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諸葛孔明とはどんな人?三国志が語らない天才軍師の人物像と三顧の礼から始まる不滅のロマン


 

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パリピ孔明

 

今回は色々な方面で有名な、やはり三国志と言えばこの人!で絶対名前の挙がるであろう人物、諸葛孔明についてお話をしたいと思います。

 

扇からレーザー光線を放つ孔明

 

 

諸葛孔明、諸葛亮と言えば三国志きってのスーパー軍師、類い稀なる知略軍略で主君を皇帝へと導き……と言われながら、

 

 

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

その一方でいいや過大評価だそうではない、違う違うちょっと評価の方向性が違うだけで凄まじい才覚持ちなのは確かなの!……と、三国志ファンの間でも議論尽きない人物。

 

 

画像利用について03 孔明

 

 

 

今回はそんな諸葛孔明について、彼の生涯と様々な疑問についてもお話していきましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮の人柄はどのように評価された?その性格と社会的な貢献

ちょっとやり過ぎたと反省する諸葛亮孔明

 

 

因みに諸葛亮の性格と人柄ですが、はっきりとしていません(きっぱり)。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

 

ただこの「はっきりとしていない」というのは記録された中で明確に記されていない、ということであり、他の人物同じく様々なエピソードから窺い知れるものは多くあります。

 

孔明による出師の表

 

その最たるものが「出師の表」です。

 

過労死する諸葛孔明

 

これには諸葛亮が劉備の子である劉禅に出陣にあたり奉ったもので、それには如何に人材を大事にしなければならないか、そして嘗て受けた主君への恩義と深い感謝、更にその感謝のために何としてでも漢王朝を復興させる強い誓いの念が記されています。

 

馬謖に重要な仕事を任せるなと孔明に伝えて臨終を迎える劉備

 

劉備の臨終「もしも我が子が無能ならば其方が国を治めてくれ」と願われたことを踏まえると、あくまでも諸葛亮が主君への忠義と深い感謝の念を忘れずにいた人物であることが窺い知れるでしょう。

 

孔明インタビュー

 

この出師の表の話は諸葛亮の強い忠義心と責任感の表れでもあり、またあくまで家臣としてその恩に報い続けたことから、後の世でもその人柄を高く評価されることとなります。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

……尚、偶にどうにも皮肉っぽい、言い回しが鼻に付く、ちょっとコイツめっちゃ頭が良いからってえらっそう過ぎない?

 

 

三国志演義_書類

 

といった諸葛亮のイメージは、どちらかというと三国志演義で描かれる周瑜や曹真との話から生まれた気がしますが、まあこれは三国志演義で諸葛亮が異常なまでに天才軍師化した弊害とでも言っておきましょうか。

 

>>関連記事:【孔明VS周瑜】初対面からすでに負けていた周瑜を考察

>>関連記事:周瑜は諸葛亮のピエロに過ぎなかった!?孔明と周瑜の関係性を考察

 

周瑜

 

 

一気呵成にお答えしよう!諸葛亮孔明に対する質問集

センさんが三国志沼にドボン a

 

さてここらで三国志沼に最近どっぽーんなさった方々からの諸葛亮に対する小さな質問疑問に勝手ながらお返事したいと思います。ご興味の薄めの方はこちらは飛ばしてくださいね。

 

 

 

諸葛亮孔明はどんな人物なのか?

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

先にも触れましたが三国志の雄の一人、劉備に迎えられた人物であり、その劉備亡き後もその信念を受け継ぎ、最期まで戦い続けた人物です。

 

 

>>関連記事:【素朴な疑問】三顧の礼はどうして凄いのか?

>>関連記事:『新解釈・三國志』三顧の礼に秒速でOKと応える孔明は実話だった!

 

劉備

 

 

三国志の諸葛孔明はなぜ有名ですか?

劉備との楽しい思い出を振り返る孔明

 

有名になった一因としてその能力の高さだけでなく、出師の表にも分かる忠義心と信念を貫き通したその生き様、それこそが後の人々の琴線に深く触れた……という理由もあります。とにかく大人気です。

 

>>関連記事:諸葛亮の出師の表って、一体何が書いてあるの?

>>関連記事:出師の表が広まった理由は劉禅がおバカだったから?

 

三顧の礼特集バナー

 

 

諸葛亮孔明は言わない方がいいですか?

孔明

 

諸葛は性、亮は名、孔明は字と呼ばれるもので、基本的に名前は姓名、もしくは姓と字で表記されます。言わない方が良い、とまでは言いませんが、姓名字という表記は一般的ではない、くらいのことを覚えておきましょう。

 

 

>>関連記事:「三国志」でよく見かける「字(あざな)」とは?どんな時に使うの?

>>関連記事:字で考える三国志 「字(あざな)」について詳しく解説

 

 

三国志の天才軍師は誰ですか?

孔明 郭嘉 周瑜

 

この話題は欠かせませんが、個人の観点から言うと司馬懿陸遜曹操、法正らへんを挙げたいですね。

 

劉備と的盧

 

まだ撤退の判断や手法では劉備も神がかっていると思います。

 

 

>>関連記事:劉備を唯一なだめられた、法正(ほうせい)ってどんな軍師?

>>関連記事:法正(ほうせい)ってどんな人?蜀を支えた天才軍師

 

法正

 

 

諸葛亮孔明の有名な名言は?

三国志を語るセンさん

 

こちらはいくつもありますが、最後に筆者が紹介したいものがありますのでそちらで紹介させて下さい。

 

 

>>関連記事:諸葛亮の不朽の名言集!現代にも響く智慧の言葉集

>>関連記事:【諸葛亮孔明の心に残る名言】「好尚同じからずと雖も公義をもって相取る」

 

一億二千万人の三国志

 

 

 

孔明の有名な戦いとは?

赤壁の戦い

 

やはり赤壁の戦い、そして五丈原の戦いでしょう。

 

 

>>関連記事:孔明の大きな見せ場、赤壁前の論戦!後々これが意外な方向に?

>>関連記事:赤壁の戦いで孔明が東南の風を吹かしたじゃん?あれマジらしいよ?

 

赤壁の戦い

 

 

諸葛亮孔明の才能はどれほどのものか?

呉の諸将を論破する諸葛亮孔明(セリフあり)

 

こちらは長くなりそうなので、次から説明していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

 

諸葛孔明はなぜ天才と称されるのか?その政略と戦術

朶思大王、孔明

 

ここでまず紹介するのは「七縦七擒の計」についてです。

 

7回捕まり孔明にボコボコにされる孟獲

 

これは諸葛孔明が北伐を行う前にまずは南の平定を行った際に、敵対した孟獲を七度捕まえ七度放つ、七縦七擒によって彼を心服させ、決して反意を持つことをしないようにした計略と戦術から生まれた、故事の一つともなった計略です。

 

孟獲に変装する帯来洞主(南蛮族)

 

「人の心をつかめる人は、敵を消滅できる。古来、兵は戦を好まない」これは諸葛孔明の名言の一つですが、まず敵の心から攻める、それを理解していたからこそ用いた戦術と言えるでしょう。

 

 

孟獲キャッチコピー

 

 

まずは戦うという心をなくすこと、ある種、戦わずして勝つに通じるこの戦術は、後の世にも深く影響したと思われます、

 

 

>>関連記事:七縦七擒とは何?孟獲は不死の術を使って諸葛亮と対決した?

>>関連記事:諸葛亮孔明の軍事能力は実際に優れていたの?前編

 

南蛮征伐特集

 

 

諸葛亮が天才と言われる理由:北伐による影響

北伐する孔明

 

そして何よりも諸葛孔明を「天才」と称されるに至ったと思うのが、北伐です。その結果が如何ということではありません。

 

北伐を結構する孔明

 

幾度もに渡る戦争を、しかも仕掛ける側、更にはあの蜀の地から大国にしかける、それを続ける……これは並大抵のことではありません。

 

孔明

 

そもそも大きく勝利したことが殆どない、しかし戦争を続けられる……これは、蜀の国が疲弊していないことを意味します。

 

 

kawauso編集長と村人(農民)

 

『袁子』の中でもこの一件について「諸葛亮の統治により田畑は開墾され、米倉は満ちあふれ、道には酔っ払うものもいなかった」と記されているように、蜀の人々の生活が乱れることはありませんでした。

 

 

諸葛亮孔明からの評価が高い陳震

 

 

これは三国志の中でも高く評価され、諸葛孔明を天才「政治家」と評す人々が多いのはそのためです。

 

>>関連記事:三国志の名政治家、諸葛孔明が無謀な北伐を繰り返した理由とは?

>>関連記事:諸葛亮の狙いは涼州?北伐における戦略を予想してみた

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

天下三分の計の理念とは?三国時代における役割と影響

天下三分の計を唱える諸葛亮孔明

 

こちらで諸葛孔明が劉備に説いた、天下三分の計についても触れましょう。

 

靖王劉勝の子孫と勝手に名乗る劉備

 

劉備の最大の目的は漢王室の復興です、しかし、当時の劉備に既に強大となった曹操と真正面からぶつかることについて、諸葛孔明が述べたのがこちらの天下三分の計でした。

 

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

これは簡単に言うと「曹操は強大なので真正面から戦うな。孫権らと手を組んで守りを固めつつ曹操を抑え、荊州と益州という重要拠点を手に入れて対抗しましょう」というものです。

 

劉備と同盟を組む孫権

 

これは「天下を三つに分けて拮抗状態にする」という通過点を持ち、更にはそこから劉備が天下に至るまでの道筋を描いたものでした。

 

車に乗る諸葛亮(孔明)

 

ただ拮抗に留まることなく、その先まで見据えて伝えたのが諸葛孔明の戦略的な考え方の凄まじさと言えるでしょう。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

事実、この後の赤壁の戦いで孫権と劉備は協力することにより曹操に大打撃を与え、一時的に曹操を抑えた後、劉備は荊州と益州を手に入れています。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

ある意味、赤壁の戦いすらも曹操を抑えるための手段でしかなかったとも言えますが、後に、この戦略の重要な要である荊州を劉備は失ってしまいます。

 

敗れる関羽雲長

 

これにより天下三分の計はあくまで「三国時代」を作るまでで終焉してしまったのが、劉備と諸葛亮の不運、と言えるかもしれません。

 

>>関連記事:神にまでなった超人気者、関羽の評価を考察してみた

>>関連記事:関羽の死因、実は劉備の手によるものだった!?

 

関羽

 

 

 

諸葛孔明とその妻・黄夫人 その二人の関係とエピソードは?

ポイント解説をするセン様 ポイント

 

ここでちょっと諸葛孔明の過程関係に触れてみましょうか。

 

黄月英

 

諸葛孔明の妻と言えば黄夫人黄月英)です、この夫人、残念ながら本名は分かりません。

 

黄月英

 

ただ「襄陽記」によると父・黄承彦が「娘は金髪で色黒肌だけど頭が良くて君とお似合いだよ!」と言ってきたので孔明はこれを承知、しかし当時の人々は「孔明の嫁選びを真似るな、醜い娘をもらう羽目になるぞ」と詩にまで歌ったとまで書かれています。

 

黄月英

 

その一方で、不美人とされたけど美人説、当時の感覚が今とは違った説、三国志演義のようにとても賢い女性だった説など、様々な憶測を経ていますね。

 

黄月英と仲がいい孔明

 

残念ながら二人のエピソードなどは記されてはいませんが、記されていないということは逆にあの諸葛孔明を最期まで問題なく支えられたのならやはり賢い女性だったのでは?というのが個人的観測です。

 

孔明と黄月英

 

また醜女説は日本でも高橋紹運などでも多く見られるように「そんな相手でも娶った旦那さんはすばらしい!」というイメージが強いのもあり、これはちょっと後出し的なエピソード付けでは?と穿った目をしてしまう筆者でした。

 

>>関連記事:黄月英(黄夫人)は本当に頭いい奥さんだったの?謎に包まれた才媛の実像

>>関連記事:黄月英(こうげつえい)はどんな人?実は名前さえ分からない謎の女性

 

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諸葛亮の生涯と書生時代。そして三顧の礼とその意義

諸葛瑾と幼い頃の孔明

 

その諸葛孔明の生涯ですが、幼い頃はかなり苦労したようです。幼い頃に恐らく父親と実母を亡くし、徐州から弟と共に叔父に連れられて南方に移住しています。この叔父である諸葛玄ですが、一説には民衆に殺されたともあり、その後は弟、諸葛均と暮らしていたとされます……当時が、かなり荒れた戦乱の世であったことを伺わせますね。

 

司馬徽とホウ統(龐統)

 

しかしその一方で、水鏡先生に学んで知略を深めながら誰に仕えることもなく晴耕雨読の日々を過ごし、自らを管仲・楽毅に比類すると豪語、名士・黄承彦の娘を妻にしたことで蔡瑁や劉表とも縁続き、姉はホウ徳公の妻になって、お兄ちゃんの諸葛瑾は孫呉で孫権にめっちゃ気に入られている……と、かなり恵まれた立場でもありました。

 

孔明

 

まあそういう立場だったからこそ誰にも仕えなくても生活できていたのでは……とも言えますが、もしかしたら彼自身、乱世という世の中を忌避していたのかもしれませんね。

 

孔明

 

しかしその時代は突如終わりを迎えます。

 

三顧の礼 ゆるキャラ 孔明

 

それこそが三顧の礼、高位の人物が礼節をもって相手を迎えることを意味していますが、これこそがこの無名の諸葛亮という人物に、劉玄徳が行った礼儀です。

 

新解釈・三國志 三顧の礼に秒で答える孔明 孔明、劉備

 

そしてこれは諸葛亮の心の奥底まで刻まれ、出師表にまで刻まれることとなります。

 

諸葛菜を育てる諸葛亮(孔明)

 

 

これこそが、諸葛孔明を変えた……パラダイムシフト、とも言える瞬間だったのではないでしょうか。

 

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伝説の企画 朝まで三国志 最強の軍師は誰だ

朝まで三国志2

 

 

諸葛孔明の名言とその教訓、後世に残された評価の始まり

諸葛亮(孔明)の養育を受ける若き諸葛攀

 

ここで最後に、諸葛孔明の名言をご紹介します。

 

孔明に信頼されていた費禕

 

「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である」

 

孔明

 

諸葛孔明は嘗て、小さな庵で世俗から離れた世界にいました。その諸葛孔明が天下を取らせようと、そしてその死後、傾かせることはなかったとはいえ、どこまでも北伐に至ったのは何のためか。言葉の意味だけを追うならば、天下は誰を天子とするかは関係はありません。そこに生きる人々こそが大事であり、大事にするべきなのです。

 

孔明

 

しかし、諸葛孔明はそれでなお、愚直に北伐を繰り返し、魏という大国に挑み続けました。別の観点で言えば、死人に動かされる愚かな行動であったのかもしれません。

 

韓信vs孔明

 

ですがそれでも、諸葛孔明は嘗ての庵での礼を忘れることは生涯なかった、その証明こそが最後まで成し遂げることのなかった北伐であったのならば。その行為にこそ、後世の人々は強い感動とロマンを見たのではないでしょうか。

 

孔明

 

天才軍師とまで言われた諸葛孔明、その生涯をかけて挑み続けた夢。だからこそ人々は諸葛孔明という人物に時代を超えて尚、感銘を抱くのだと思います。

 

>>関連記事:【諸葛亮の第1次北伐】諸葛亮必勝法と敗因とは?

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諸葛亮

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

諸葛亮、実際に多くの苦難を繰り広げ、そして切り拓いた知略、それは確かなのですが。同時に諸葛孔明という人物に惹かれるのは、天才軍略とか、政治の手腕だとか、そういった能力に留まらないのではないか、というのが筆者の考えです。

 

韓信 vs 孔明

 

寧ろ天才な部分ではなく、三国志末期のめちゃくちゃ苦労している瞬間、あの諸葛孔明を見ている時が筆者なんかは一番「高ぶり」を覚えてしまうのですが、皆様はどうでしょうか。もしもまだ三国志沼にどっぼんしたばかり!という人は、ぜひ諸葛孔明という人物に注目してみて下さい。そうしてどういう部分が好ましいか、そういう面からも見てみて下さい。

 

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

それもまた、三国志沼への第一歩ですよ。どっぼーん。

 

参考:蜀書先主伝 諸葛亮伝

 

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伝説の企画 朝まで三国志 最強のワルは誰だ

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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