司馬懿は魏の軍事を司る人物であり、諸葛亮のライバルと言えるでしょう。
そして姜維は諸葛亮が目をかけた武将であり、後期の蜀を支えていました。諸葛亮亡きあとに「三国志」の中心人物となっていく二人ですが、はたしてその直接対決はあったのでしょうか?
この記事の目次
司馬懿という人物
先ずは司馬懿について解説しましょう。司馬懿は江南の出身で、高級官僚の一族に生まれました。
幼少のころからその聡明さは有名であり、のちに曹操の重臣である「荀彧」に推薦され、曹操の元で働くことになり、その後は曹操の息子「曹丕」に仕えることになります。
曹操の死後は曹丕の側近として信頼され、その死後も皇帝「曹叡」に仕えます。曹丕のころは司馬懿はもっぱら後方支援にあたり、全線で戦の指揮を執ることは少なかったです。
しかし、曹叡の時代になると諸葛亮が北伐を開始し、司馬懿は大将軍としてその対応にあたることになります。諸葛亮の死後は徐々に魏の実権を握り、その息子、孫の代に魏を滅ぼすことになるのです。
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元々は魏の武将であった姜維
姜維は天水地方の生まれで、元々は魏の武将でした。しかし、天水の太守の配下の武将であり、司馬懿がその時の姜維を知っていたかは不明です。
諸葛亮が北伐で天水を攻略し、その地の武将は次々に蜀に降伏しました。姜維も上司に裏切りを疑われ、魏に帰ることが出来なくなり、やむを得ず蜀に降伏します。
その後は諸葛亮にその才能を高く評価され、北伐などに従軍。諸葛亮の死後は蔣琬、費禕が蜀の実権を握り、姜維も蜀軍の中枢を担うようになります。
費禕の死後は何度も北伐を繰り返しますが、蜀の国力を低下させ、また宮廷も混乱します。
そこに魏が侵攻。姜維は剣閣で抵抗しますが、魏の鄧艾が前人未到のルートで蜀に到達し、蜀の劉禅を降伏させます。
魏に降伏することになった姜維ですが、蜀再興をめざし反乱を計画します。
しかし失敗し、姜維は殺されてしまいます。
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直接対決はあったのか?
司馬懿が魏に仕えたのは西暦201年で、亡くなったのは251年です。姜維が蜀に仕えたのは228年。そこから推測すると、姜維と司馬懿が敵国同士だったのは228年から251年の間という事になりますね。
この間の大きな戦いというと司馬懿と諸葛亮の宿命の対決の場「五丈原の戦い」(234年)となります。この場で二人は会いまみえることになります。五丈原の戦いのとき司馬懿は55歳、姜維は32歳でした。
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【北伐の真実に迫る】
五丈原でのふたり、直接対決は?
五丈原では魏軍と蜀軍はにらみ合いを続けていました。守備に徹する司馬懿に対し、諸葛亮は様々な手段で挑発しますが、司馬懿は動きません。しかし、魏の諸将の突き上げにあい、出撃も考えます。そこに皇帝からの使者が到着し、「動くな」と司馬懿に命令します。この情報をキャッチしたのが姜維でした。
そこで姜維は「もはや司馬懿は出撃しないでしょう」と諸葛亮に伝えました。諸葛亮はその皇帝の命令も諸将の不満を抑えるための司馬懿の策略だろう、と語っています。「五丈原の戦い」で姜維が登場するのはこれだけで、直接対決と言えるかは正直、微妙です。
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「三国志演義」での五丈原の姜維
小説「三国志演義」では姜維は諸葛亮の後継者として見せ場を与えられます。先ずは諸葛亮の死の直前、彼から兵法の極意を授けられます。
また、諸葛亮の延命のための祈りの場の警護を命じられ、駆け込んだ魏延を一喝したりもします。
そして有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の場面です。ここで司馬懿と姜維は会いまみえます。生きていたと勘違いした諸葛亮が木造だと気が付き、司馬懿は慌てて蜀軍を追撃するのですが、蜀の殿を担当していたのが姜維でした。
ここで姜維は追撃する司馬懿軍を撃退し、諸葛亮の後継者として名乗りを上げるのです。
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姜維と司馬懿、結局直接対決はほぼ無かった!
諸葛亮亡きあとは姜維は何度も北伐を繰り返すことになります。一方司馬懿は更に魏の権力を握り、謀反の鎮圧や、宮廷の政治に奔走することになるのです。そのため、司馬懿は北伐対応に直接関与することが少なくなるため、姜維との直接対決は実現することはありませんでした。
三国志ライターみうらの独り言
三国志後期を代表する司馬懿と姜維ですが、残念ながら直接対決は小説も含め、ほとんどありませんでした。2人は年齢が大きくちがうので、司馬懿は姜維の事を知っていても「若造が」とあまり関心が無かったかもしれませんね。
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