「姦邪朝に盈ち、善人壅塞せらる(かんじゃちょうにみちぜんにんようそくせらる)」
この言葉は誰もが知っている魏の覇者・曹操(そうそう)が出した意見書の一文です。
言葉の意味は後に説明しますが、彼は若い頃から幾多の戦いを駆け抜け、三国志の魏の国の基盤をつくった英雄です。
残虐非道と悪いイメージが強い彼ですが、若い頃は漢王朝を良くしようと後漢皇帝である霊帝に対して意見書を送っています。
今回は曹操がなぜ意見書を出さなくてはいけなくなった背景を交えながら名言の意味を説明したいと思います。
この記事の目次
後漢王朝は霊帝によって腐敗
霊帝(れいてい)は前皇帝の跡を継ぐと悪政を開始。
彼は王宮の収入を増やすため官位の売買を行います。
役人は実力が無くてもお金さえあれば高位の官職を買える制度です。
役人は官位を買って自らに箔を着け、莫大なお金を払って買った官位の元を取るため民衆から税を巻き上げます。
この連鎖が地方の民衆たちの怒り、黄巾の乱が勃発する原因の一つです。
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能力のある人物が朝廷から姿を消す
霊帝の官位を売買する悪い政策に加え、皇帝の奥向きの役人である宦官達が後漢王朝の政治を仕切っておりました。
そのため後漢王朝内で発言権を持つためには宦官と仲良くしないといけません。
彼らに「友達になろうぜ」って言っても友達にはなれません。どのような方法で友達になるのでしょうか。
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はじめての三国志クイズ
突然やってくるはじさんクイズです。
今回は宦官と友達になる方法を次の三つからお選びください
1お金を渡して「友達になろう」とお願いする。
2美少女を渡して「友達になってよ」とお願いする
3高価な刀剣類を渡して「友達にならない」と誘う
さぁみんなでシンキングターイム
正解は~1番です。
彼らはお金が大好きで友達になるには高額のお金を賄賂として贈らなければなりません。
そのお金は民衆から搾り取った税金が充てられます。
皇帝と宦官達の悪政により、後漢王朝内は腐敗を加速し、世の中は乱れていきます。
熱血漢曹操。後漢王朝に就職
曹操は袁紹と共に他人の花嫁を奪うなど悪さばかりしておりましたが、
成人するとまじめになり、後漢王朝に勤める事になります。
彼は勤め始めると朝廷の腐敗ぶりを早速目にします。
宦官が政治を仕切ってのさばり、皇帝は政治を気にしないで遊んでばっかりでした。
さらに真面目に後漢王朝の世の中を良くしようとしている人物は、宦官達や能力のない役人達に官職を追われ排除されている状態でした。
曹操は後漢王朝の現状を憂い憤ります。
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その時、歴史に名言を残す:「姦邪朝に盈ち、善人壅塞せらる(かんじゃちょうにみちぜんにんようそくせらる)」
曹操は後漢王朝の腐敗ぶりを目の当たりにして霊帝に意見書を書きます。
彼の意見書の一文にこのような文言があります。
それは「姦邪朝に盈ち、善人壅塞せらる(かんじゃちょうにみち、ぜんにんようそくせらる)」です。
上記の言葉の意味は「朝廷には悪い人間達がのさばっており、善人(後漢王朝を良くしようと考えている役人など)達は出世の道を閉ざされている」と言う意味です。
曹操はこの意見書から分かる通り、若い頃は後漢王朝をなんとかしてやりたいという気持ちに満ち溢れていました。
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曹操の熱意がこもった意見書は届かない
曹操は自らの熱意を精一杯込めて霊帝宛てに意見書を出しました。
しかし霊帝から返事が返ってくることはありませんでした。
なぜならば手紙は霊帝に届いていていないからです。
彼が出した手紙は宦官達に破り捨てられてしまったからです。
曹操は霊帝の返事が届かない事で朝廷に見切りをつけます。
彼は後漢王朝の救いようのない腐敗ぶりを目の当たりに自らの覇道を歩むことになります。
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三国志ライター黒田廉の独り言
曹操は後漢王朝を建て直そうとした気持ちがありました。
しかし霊帝は宦官を重用し、後漢王朝を本気で建て直そうとしている人材の声に耳を傾けませんでした。
その一例が曹操の意見書を宦官達は一読したはずなのに破り捨てなかったことにします。
彼の意見書を読んだ宦官達は何を思っていたのでしょうか。
私の私見ですが、彼らは何も思わなかったのではないのでしょうか。
自らの財産を増やす事や霊帝に気に入られる事にしか興味のない人の集まりですから。
皆さんはどう思いますか。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃまたにゃ~
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。
何か一言:好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。