キングダムには、武の象徴である将軍と、智の象徴である軍師が出てきます。
前者は信(しん)や、麃公(ひょうこう)、蒙武(もうぶ)のような存在、
後者は、李牧(りぼく)や昌平(しょうへい)君、河了貂(かりょうてん)がいます。
また、王騎(おうき)や、廉頗(れんぱ)のように軍師を置かずに
全てを決する、両方を合わせ持つ存在もいますが、それは例外的な人でしょう。
そこで、素朴な疑問ですが、軍師はいつから始まったのでしょうか?
今回は、河了貂と蒙毅(もうき)に出てきてもらい解説します。
この記事の目次
- 素朴な疑問1 軍師はどうして発生したの?
- 戦争の大規模化と分業から軍師は生まれた
- 軍旗、銅鑼、太鼓、狼煙、が意味するものとは?
- 王騎が趙軍の動きを察知したのも軍旗や狼煙
- 軍師は、偏りがちな将軍の思考を正す為にいる
- 素朴な疑問2 軍師学校ってあったの?
- 現代に繋がる中国の思想を完成させた稷下の学
- 素朴な疑問3 戦略図やコマは当時からあった?
- 墨子が楚の公輸盤(こうゆばん)と戦った攻城シュミレーション
- ジオラマで戦場を見せた、馬援将軍
- 素朴な疑問4 軍師が職業になったのはいつ?
- 職業軍師の元祖は張良(ちょうりょう)
- 軍師を参謀集団にした曹操(そうそう)
- 曹操の死後、参謀集団は、消滅してしまう・・
- NHK大河、真田丸の時代にあった軍師学校
- 春秋戦国ライター kawausoの独り言
素朴な疑問1 軍師はどうして発生したの?
河了貂「おっす!皆んな、河了貂ナリww」
蒙毅「皆さん、こんばんは、蒙毅です。
本日はよろしくお願いします」
河了貂「今日は、キングダム初心者の素朴な疑問に
あたし達が、バシッと一肌脱ぐよ!」
蒙毅「僕の知りうる限りの事をお伝えしますね」
河了貂「ところでさ、蒙毅、あたし達は軍師なんだけど、
どうして、軍師という職業は発生したんだ?」
蒙毅「いい、質問だね、河了貂、、それには、中華社会の
移り変わりが影響しているんだけど、手短に説明するよ」
戦争の大規模化と分業から軍師は生まれた
蒙毅「太古の昔、戦争の主体は武人だけだった、、
戦争自体も、血縁がある一族が行い、難しい指示を
出さなくても、ある程度のコントロールが出来たんだ。
戦争の規模も小さく、流れる血も少なかった・・」
河了貂「ふーん、今でも山の民がやっているような、
一族同士が戦うスタイルか・・
確かに、それなら軍師は要らない」
蒙毅「そう、でも、その内に鉄器が普及して、
生産力が上がるとそれまで人が住めない土地も、
灌漑などで水を引いて、人が住めるようになった。
生産力の向上は、余分な物資を産み、お金を使った市場が
登場して、社会は便利になり、人口は増えて行った」
河了貂「人口が増えると戦争の規模もデカくなる」
蒙毅「ああ、、そうして、それまで、同じ一族同士が、
住んでいた村にも、他所者が流入して意志の疎通が、
取りにくくなった、いわゆる都市化だね」
河了貂「そうだとすると、将軍は、血縁がない他人を
率いて戦う事になるね、こりゃ大変だ」
軍旗、銅鑼、太鼓、狼煙、が意味するものとは?
蒙毅「それもそうだけど、率いる兵の数が段違いになった。
僕らが産まれる少し前の長平(ちょうへい)の戦いでは
秦の白起(はくき)将軍は趙の兵士40万人を
少年兵200名を除いて穴埋めにして殺した。
でも、40万などという大軍を一人の将軍が指図するなんて
出来ると思うかい?」
河了貂「え?・・あたしは、ちょっと無理っぽい・・」
蒙毅「ボクだって無理だ(苦笑)実際には誰にも出来ない
そこで、中華の軍隊は、将軍、部隊長、什、伍、卒のように、
役割を分けて、将軍からの命令伝達を下へ順番に伝えるようになる」
河了貂「そっか! それに使われるのが、軍旗、銅鑼(どら)、
太鼓、それに伝令や、狼煙(のろし)だ!」
蒙毅「御明察、それらのアイテムは、大規模化した
軍隊を指揮する為に発明されたんだ。」
関連記事:白起(はくき)ってどんな人?|キングダムでお馴染みの六大将軍
関連記事:麃公(ひょうこう)は実在したの?龐煖と李牧に挑んだ秦の将軍
関連記事:【キングダム】秦の旧六大将軍と新六大将軍を大胆予想!
王騎が趙軍の動きを察知したのも軍旗や狼煙
蒙毅「王騎将軍が壮烈な最期を遂げられた馬陽(ばよう)の戦場は
深い森だったから、誰も広い視界を持てなかった。
そこで、将軍が使ったのが軍旗や狼煙だった。
残念ながら、李牧の四万の軍勢の移動速度を見抜けず、
隙を突かれて、趙の三大天、龐煖(ほうけん)に討たれてしまったけど・・」
河了貂「あんなに強かった王騎将軍でさえ
僅かな隙から李牧に破れるんだ、、軍師は、
常に味方の為に最善を尽くさないといけないな」
蒙毅「うん、王騎将軍の死は、その事を
僕達軍師に伝えてくれていると思う」
軍師は、偏りがちな将軍の思考を正す為にいる
蒙毅「戦場では、数十万の軍隊が、一秒も止まる事なく動いている。
しかも自軍のみではなく、相手も動く、、これらの状況を
将軍は、的確に読んで、手を打つ事が求められるけど
一人の人間の脳で処理できる情報は、そこまで多くはない。
それに、人は純粋に思考だけしているのではなく、
そこに感情が入り込み、時として優先順位を狂わせる
王騎将軍でさえ、婚約者を殺した龐煖を前にして、たかぶり
罠と知りつつも、趙軍の策に嵌るリスクを侵してしまった。
このリスクを減らすのには、どうしたらいい?河了貂」
河了貂「そっか!将軍と意識を共有して、多角的な視点から、
戦況を読んで、思考を補う存在が必要になるという事・・
それが、軍師が必要な理由なんだな!!」
蒙毅「これは僕の理解だけど・・・多分ね」
河了貂「ありゃりゃ・・・・・・」
素朴な疑問2 軍師学校ってあったの?
河了貂「あたしは、信や羌瘣(きょうかい)に追いつきたくて、
敵だった呂不韋(りょふい)四柱の昌平君の軍師学校に入ったけど、、
そもそも、軍師学校なんてあったの?」
蒙毅「ここは、難しいところなんだけど、軍師だけを専門に
育成する学校が、僕達の生きていた時代に存在した、、
という証拠はないんだ」
河了貂「なーんだ、じゃあ、軍師学校は
フィクションっていう事なんだ!」
蒙毅「でも、結果として軍師を育成する事になった機関が
無いとも言いきれない、それは、秦ではなくライバルの斉にある
稷下(しょっか)の学(がく)という学者村なんだ」
現代に繋がる中国の思想を完成させた稷下の学
河了貂「何それ!面白そう」
蒙毅「斉は威(い)王の時代に、覇者の魏を倒して勢力を伸ばした。
すると必然的に人材不足に直面する事になるよね。
そこで、威王は、王都、臨淄(りんし)の稷門の近くに大きな研究所を建てて
中華全土から学者を呼び寄せて、住まいを与え、多額の資金を援助して
好きな研究をさせた、その学者ばかりの村を稷下の学、
そこに集う人々を稷下先生と呼んだ、この学者村に集う人々は、
最盛期には1000人を超えたんだよ。」
河了貂「そこに来たのは、諸子百家って事?」
蒙毅「そう、陰陽(おんみょう)家、法(ほう)家、
道(どう)家、儒(じゅ)家、墨(ぼく)家、名(めい)家、
縦横(じゅうおう)家、雑家(ざっか)、農(のう)家、
そして、僕達の学んだ兵(へい)家、この十家と、
その諸流派を合わせて諸子百家と呼ばれている。
威王の偉大な所は、学者に言論の自由を許して、
好きなように議論研究させた事だった。
制限がない自由な環境の中で、諸子百家の思想は磨かれ、
ぶつかり合いの中で鍛えられていった。
春秋戦国の頃に、中華の思想は、その全てが誕生した、、
そう言われる程に、稷下の学が果たした役割は大きいんだ」
河了貂「へーーーっ、気前がいい王様もいたもんだね」
蒙毅「うん、繰り返すけど、稷下の学には兵家もいた、、
彼等は、ここで兵法論を戦わせる事になった。
これは充分に学校と呼べる場所になったと言えると思う」
素朴な疑問3 戦略図やコマは当時からあった?
河了貂「質問なんだけどさ、蒙毅、私達の軍師学校では、
戦略図や駒を使って作戦計画を立てていたけど、
ああいうのって、キングダムの時代にあったのか?」
蒙毅「う・・それは、君の質問かい?」
河了貂「ううん!うちのバカ(信)こんな面倒くさいもんが、
本当にキングダムの時代にあったか知りたいんだって!」
蒙毅「そうなんだ、信五千人将らしい・・
本質を突いた質問だね・・結論から言うとあるが正しい。
その形が漫画の通りかは、分からないけど、
盤上で軍に見立てた駒を動かして、勝敗を競うゲームは、
元々は娯楽として遊ばれていたボードゲームから
派生して生まれたものなんだ。」
関連記事:曹操も劉備もハマってた?三国時代の大人気ゲーム『六博』ってどんなの?
関連記事:信ってどんな人?キングダムの主人公は史実が少ない謎多き人物
関連記事:飛信隊はどのような構成だったの?史実をもとに強さも考察
墨子が楚の公輸盤(こうゆばん)と戦った攻城シュミレーション
蒙毅「例えば、昔、楚王が小国の宋を攻めようとして
技術者の公輸盤に、雲悌車を造らせた事があった。
それを聴いた墨子(ぼくし)は楚王を諌めようと楚まで行ったんだ。
楚王は、墨子と公輸盤が攻城戦のシュミレーションをして
墨子が勝ったら、戦は止めようと約束した。」
河了貂「攻城戦のシュミレーション?」
蒙毅「墨子は、革のベルトを解いて城壁を造り、
公輸盤と駒を用いて、シュミレーションゲームをした。
結果、公輸盤は、どんなに頑張っても城を守る墨子に勝てなかった。
面目を潰された公輸盤は悔し紛れに、私にはこの劣勢を挽回する
秘策があるが、今は言わないで置きますと墨子に告げた」
河了貂「秘策?どんなの?」
蒙毅「楚王の前を退出した墨子に刺客を放って殺す事さ」
河了貂「なんだよそれ!!汚くねーか!!」
蒙毅「まあまあ、、墨子はそれもちゃんと知っていたんだ。
そして、私を殺しても、宋には300名からの弟子が入り込んで
楚に備えているから、攻めても無駄です、と言い返した。
楚王は、それを聴いて宋を攻める事を断念した」
ジオラマで戦場を見せた、馬援将軍
蒙毅「もう一人は、僕らの時代から200年以上後の、
後漢の馬援(ばえん)という将軍の話。
馬援は、甘粛の隗囂(かいごう)という敵を攻めた時に、
主君である光武(こうぶ)帝が戦況を見にきたので、
米粒を積んで、地形を再現して、攻め方を説明した。」
河了貂「へえーー、ジオラマじゃん、
これなら、ウチのバカにも分かるかも」
蒙毅「光武帝は、それを見て、敵が目の中にあるようだ
と馬援を褒め称えた、確かに分かりやすかったんだね」
素朴な疑問4 軍師が職業になったのはいつ?
河了貂「これは、あたしからの疑問だけど、、
軍師って、いつから職業になったの?
少なくとも、秦の官職には軍師って職業は無いよね」
蒙毅「うん、河了貂の言う通りだね。
かなり長い間、軍師は将軍の補完機関として、
臨時に任される特別な仕事だった。
だから、大きな戦争が終わると解任されていたから、
軍師が職業になるのは、かなり後になった」
職業軍師の元祖は張良(ちょうりょう)
蒙毅「軍師という職業が、文字からもはっきりと分かるのは、
天下を争った劉邦(りゅうほう)が言い放った
謀を帷幄(テント)のなかにめぐらし、千里の外に勝利を決した。
という言葉から、推定する事が出来ると思う、、
ちなみに、この言葉を言われた主は、張良という軍師だよ」
河了貂「おおーっ!帷幄の中で計略を考えて、千里の外に、
勝利を決する、これって軍師だよ、確かに!」
軍師を参謀集団にした曹操(そうそう)
蒙毅「軍師は、戦争の指示をする仕事として、
無くてはならない存在になっていった。
この軍師を個人ではなく、組織としてまとめて、
参謀集団にした人物が、三国志の英雄、曹操だ」
河了貂「曹操って、あのチビのおっさんか?」
蒙毅「うん、僕達の時代からは400年後の人だけど、
彼は、それまで将軍を補完する存在だった軍師を、
複数人集めて丞相府に置いて、ブレーンとして使った。
単に戦争だけではなく、内政や人事や、色々な事に彼等
軍師を関わらせたんだ。
こうして、単体の軍師は参謀集団になった。
そればかりではなくて、曹操は、官職の中にも
軍師祭酒(ぐんしさいしゅ)という役職を設けて、
軍師を重用したんだよ」
関連記事:【初心者向け】本田圭佑が憧れている曹操(そうそう)という人はどんな人だったの?
関連記事:張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(1/3)
関連記事:【軍師特集】三国志、中国史、日本史にみる君主を支えた敏腕軍師たち
曹操の死後、参謀集団は、消滅してしまう・・
河了貂「ふーーん、あのちっこいオッサン、
あたし達、軍師にとっては恩人って事か」
蒙毅「ただ、曹操の死後、曹丕(そうひ)の時代になると
参謀集団になった軍師達は魏の方面軍である都督(ととく)の
監督官として中央から飛ばされていくようになる。
曹丕の時代には、三国の間で魏の優位が固まり、
軍師の必要性が低下したという事かも知れない。」
河了貂「そりゃあ、あたし達軍師が活躍する時代は、
戦争の時代、、それが不必要になるのは、いい事だけど切ないや」
蒙毅「その後、軍師は軍司と解消されて、
地方軍の都督の監察役になっていくけど、時代と共に活躍しなくなり、
唐の時代には、軍司は御史台(ぎょしだい)に変わって消滅する。
御史台は、作戦に関与するというよりは、本当に監視役という仕事で
軍師のイメージはまるで無くなってしまうんだ」
河了貂「そうなんだ、、仕事としての軍師は消えるんだな・・」
関連記事:頭がキーン…頭痛に悩んだ曹操、三国志演義は医学的に正しかった?曹操の見た幻覚の原因は何だったの?
関連記事:伝説が歴史となる!近年の発掘調査で発見された曹操の陵墓
NHK大河、真田丸の時代にあった軍師学校
河了貂「ところでさ!蒙毅、中華以外には、軍師って
いなかったのか? たとえば、日本とか?」
蒙毅「いい質問だよ、河了貂、、
日本には、軍師学校が戦国時代に実在していたみたいだ。
その名前を足利(あしかが)学校と言って最盛期には
3000人の学生が勉強していたと記録されている。
基本的な勉強は、儒学のテキストだけど、
易(えき)学、そして兵学や医学も教えられた。」
河了貂「へーっ!日本にはあったんだな学校、
もしかして、真田信繁とかも通ったりしてたのかな?」
蒙毅「そこまでは分からないけど、、
占いや、医学や兵学は、戦国時代では
必要不可欠な学問だし足利学校出身の軍師達が、
引っ張りだこだった、というのは事実だね」
河了貂「そうだったんだ!
今日は為になったよ、有難う蒙毅!!」
関連記事:三国志ならともかく戦国時代は興味がないから大河ドラマを見ないあなたへ。こうすれば真田丸も楽しめる!
関連記事:【真田丸特集】バツイチ女性が好きだった曹操と家康!
関連記事:ここを押さえれば大丈夫!NHK大河ドラマ『真田丸』を100倍楽しむ方法!
春秋戦国ライター kawausoの独り言
よく知られているようで、意外に知らない軍師の成り立ち、
そして、その後の歴史をキングダムの軍師二人に語って頂きました。
少しでも、お役に立てたのなら、嬉しいです。
本日も、悠久の春秋戦国時代に乾杯!!
関連記事:これぞゲスの極み!ぶっちゃけ王騎(おうき)将軍の年収はいくら?
関連記事:【これだけ読めば大体わかる】山崎賢人主演!キングダム実写化の内容を大胆予想!
関連記事:三国志を楽しむならキングダムや春秋戦国時代のことも知っておくべき!