劉備(りゅうび)が荊州の劉表の元に身を寄せたいたころ、司馬徽(しばき)こと水鏡に出会いました。水鏡は劉備に対し、劉備軍の人材には軍師が足りないことを説きます。そして、臥龍(がりゅう)と鳳雛(ほうすう)を迎え入れることを提案します。劉備はその教えに従い、臥龍と鳳雛の二人を劉備軍へと迎え入れます。
その臥龍と鳳雛が、劉備を支えた軍師である諸葛亮(しょかつりょう)と龐統(ほうとう)です。二人の軍師を得た劉備は、蜀を平定し漢中王となりました。劉備に限らず、歴史上の人物の中には二人の軍師に支えられて活躍した人物が数多くいます。今回は、三国志だけでなく中国史、日本史から、君主を支えた二人の軍師について紹介します。
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周瑜と張昭
まずは、三国志からです。周瑜(しゅうゆ)と張昭(ちょうしょう)は、孫権(そんけん)に仕えた呉の武将です。孫権の兄である孫策(そんさく)は、その死の間際に「軍事については周瑜に、内政については張昭に任せるよう」孫権に言い残し、この世を去りました。父と兄を亡くした悲しみにくれる孫権に対し、張昭は叱咤し孫権を後継者として支えました。
また、19歳の若さで君主となった孫権は、配下の武将から軽く見られていました。しかし、周瑜だけは率先して孫権に臣下の礼を取ることで、他の武将の手本になりました。これによって、孫権はリーダーシップを存分に発揮して呉を建国します。これらの活躍には、張昭と周瑜がいたからこそ成しえたといっても過言ではありません。
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陳平と張良
陳平(ちんぺい)と張良(ちょうりょう)は、三国志よりもさらに歴史が遡った、秦(しん)が滅亡し漢(かん)へと変わる時代の人物です。この時期の中国は、秦の始皇帝により統一されていましたが、始皇帝が死んだ後に皇帝の座についた胡亥(こがい)は政治をせずに遊び呆けていました。
これに耐えかねた民によって各地で反乱がおこります。その反乱に参加していたのが項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)です。その後、劉邦は漢、項羽は楚を建国し、中国統一を目指し戦います。その時、劉邦に仕えて、中国統一のために戦ったのが陳平と張良です。
陳平は謀略に長けており、奇策を用いて劉邦の命を6回も救った人物です。また、張良は戦略に長けており、項羽との戦いは張良のシナリオ通りに進んでいきました。
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劉邦の中国統一を手助けした二人の軍師
この二人の活躍により、劉邦は中国を統一し、漢王朝を開くことができました。この優秀な二人の軍師を「良平」と呼び、優秀な軍師を指す際に「良平」と呼ぶようになりました。余談ですが、この劉邦が建国した漢は、三国志では蜀のあった位置にあります。劉備も同じく蜀から中国統一を狙っていました。このように劉邦と劉備は名前だけでなく、優秀な二人の軍師に恵まれるなど共通点が多い二人です。
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竹中半兵衛と黒田官兵衛
竹中半兵衛と黒田官兵衛は、日本の戦国時代に豊臣秀吉に仕え、天下統一を支えた人物です。竹中半兵衛は、豊臣秀吉に仕える前は美濃(岐阜県)にある稲葉山城の斉藤龍興(さいとうたつおき)に仕えていました。
当時、美濃は織田信長による執拗な攻撃をされていました。しかし、斉藤龍興は酒と女に夢中で、政治に興味を持っていませんでした。それを諫めるために、竹中半兵衛はわずか16人で稲葉山城を制圧します。
これを知った織田信長は、竹中半兵衛に美濃の領地と引き換えに稲葉山城を明け渡すように交渉しますが、竹中半兵衛はこれを拒否し斉藤龍興に稲葉山城を返還します。この話を聞いた豊臣秀吉は、竹中半兵衛に「三顧の礼」をもって、配下に迎え入れます。その後、竹中半兵衛は、知略と兵法に長けていたため陣形のすべてを任されました。
黒田官兵衛は、本能寺の変により織田信長が討ち取られた際に、豊臣秀吉に明智光秀を討伐するように仕向けた人物です。長年にわたり、豊臣秀吉に仕え天下統一に貢献した黒田官兵衛ですが、あまりにも優秀すぎて、豊臣秀吉からも距離を置かれてしまいます。黒田官兵衛は、時代を読むのに長けた人物で、その能力たるや築城、軍事、謀略、政治もできる武将でした。
豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛と黒田官兵衛を、先に紹介した張良と陳平になぞらえて、「豊臣の良平」とも呼ばれています。また、竹中半兵衛は、豊臣秀吉が天下を統一する前にこの世を去ります。諸葛亮と龐統に近しいものを感じます。
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三国志ライター黒太子の独り言
今回は、三国志を通じで中国史、日本史で君主を支えた二人の軍師について紹介してきました。劉備や孫権、劉邦、豊臣秀吉といずれも一国を築いた人物ですが、その輝かしい栄光には、二人の軍師によるサポートがあったからこそだと言えるのではないでしょうか。また、三国志、中国史、日本史など時代や場所の違う歴史の中で、多くの共通点を発見することも歴史ならではの楽しみだと思います。
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