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この記事の目次
漢楚戦争~漢王朝の成立と没落
反秦連合に参加した諸侯の中から台頭してきたのが劉邦と項羽です。
彼らは覇を競って戦い、『垓下の戦い』においてついに劉邦が項羽を討ちます。
劉邦によって新たに成立した統一王朝が漢です。
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漢王朝は途中、一時的に王莽によって王位を簒奪されますが(王莽によって成立した王朝を『新』と言います)、その前後400年に渡って全土を支配し続けます。新以前の漢王朝を前漢、新以後を後漢と呼びます。
漢王朝末期、宮廷内は皇后の親族である外戚と、皇帝の後宮(・婦人たちを住まわせた宮殿)に使える宦官との間で対立が生じ、国政が乱れます。
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農民たちの信仰をあつめていた宗教、太平道の教祖であった張角は、漢の支配の時代は終わったとして叛乱を起こします。
黄色い頭巾をその目印にしたことから、その叛乱は『黄巾党の乱』と呼ばれました。時に西暦2世紀末のことです。
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後漢王朝末期~三国時代の成立
黄巾党の乱の後、台頭してきたのが劉備・曹操・孫権の三人でした。
彼らはそれぞれ蜀、魏、そして呉と言う国を成立させ、この三国が覇権を争う時代が訪れます。
この時代を三国時代と呼びます。
物語『三国志』の舞台となるのは、正にこの時代です。
この時代は約100年にわたって続きますが、三世紀の末期、魏から王位を簒奪して成立した晋によって、再び天下は統一されます。
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キングダムと三国志との間は400年以上離れている
コミック『キングダム』と『三国志』の違い、お分かり戴けましたでしょうか?
『キングダム』は『三国志』よりも400年も前の時代の物語です。
政による全土統一があったからこそ、後に劉備や曹操が覇を競い合う『三国志』の時代が訪れると言っても過言ではないでしょう。
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—熱き『キングダム』の原点がココに—