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歴史上最も有名な義兄弟の誕生!桃園の誓い

2015年2月13日


 

桃園兄弟

 

桃園の誓いとは、三国志の序盤のハイライトとして有名なシーンです。

 

時は、西暦184年、太平道の教祖、張角が信徒30万人に黄色の頭巾を

させて、腐敗した漢王朝を倒そうと決起した黄巾の乱の最中。

 

曹操や袁紹、菫卓、袁術孫堅劉表皇甫嵩朱儁盧植馬騰

公孫瓚、後の戦国時代を彩る群雄が雲霞の如く湧きあがり、

黄巾賊と激戦を繰り広げていた時代です。

 

河北の涿県涿郡に劉備玄徳という23歳になる貧しい青年がおりました。

 

彼は年老いた母と二人暮らしで、筵や草履を編んで暮らしていましたが、

落ちぶれたとは言え、元は、この辺りの名族の出身で、

先祖は、前漢の中山靖 劉勝に繋がるという王族の末裔です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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太平道と関係ない連中まで黄巾賊と名乗り始める

黄巾党員

 

さて、黄巾賊は、初期の腐敗した世の中を正すという理念はどこへやら、

勢いが広がるにつれて、太平道とは関係ない賊までが、

黄巾賊と名乗るようになり、村や都市を襲っては、放火や略奪、強姦、

人さらい、殺人という、あらゆる犯罪を起こすようになります。

 

劉備は、そのような黄巾賊の在り方に憤り、漢王朝に連なる自分は、

今こそ、義勇兵として黄巾賊の討伐に参加し、皇室を安堵させ、

民の苦しみを救いたいと思うようになります。

 

しかし、現実の劉備は、義勇兵どころか、毎日の暮らしも精一杯の

貧しい暮らし、街に立てられた「義勇兵求ム」の立て札を前に

何もできない無力な自分を嘆いて涙をこぼすのでした。

 

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張飛との出会い

張飛 文武両道

 

そこに因縁をつけて来たのが、張飛翼徳です。

身の丈2メトールの張飛は、当時16歳ですが、

一人で肉屋を切り盛りするなど商才には長けた男でした。

 

「いい若い男がめそめそ泣きやがって!

一体、全体、どうしたってんだ、この俺で良ければ話を聞くぜ」

 

そこで、劉備は、それがカクカクしかじかで、、と自分の身の上を話します。

 

「そうか!見た目は頼りないが、お主、なかなか骨がある男だな

俺も黄巾賊は、忌々しい連中と思っていた所よ、、

よし、一杯飲もう、俺の奢りだ!!」

 

16歳の若造に奢られる23歳というのもアレですが、

劉備は誘われるままに、張飛の行きつけの酒屋に行き、

世の中を憂いながら、酒杯を重ねていきます。

 

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関羽との出会い

関羽神様

 

その居酒屋には、、身の丈2メートル16センチ、髯の長さが48センチという

関羽雲長という21歳の若武者が先客でいました。

 

関羽は、劉備と張飛の話を聞く間に、いよいよ自分が普段思っている

事と同じだと感心して、二人の間に割って入り挨拶をします。

 

劉備と張飛も、物静かながら内面に熱い志を秘めている関羽を認め

3名は同じテーブルで痛飲するのでした。

 

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3人は意気投合

子供 桃園

杯を重ねれば、重ねる程に、3名は自分達が、まるで何十年も

付き合いがあった親友のように考えている事が同じだと気が付きます。

 

「なあ、劉の字に関の、、こんな事を言うのはガラじゃあないが、

俺達が今日出会ったのは、何かの思し召しのような気がしてならん

どうだろう?俺の家の裏庭で義兄弟の契りをしないか?」

 

張飛の提案に、劉備も関羽も、

「俺達も今、同じ事を考えていたよ」と答えました。

 

張飛は、喜び勇んで、二人を自分の家に案内して、急いで祭壇を造ると

飼育している牛を生贄に殺して神に捧げます。

 

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桃園の誓いを行なう

桃園の誓012

「俺達は、生まれた日はバラバラだが、

こうして、義兄弟の契りを結んだからには、どこまでも助け合おう

上は漢王朝に忠誠を尽くし、下は苦しんでいる民百姓を救い、

死ぬ時は、同じ年、同じ月、同じ日に死ぬ事を誓おう!」

 

こうして、3名は、神に誓いを立て、義兄弟の契りを結ぶのです。

 

そして、一番、年長である劉備が長兄、次の関羽が次兄、一番年下の

張飛が、末弟と取り決められました。

 

3名は、ここから直ぐに、村の若者に呼び掛け、

500名という志願者を集めて、馬商人、張世平と蘇双の援助を受けて、

三国志の乱世へと飛び込んでいく事になります。

 

三国志演義は。桃園三兄弟の登場から俄然面白くなっていくのです。

 

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この記事を書いた人:kawauso

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自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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