陥陣営の異名を取った生粋の軍人「高順」はいかにして呂布軍の名将になったのか?

2022年4月17日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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成廉、魏越、呂布

 

呂布軍(りょふぐん)というと皆さん誰を思い浮かべるでしょうか?

 

呂布に従う陳宮

 

その勇猛さ天にも轟(とどろ)く・呂布。曹操(そうそう)に惜しまれながらも、最期は呂布に仕えたまま終えた陳宮(ちんきゅう)。

 

敵を相手にして奮闘する張遼

 

後の暴れっぷりが凄くて三国志演義(さんごくしえんぎ)の方であれでも活躍を削られている張遼(ちょうりょう)。

 

赤兎馬と呂布

 

え?赤兎馬(せきとば)?うん今回は馬ではなく人の方で……ということで。実はもっともっと評価されるべき呂布軍の名将、高順(こうじゅん)のお話をしましょうか。

 

 

呂布配下・高順

高順

 

高順は呂布の配下武将、といってもその地位は中々に高いものです。なんと出てきた時には既に都督(ととく)の地位であり、後に中郎将(ちゅうろうしょう)の地位に付きます。

 

高順

 

この中郎将の地位は色々な種類があるのですが、主に皇帝の周辺を守る重要な役割であり、信任された人物でないと着くことはできないボディーガードのような立場、というと分かりやすいでしょうか。

 

ともあれ、高順はそれほど呂布軍において高い位置にいたのです。……実はそこに至るまでどんなことをしていたのかは不明なのですが。

 

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呂布対項羽

 

 

 

高順、活躍しています

郝萌(かくぼう)と曹性をボコボコにする高順

 

そんな高順を語るとなると、彼の通り名を紹介せずにはいられません。その呼び名は「陥陣営(かんじんえい)」。これは高順が攻撃した敵の陣は必ず撃破される、ということから付けられた名前です。この事から呂布や張遼にも引けを取らない猛将であることが窺い知れるでしょう。

 

方天画戟を持つ呂布

 

呂布軍というと呂布の凄まじい強さ、そしてそれにも劣らぬ後の張遼の凄まじすぎた強さにばかり目を奪われますが、決して高順もそれに劣っていた訳ではないのです。

 

関連記事:高順(こうじゅん)ってどんな人?張遼と双壁を為す呂布軍の名将

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張遼

 

 

高順は活躍しているのですが

 

また高順は義に厚い性格であり、清廉潔白な人柄であったとか。それが分かるのが「高順は酒を一切飲まず、贈り物も受け取らなかった」というお話。贈り物とは恐らく賄賂の類と判断すると、高順の潔白さも分かりますね。あとお酒飲まないのはいいね!ね!(誰かを見つめながら)

 

そんな高順は196年6月には、呂布の部下が反乱を起こした際にこれを迅速に鎮圧。二年後の劉備(りゅうび)との戦いでは沛城(はいじょう)を攻め落して劉備の妻子を捕え、救援の夏候惇(かこうとん)を追い払うなどしっかりとした働きを見せています。

 

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夏侯惇

 

寡黙だった高順

高順が呂布に疎んじられた理由

 

呂布はこの高順の働き、その忠誠を評価していますが、しかして呂布の高順への扱いは良いとは言えません。ある時、呂布は高順の精兵を取り上げ、魏続に渡してしまいました。この魏続は呂布と親戚関係にありますから、何とも縁故的なものを感じます。

 

高順が呂布に疎んじられた理由

 

この後で戦いが起こったので呂布は魏続の兵を高順に与えて戦わせています。それでも高順は呂布に怨みを抱くことなく、従い続けました。まあその一方で陳宮とは仲が悪かったみたいですけれど。そしてこれが後で効いてくるんですけど。

 

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呂布

 

 

高順の最期

高順が呂布に疎んじられた理由

 

ある時、呂布は曹操に追い詰められて下ヒで籠城を行います。この時に呂布は陳宮、高順に城を防衛させ、自ら出陣して曹操軍の補給路を断とうとします。ここでこれに異を唱えるたと言われるのが呂布の妻、厳氏(げんし)。厳氏は陳宮と高順が仲が悪いことを指摘し、結局この作戦を呂布は取りやめました。

 

曹操に捕らわれる高順、呂布、陳宮

 

結果、呂布は敗北し、陳宮、高順両名も捕縛されて曹操の前に引き出されます。呂布は最期は曹操に自分を配下として引き入れるよう言うも劉備の進言で却下され、

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

陳宮は曹操に惜しまれながらも決して振り返らず、そして高順は最期まで呂布の配下として、三人は歴史から消えたのでした。この高順の最期は三国志演義でも同じく、最期まで呂布への忠義を貫いての退場となっています。

 

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はじめての三国志Youtubeチャンネル

八健将に含まれない高順

藏覇(臧覇)

 

三国志演義の話が出たので、丁度良いので八健将(はちけんしょう)についてもお話しましょう。三国志演義には呂布の「八健将」という、それぞれ勇猛果敢で武勇に優れた将たちが名前を挙げられています。この面子が張遼、臧覇(ぞうは)、郝萌(かくぼう)、曹性(そうせい)、成廉(せいれん)、魏続(ぎぞく)、宋憲(そうけん)、侯成(こうせい)なのです。

 

正史三国志_書類

 

で、ここにはなぜか高順の名前がないのですよね。このため高順は後世においてちょっと注目度数が低いと思うのですが……これに関しては個人的に「羅貫中(らかんちゅう)は高順を呂布配下、ではなく、呂布とタメ張れるほどの名将」と考えていたのではないかと思います。

 

曹操を守るボディーガード典韋

 

曹操にとっての典韋(てんい)や許(きょ)チョのような存在、もしくは夏候惇レベルの武将、と判断したために敢えてここからは除外したのではないかと思うのですが……皆さんはどう思いますか?

 

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曹操孟徳

 

 

 

隠れた名将・高順

三国志演義_書類

 

色々なことを述べましたが、高順は間違いのない名将、であると筆者は思います。ただし、三国志において「活躍をした期間が不思議と短い」というデメリット(?)がありますね。

 

呂布

 

こういった件もあって、また呂布や張遼、陳宮が印象が強すぎるのもあって、呂布陣営、というとちょっと隠れがち。ですがその活躍、記録は(英雄記からですが……)中々に華々しいものです。ぜひとも今後、注目されて欲しい武将でもあります。

 

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英雄の死因

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

高順は本当に今からでももっと注目されるべき人物だと思いますね。創作物として考えると何をやっていたのか分からない高順の空白期間、色々と妄想ができて楽しいと思うのですが、どうでしょうか?

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

ぜひとも某ゲームでも高順を出して頂いて、呂布陣営の破格の強さを再現して頂きたいものです。どうぞ高順を、よろしくお願いいたします……

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼーん!

 

参考文献:魏書呂布伝 武帝紀

 

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英雄の墓

 

 

 

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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