三国志のなかには謀略や戦略に優れているものたちが多数登場します。
軍師として君主を補佐できるものたちです。
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もしもあなたが君主だったら誰を軍師として起用するか
三国志ファンであれば一度は考えたことがあるはずです。
シュミレーションゲームであれば、その夢を叶えることができます
(あくまでもゲームの世界のなかの話ですが)やはり人気があるのは諸葛亮でしょうか。
絶対的に信頼できる的確なアドバイス、
そして戦場でもおそろしいほど強力な計略をバンバン仕掛けることができます。
魅力や政治力が高いことも人気が高い理由のひとつでしょう。
次に人気があるのは周瑜だと思います。知略面もさることながら、
実際に兵を率いて戦う統率力や武力も高いものを持っています。
「美周郎」と呼ばれるほどのイケメンだということも人気を高める要因になっています。
諸葛亮と周瑜を比較した場合、どちらが優れているとは結論を出しにくいですが、
決定的な差は、周瑜は寿命が短いという点で不安を抱えています。
まさに「美人薄命」といったところです。
賈詡と陸遜
ややマニアックな軍師で比較してみましょう。
まさに「良禽は木を択んで棲む」といったところです。曹操と巡り合って賈詡は落ち着きます。
賈詡は謀略面や先を見通す才能が飛び抜けています。
なにせあの曹操を策をもって追い詰めたことがあるのです。
逆に賈詡が出し抜かれたという話は聞いたことがありません。
こと謀略面においては陸遜より一枚上手だったのではないでしょうか。
陸遜も計略を何度も成功させてきた天才です。賈詡と違うのは、主君に対して一途であること。
実際に兵を率いて戦場で活躍するだけの統率力や武力も有していることでしょうか。
明暗を分けた主君へのアドバイス
ふたりの将来に大きく影響を及ぼしたのが、「家督問題」です。
誰が家督を継ぐのかという問題は実にやっかいな爆弾で、
扱いを誤るとあっと言う間に首が胴から離れることになりかねません。
一番の権力を有する君主を怒らせてしまう可能性があるのです。
賈詡の場合、曹操から家督問題を相談されて、
その問題で失敗した袁紹と劉表を引き合いに出してうまく曹操を正解に誘導します。
その甲斐あってか、家督を継いだ曹丕は恩を感じて賈詡を重用することになりました。
では、陸遜の場合はどうでしょうか。
彼は孫権に何度も上書しアドバイスします。
この場合、孫権と陸遜のふたりが、直接話し合っていないということが問題でした。
当時の孫権は落日の勢いで失墜し、判断力が低下していたのです。
書面で孫権のやり方に抗議し、やがては直接説得しようと試みますが、
孫権に「うざい」と思われて流罪になり、63歳の若さで憤死します。
そして呉は迷走していくことになるのです。
家督問題を上手に対処した賈詡と、正論を突き受けるも受け入れられなかった陸遜。
この点において優れていた政治家は賈詡だったといえるでしょう。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
司令官としての重責を担い、かつ命をかけて戦場で戦えるのは間違いなく陸遜のほうです。
総合力においては陸遜が賈詡に劣るとは思えません。
ただし、謀略面や政治面だけをクローズアップしていくと、
賈詡のほうが優れているような気がしてきます。
でも、私が三国志の英雄のひとりだったら(ちなみに袁術だったら)欲しいのはやっぱり陸遜ですね。
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