中国は、白髪三千畳の国とも言い、とにかく表現がオーバーな国です。
三国志もその例外ではなく、身長一丈(3m)という兀突骨(ごっとつこつ)
という南蛮武将は、全身をウロコに覆われている設定です。
しかも兀突骨は、諸葛亮(しょかつりょう)の新兵器、
地雷によって、仲間もろとも焼き殺されて全滅してしまうのです。
ほとんど宮崎アニメの巨人兵のような扱いのように思えます。
また、三国志と言うと、武将の無念の死に様として、やたら吐血する
という事でも有名ではあります。
このコラムを書くにあたり、改めて、血を吐き、或いは血を噴き出して
死んでいく武将の多さにびっくりしました。
なので、ここで供養もこめて、そんな吐血武将を紹介します(笑)
この記事の目次
吐血ナンバー① 袁術公路(えんじゅつ・こうろ)
袁紹の同族、4代に渡り、漢王朝で三公を出した名門の家柄
庶民の苦しみを知らず、重税を課し、搾取を行い、
戦争と飢饉で、国が弱体化、曹操軍に追われ
袁紹の下に逃げる途中、食糧が尽き、あまりの惨めさに絶叫し、
大量の血液を口から吐いて憤死、、
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吐血ナンバー② 孫策伯符(そんさく・はくふ)
江東の虎、孫堅(そんけん)の子、父の戦死後、袁術(えんじゅつ)の
支配下から独立して、長江の以南で各地を転戦、
会稽郡、呉郡を制圧し小覇王と呼ばれる。
しかし、曹操にスパイ行為を行った許貢(きょこう)を処刑後、
その食客により襲われて、頬に矢傷を受ける。
傷は浅かったが、顔には醜い後遺症が残り、それを鏡で見て絶望
傷口が開いて、大量の出血を起こし、以後、衰弱し死亡。
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吐血ナンバー③ 袁紹本初(えんしょう・ほんしょ)
4代に渡り、後漢王朝で三公を出した袁家の名族出身
有能な家臣に恵まれ、華北の冀州、幽州、櫲州など4州を支配し、
北方の雄、公孫瓚(こうそん・さん)を降して、曹操を凌ぐ力を持つ。
西暦200年に、官渡の戦いで曹操(そうそう)と激突するが、
優柔不断が祟り許攸(きょゆう)の裏切りで食糧庫の烏巣を焼かれて敗戦。
敗戦のショックで、病気に罹り、三男、袁尚(えんしょう)が曹操に敗れると
それが駄目押しになったのか、、血を吐いて死亡。
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吐血ナンバー④ 周瑜公瑾(しゅうゆ・こうきん)
小覇王、孫策の幼馴染で智謀と武勇に優れた武将、、
特に赤壁の戦いで、曹操に降伏する方向に傾いていた呉の世論を
主戦に纏め、圧倒的多数の曹操軍の軍船を焼き討ちにして
戦いを勝利に導いたとして有名。
演義においては、諸葛亮の才能に嫉妬し、これを亡き者に
しようとして動くが、すべて諸葛亮に裏を掻かれ、
恨み事を吐きながら喀血して死亡、、
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吐血ナンバー⑤ 曹真子丹(そうしん・したん)
三大の主君に仕えた大将軍、、
諸葛亮の北伐に対して、対抗してこれを阻止するなど
対蜀漢政策に中心的な役割を果たした他に、
西暦230年には、逆に蜀に攻め入るプランまで立てた実力派、、
しかし、演義では、司馬懿(しばい)に存在感を喰われてしまい、
諸葛亮の智謀に翻弄される無能な人として描かれ、
最期には病床で自分を侮辱する諸葛亮の手紙を読んで、
血を吐き憤死する、、
上の五人以外にも、関羽を討ち取った呂蒙(りょもう)も、
演義では関羽(かんう)の呪いで、原因不明の病に罹り最期は、
喀血して死ぬなど、、血を吐いて死ぬシュチュエーションは、
三国志には、事欠かない現象であると言えます。
ああ、吹きまくる血しぶきに、貧血になりそう、、、
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この記事を書いた人:kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、