させた馬忠(ばちゅう)が兵を率いて進軍します。

孔明は自ら軍勢を率いて西回りで進軍していきます。

そして東西の軍勢が合流するポイントは南方の奥地にある味県(びけん)と言われる

場所です。

こうして東西に分かれて進軍を開始。

西回りの兵を率いる孔明は、反乱軍を次々と撃破していき、

反乱軍の首謀者の一人である高定(こうてい)を処断し、味県に到着します。

馬忠も反乱軍の首謀者を討ち、孔明との合流ポイントに到着。

 

「七禽七縱」の故事が生まれる

孟獲キャッチコピー01

 

東西に分かれて反乱軍を討伐していった二軍は、反乱軍敗残兵をまとめて、

大将となった孟獲(もうかく)を討伐するため、南方奥地へと進軍を行っていきます。

孟獲討伐戦では七度、彼の軍勢を破っては捕らえ、

ついに反乱軍を従わせることに成功します。

孟獲を七度捕らえて、七回目に従わせた故事を

「七禽七縱 (しちきんしちしょう=七たび捕らえて、七度目に従わせた)」と言います。

孔明は孟獲が服従を誓った事で、反乱軍討伐戦は完了したと判断し、

成都へと帰還します。

孔明は南方の反乱鎮圧戦で軍指揮に多少の手ごたえを感じます。

こうして南方は蜀の政権に服従を誓い、特産品や兵士を送ることになり、

蜀の政権は南方からの特産品などを軍事費とする事で、軍備は拡大することになります。

孔明が北伐を継続して行うことができたのは、

南方からの特産品によって軍事費を賄っていたことが第一に挙げられます。

国力増強に励む

 

祁山、街亭04 孔明

 

孔明は南方の反乱軍を討伐し、成都へ帰還を果たします。

その後、魏の討伐を行うため将軍達にしっかりと兵士を鍛えさせていき、

内政面では王連(おうれん)が残した塩と鉄の専売制や

蜀錦(しょくきん)と呼ばれる特産品などを諸国に売りさばき、国力増強に努めていきます。

こうして少しずつ国力増強に努めた末、

南方の反乱鎮圧から三年後、ついに魏を討つべく北伐を決行します。

 

出師の表を書いて決意を示す

孔明 出師

 

孔明は北伐を行う前年、自らの決意を示す「出師の表」と

言われる上奏文(じょうそうぶん=皇帝に事情などを出す意見書)を劉禅に出します。

この意見書の内容は、孔明がいかに劉備から恩を受けていた事や劉禅に対して

色々なことに注意すべしと諭す内容となっております。

また蜀の政権が保っているのは、郭攸之(かくゆうし)・費褘(ひい)・董允(とういん)

・向寵(しょうちょう)などの優秀な人材達のおかげであることから、

大事にするべしなどが書かれている内容となっております。

この「出師の表」は三国志一の名文とされており、「この出師の表を呼んで泣かない者は、

不忠の者である」と言われるくらい皇帝に尽くす孔明の姿が描かれております。

 

魏延の進言

魏延

 

孔明は軍勢を率いて、漢中に到着すると軍議を開きます。

孔明は軍議を開始すると、一人の男が立ち上がり発言します。

この男の名は魏延

彼は南荊州の長沙(ちょうさ)を陥落させた時に、

黄忠(こうちゅう)と共に劉備軍に加わることになった武将です。

その後益州攻略戦や定軍山の戦い、漢中攻防戦などで功績をあげてきた、

たたき上げの将軍です。

その魏延が孔明に対して「私が五千の兵士を率いて、

長安を攻撃すれば長安の守将である夏侯楙(かこうぼう)はビビッて逃げ出すことでしょう。

そして丞相率いる蜀軍本隊が進軍して来れば、長安を手に入れることができ、

長安より西側の地域も手に入れることが可能でしょう。」と進言します。

しかし孔明は魏延の策を採用することはしませんでした。

魏延の策は中々いいところをついている作戦だと思いますが、孔明はなぜ魏延の策を

採用しなかったのでしょうか。

 

魏延の策を採用しなかった理由

魏延 孔明

 

孔明が彼の策を採用しなかった原因は、蜀軍の兵数の少なさが問題でありました。

もし魏軍のように大軍を動員できる国力があれば、

魏延の策を採用して長安へ攻撃する作戦も可能であったかもしれません。

しかし蜀軍は三国一国力が少なく、冒険的な作戦を実行できるほどの余裕は、

ありませんでした。

そのため魏延の作戦を採用しないで、堅実な作戦を実行していきます。

 

孔明の作戦

基礎 孔明の後継者姜維03 魏延

 

孔明は魏延の作戦を採用せず、自らが考えた作戦を皆に伝えます。

その作戦とは、わざと魏軍に長安近辺にある郿城(びじょう)へ

進軍すると偽の情報を流すことから始まります。

この情報に真実味を帯びさせるため、蜀の重鎮である趙雲と鄧芝(とうし)に軍勢を率いて

長安に一番近い道である褒谷道(ほうやどう)へ進軍。

そして孔明率いる蜀軍本隊は魏軍が趙雲軍の方へ向かっている間に、

祁山(きざん)を奪い、雍州の魏の領土を攻撃して領土とし、

涼州と長安を分断させることを目的とした作戦です。

孔明はこの作戦を皆に伝えると早速、軍勢を二手に分けて出陣します。

 

馬謖の軍略に期待を寄せる

馬謖 孔明

 

孔明は祁山へ到着すると、雍州の各城へ蜀に寝返るように調略を開始します。

調略が実を結ぶまで時間がかかるため、

雍州進出の要となる街亭へ蜀軍の中から誰かを派遣して、

駐屯させようと考えます。

この時、一人の若者が名乗りを挙げます。

名乗りを上げた人物の名は馬謖(ばしょく)です。

孔明は彼を実の息子のように可愛がって、色々と学ばせてきました。

孔明は馬謖の成長が著しいことを身近で感じてきたこともあり、

彼を雍州攻略の要である街亭へ派遣することにします。

この時孔明は馬謖に「街亭は雍州攻略の要となる地である。

そのためこの地をしっかりと守ることが第一であるが、

街亭の山上で陣取ってはならない。しっかりと山上ではなく平地に陣取って、

私が来るまで守り通してくれ」と注意を促した後に出陣させます。

孔明の命令を無視して山上へ陣取る

 

基礎知識 馬謖03

 

馬謖(ばしょく)は軍勢を率いて出陣して、街亭(がいてい)に到着すると

近くにある山を見上げます。

彼はこの山に登って魏軍を迎撃することで、大勝利を得られると確信を抱き、

孔明に言われていた「街亭近くの山に登らず、私が来るまで平地に陣取って、

守り通してくれ」との忠告を無視してしまいます。

馬謖の副将として付けられていた王平(おうへい)は馬謖が山上へ軍を移動させると

通告を受けると急いで彼の元に行き、「馬謖殿。丞相は平地に陣取れ。と言っておりました。

山上へ登れとは言われておりません。」と忠告。

しかし馬謖は王平の言葉を忠告も無視して、山上へ兵をあげてこの山に駐屯します。

 

馬謖が陣取る山上を包囲

基礎知識 馬謖04 張コウ

 

張郃(ちょうこう)は蜀軍を迎撃するため、街亭へ進軍してきます。

彼は蜀軍が山の上に陣取っている事を知ると、周りに伏兵が居ないか調査を開始。

この調査で山上付近に伏兵が潜んでいない事を知ると大笑いし、

側近に「山上に陣取っている武将は軍略という者を知らない愚か者だ。

山上へ陣取る場合、付近に伏兵を潜ませるものだが、

山上に陣取っている武将は伏兵さえ潜ませず、ただ山上に陣取っているだけだ。

我らは山上を包囲して、水の補給を断ち切れば、

あの軍に勝つ事は難しいことではない。」と言い放ち、

自ら率いてきた軍に山の周りを包囲するように指示を出します。

 

馬謖が大敗北し、北伐は失敗に終わる

基礎知識 馬謖05 孔明

 

馬謖は張郃が山の周りを包囲し始めたことに危機感を感じます。

また水の補給を担当していた者から「水が断ち切られてしまい、

水の補給が困難になっております。どうしましょうか。」と指示を仰いできます。

この報告を聞いた馬謖は大いに困惑してしまい、どうすべきか判断に困ってしまいます。

じりじりと山上の包囲が魏軍によって狭まり続けている状況を打開するため、

ついに魏軍に攻撃を敢行する決意を固めます。

馬謖は全軍に山を下って攻撃を仕掛けるようにと通達を出します。

こうして蜀軍は全軍で逆落としの攻撃を魏軍に仕掛けます。

しかし歴戦の将軍である張郃は蜀軍が逆落としの攻撃を仕掛けてきても、

冷静に対応し、蜀軍の攻撃を防ぎつつ反撃を行います。

そのため蜀軍は山上からの攻撃によって優位に立つはずが、劣勢になってしまいます。

馬謖は側近から「早く山を下って、丞相がいる祁山(きぜん)へ

退却してください。」と進言されると、彼は側近の兵士をまとめ、

山を降りて祁山へ退却を行っていきます。

こうして街亭は張郃によって奪われてしまう事になります。

 

「泣いて馬謖を斬る」

馬謖 孔明

 

孔明は馬謖が敗北し、街亭が獲られた事を知ると大いに驚きます。

孔明は報告者に「馬謖は街亭の平地に陣取っていたのだろう。

そう簡単に負けるような事はないはずなのだが、どうして敗北したのだ。」と

状況を説明するように申し伝えます。

すると報告者は馬謖が山上へ陣取って水の補給が断ち切られてしまったことなどを

詳細な報告を行います。

この報告を聞いた孔明は大いに落胆し、北伐が失敗に終わった事を悟ります。

馬謖が祁山へ帰還すると皆の前で、罪状を明らかにして彼を死刑に処します。

この時孔明は馬謖の処断を見ることをせず、幕舎に戻り泣きながら机に突っ伏して

おりました。

そして馬謖の処断が終わると、蜀軍全軍に退却命令を出し、漢中へ退却していきます。

こうして第一次北伐は失敗に終わる事になります。

 

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自らの罪を明らかにして、降格を願う

孔明

 

孔明は漢中で敗戦処理を行うと成都へ向かい、皇帝・劉禅に拝謁します。

彼は劉禅に拝謁を行うと第一次北伐の失敗が、

自分の責で失敗してしまった事を明らかにして、降格を願い出ます。

劉禅は孔明に代わる者が蜀にいない為、降格の申請を許可しませんでしたが、

孔明が罪を明らかにするべきだとの説明に反論できず、孔明に三階級の降格を

命令することになります。

こうして自らにも厳しい処罰を与え、失敗を民衆や臣下に明らかにする事で、

蜀の国を引き締めていきます。

第二次北伐を開始

 

孔明

 

孔明は第一次北伐に失敗するとすぐに次の作戦計画を立て、

第一次北伐から数か月後、再び北伐を開始。

孔明の次なる目標は陳倉(ちんそう)城です。

この城は長安と街亭のちょうど真ん中に位置しており

この地を奪う事で、長安から西の部分を蜀の領土にしようと考えます。

孔明はこうして第二次北伐を敢行しますが、

陳倉城は孔明が退いた後、魏軍の総司令官である曹真(そうしん)が、

次の孔明の目標が陳倉城であろうと予想し、この城の防備を固めます。

そして守将には、鉄壁の守備で知られる郝昭(かくしょう)を陳倉城へ派遣。

郝昭は陳倉城に到着すると、曹真が防備を固めた上にもう一段防備を重ね、

鉄壁の城を作り上げます。

 

陳倉城の鉄壁に敗れる

孔明

 

孔明は陳倉城に到着すると、すぐに猛攻を開始します。

しかし陳倉城は鉄壁と化していたため、蜀軍の攻撃にビクともせず、

反対に蜀軍を蹴散らしてしまいます。

孔明は陳倉城の防御力の高さに驚き、数十日陳倉城を包囲しますが、

どうにもできない事を悟り退却します。

 

魏領土の奪い戦果を挙げる

孔明インタビュー

 

孔明は陳倉城攻防戦で敗北すると、数か月兵士を休ませた後、再び北に出陣します。

この時は孔明の作戦が功を奏し、武都(ぶと)と陰平(いんぺい)の両郡の奪取に成功。

こうして戦果を挙げることに成功し、孔明は丞相に復帰することになります。

 

魏軍を打ち破り、北伐が成功!?【第三次北伐】

韓信vs孔明13 孔明

孔明は武都・陰平攻略戦を完了させると兵士の疲労を取るために、

一年以上魏の攻撃を中止して国力増強に努めていきます。

こうして国力増強と兵士の力を底上げすることに専念した後、第三次北伐を敢行します。

孔明は漢中へ赴くと軍勢を率いて祁山に駐屯すると、迎撃に出てきた魏軍の様子を見ます。

魏軍は孔明率いる蜀軍に攻撃を仕掛けず、持久戦を図ることで勝利を得ようと考えますが、

魏の諸将は魏の総大将である司馬懿(しばいに)に対して「総大将。

このままここに留まっても勝つ事はできませんぞ。すぐに蜀軍に攻撃を行うべきです」と

強い口調で進言。

司馬懿は彼らの進言を退けますが、幾度も進言を続ける諸将を押さえることができず、

ついに蜀軍に対して攻撃を開始します。

孔明は魏軍が砦から出て出撃した事を知ると全軍で出撃を行います。

こうして蜀軍VS魏軍の正面切っての初戦闘が行われることになります。

蜀軍はこの日の為に厳しい訓練を兵士や諸将が行ってきているため、

将軍の手足のように軍勢や将が動き、魏軍を各戦線で打ち破ることに成功し、

魏軍に大勝利を収めることに成功します。

魏軍は敗北し、再び砦の中に逃げ込み、

殻を被ったヤドカリのように砦から出てくる事はありませんでした。

こうして蜀軍VS魏軍の初対戦は蜀軍の勝利に終わります。

しかしここで蜀軍に大きな落とし穴が口を開いて待ち受けておりました。

 

蜀の重鎮が兵糧輸送の仕事を怠る

空腹の兵士

 

孔明率いる蜀軍は魏軍に大勝利を収め、

第一次~第三次までの北伐で最大の戦果を挙げることに成功します。

しかし本国である蜀からの兵糧輸送が滞り始め、

兵糧輸送を担当していた李厳から手紙が送られてきます。

その手紙の内容は「丞相。大変申し訳ございません。

長雨によって兵糧がうまく運搬することができない状況になっております。

そのため、非常に心苦しいのですが、一時退却をしていただけないでしょうか。」と

進言します。

孔明は李厳の手紙を読み悔しさがこみ上げる中、漢中の退却を決意します。

こうして第四次北伐は魏軍に大勝しますが、退却する不思議な結果となってしまいます。

この時魏の勇将であり、街亭で馬謖を打ち破った張郃(ちょうこう)は司馬懿に対して

「今こそ出撃して蜀軍に追撃することで、戦果を得ることができます。

総大将出撃の許可を頂きたい。」と進言します。

司馬懿は張郃の進言を受けると出撃の許可を出します。

張郃は蜀軍に追撃をかけて、致命的な損害を与えようとしますが、

蜀軍の反撃を受けてしまい魏軍が損害を受け、

魏軍は勇将・張郃を失う大打撃を被ってしまいます。

李厳の反逆を裁く

 

孔明

 

孔明は漢中に全軍を帰還させ、戦後処理を行うと成都へ帰還します。

李厳は孔明に呼ばれ出頭するとすぐに孔明に「なぜ、兵糧はたくさんあるのに

帰ってきたのですか。」と孔明に詰め寄ります。

孔明は李厳の発言に驚きを隠せませんでしたが、

すぐに「あなたが大雨によって兵糧輸送が困難だから帰還してほしいと

手紙を送ってきたから退却したのです。あなたが送ってきた手紙を見せましょうか。」と

切れ気味で李厳に詰め寄り、彼が送ってきた手紙を見せます。

李厳は孔明が激怒している事と自らの手紙を見て反論できず黙ってしまいます。

こうして孔明は李厳に自分の罪を認めさせて、将軍の位を剥奪して平民へ叩き落します。

 

色々な兵器を開発する

孔明 墨者

 

孔明は第三次北伐の戦いが終了した後、一旦魏への攻撃を控え、

国政を引き締めることに専念します。

また食料を輸送する際の輸送方法を見直し、

誰でも簡単に一定量の兵糧を運ぶことのできる輸送車を完成させます。

その名を「木牛」です。

また兵器の開発にも余念なく行い、孔明が考えた弩(いしゆみ)を速射することが

可能である連弩 (れんど)の開発や熱気球の先駆けで、

離れている各軍に軍の情報を伝えることができる孔明灯(こうめいとう)を開発します。

こうしていくつもの兵器を開発し第四次北伐への準備を行っていきます。

 

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呉に合肥攻撃を依頼する

孔明

 

孔明は再度の北伐を行う前に万全の準備をするため、

同盟国である呉へ合肥(がっぴ)攻撃をするように要請を出します。

呉は孔明からの要請である合肥攻撃を承諾。

こうして孔明は東西から魏を攻撃する事を次回の北伐戦に盛り込む事にします。

 

孔明最後の北伐開始

諸葛孔明

 

孔明はこうして政治をしっかりと行い国力を蓄え、

軍事面では武器や軍への伝達方法などを改めて、北伐の準備を行っていきます。

彼は漢中へ到着すると呉へ合肥攻撃をするように再度の要請を行った後、

漢中を後にします。

孔明は漢中を出発すると今までの北伐よりさらに長安に近い、

五丈原に陣を据えます。

孔明はこの地に砦を築き、

堅固な防備を施して魏軍がいつ攻撃をしてきてもいいようにします。

また兵糧輸送は一応万全の体制を取っていましたが、

もし兵糧が途中で無くなった場合や李厳のように成都からの兵糧輸送を怠る

可能性があるため、自給できるように兵士達に畑を耕させる屯田制を行っていきます。

こうして孔明は魏軍と何年対峙しても、必ず勝機を見つけ出す決意を固めます。

 

合肥で呉軍が敗北

司馬懿

 

孔明はこうして魏軍との長い対峙を行っていきます。

この間に魏の総司令官である司馬懿(しばい)を砦から引っ張り出すために、

女物の服を送ったり、挑発的な手紙を書いて司馬懿を挑発しますが、

彼は一切キレる様子もなく、砦から出てくる気配を出しませんでした。

こうして両軍は、一度たりとも砦から出て戦うことをせずに、睨み合いを続けていきます。

こうした中、孔明の要請によって魏の合肥を攻撃していた呉軍が敗北したとの

報告が届きます。

孔明はポツリと報告者に「そうですか」と呟いた後、報告してきた者を労います。

しかし合肥の戦況に左右されることなく五丈原の蜀・魏の対峙は動く気配を

見せませんでした。

 

孔明が倒れて…そして…

孔明過労死

 

孔明は魏軍との対峙中、軍営内で起きた事件を自ら捌き、蜀の本国の仕事も行っており、

毎日休む間もなく働いておりました。

そのような日々が数か月続いたある日、孔明は倒れてしまいます。

孔明が倒れたと聞いた諸将はすべて駆けつけますが、幸い倒れただけで、

重大な事態にはなりませんでした。

しかし孔明の体は着実に病に蝕まれておりましたが、彼は自らの仕事を減らそうとせず、

いつも通り小さい事件から大きな事件まですべて自分で処理しておりましたが、

再び倒れてしまいます。

孔明はそのまま安静にしているようにと医者や諸将から言われ、

安静にしておりましたが時すでに遅く、孔明の病は治ることは無く

彼の体を蝕みそのまま帰らぬ人となってしまいます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

孔明はこうして五丈原で亡くなることになりますが、

司馬懿は蜀軍が退却した後、孔明が築いた陣営を見て「彼はまさに稀代の天才だ。」と

最大限の褒め言葉で孔明を褒め称えておりました。

また孔明が亡くなった事で、蜀の国は大きな支柱を失うことになり、

ここから少しずつ滅亡へと近づいていく事になります。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~」

 

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民間伝承の三国志

 

 

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