朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第9部

2017年11月26日


 

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ナレーション:さァ、大変な事になったぞ!

周瑜(しゅうゆ)を倒した司馬懿(しばい)を憤死寸前まで追いこんだ

諸葛孔明(しょかつ・こうめい)だったが、突然の商談の電話に出た上に

商談の電話を優先して勝負を放棄してしまったのだ。

 

これも司馬懿の強運か?それとも孔明が遊び半分過ぎるのか?

いずれにせよ、折角、時間枠を抑えて仕事で出て頂いているので、

軍師の皆さん、番組の間は、ビジネスライクは控えて欲しいのココロ・・

混乱の度合いを増す、朝まで三国志、今度は何が飛び出すのかッ?

 

関連記事:朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第1部

前回記事:朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第8部

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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何だかんだで、陸遜が何もPRしていない

 

Kawauso「これで大体、一巡してきたと思うんだけど、

よく考えると陸遜(りくそん)がほとんど喋ってないよね?」

 

 

陸遜「え?そうですか・・」

 

※おどおどする陸遜

 

荀彧(じゅんいく)「基本、袁術(えんじゅつ)さんに

ミカンをぶつけられていただけですね」

 

 

袁術「ふん、、こんな若僧に、話す内容なんかあるのか?」

 

※ケチをつけてみる袁術

 

 

郭嘉(かくか)「うるさい周瑜がいない間に ぷっ・・」

 

 

禰衡(でいこう)「陸遜は、君主以外では、孔明と並んで

単独で列伝が立てられている人物です

それはつまり、業績において孔明に並ぶと、

陳寿(ちんじゅ)が考えていたという事ですね」

 

 

Kawauso「へーーー」

 

 

法正「息子の陸抗とセットだけどな・・」

 

 

陸遜「いやいや・・ボクなんか、本当に大した事ないですよ」

 

※照れている陸遜

 

 

袁術「じゃあ、何で出場したんじゃ!このバカちん!」

 

※袁術がミカンをぶつける

 

 

Kawauso「術さん荒れてるなァ・・」

 

 

法正「お猿は人気があるヤツが嫌いなんだろ・・」

 

 

荀彧「陸遜君の気持ちも分かります、

自分で自分を褒めるのは、恥ずかしいですからね。

どうでしょう?ここは私が、陸遜君の事績を

代わりに紹介しましょうか?」

 

 

Kawauso「おー!いいね、お願いします」

 

 

陸遜「うわー、有難う御座います!」

 

元々孫呉は仇だった?陸遜の生い立ち

 

荀彧「陸遜は、西暦183年生まれ、江東の豪族の生まれですが、

幼い頃に父を失い、当時の慣例で従祖父の廬江太守陸康(りくこう)の世話になります。

しかし、この陸康は、そこの袁術さんとトラブルになり、

キレた袁術さんが差し向けた孫策(そんさく)に滅ぼされてしまいます」

 

 

Kawauso「へーー、じゃあ、元々、呉は仇なんだ」

 

 

陸遜「はい、あ、でも昔の事なので・・・」

 

 

袁術「なんじゃ!お前、陸康の親戚か・・」

 

 

禰衡「孫策は、廬江を落としたら太守にしてもらえるという約束で

頑張ったのですが、袁術はあっさり約束を破っていますね」

 

 

袁術「孫策のヤツめ、、発破をかけようと、

ちょっと景気の良い事を言ったら本気にしおって

これだから、世間が分からん若僧はダメなのぢゃ」

 

※ブラック企業の社長顔をしている袁術

 

 

法正「お猿の部下じゃなくて、良かったぜ

劉璋(りゅうしょう)でも、もう少しマシだ」

 

 

荀彧「そのような事もあり、やはり孫策が存命中は仕官していませんね。

孫呉が代替わりして、孫権が当主になった西暦203年でした。

孫権は、孫策と違い、ワンマンではなく、江東の豪族を尊重したので、

これは大丈夫という判断が働いたのでしょう・・

逆に言えば、いかに孫策がヤンチャしていたかが分かります」

 

 

Kawauso「孫権に仕官した後、陸遜は何をしていたの?」

 

 

荀彧「海昌の屯田都尉になり、農政に関係していますね。

同じ年に海昌県は大旱魃になり、陸遜は倉を開いて食料を分け与え、

養蚕を奨励して、貧しい村が豊かになるように尽力しています。

もう、一つは戸籍に入っていない呉、会稽、丹楊、異民族を

孫呉の兵力として徴募する事を孫権に提案しています。

 

その頃、会稽の山賊大帥の潘臨(はんりん)というのが手強い賊でしたが、

陸遜は、手持ちの兵士だけで、深い山に分け入り討伐しました。

基本、賊の首領以外は許して配下に加えたので

人々の心を掴み、帰順する人々が増えました」

 

 

Kawauso「なんか、トマトジュース飲んでる周瑜(しゅうゆ)には

悪いけど、粗が無い人生だね、、」

 

 

陸遜「すみません、良く紹介してもらって恐縮デス」

 

 

司馬懿「ふん、いけすかないヤツよ、ペコペコしおって・・」

 

陸遜の謙虚さは武器、最強、関羽を倒した強かさ

 

荀彧「しかし、陸遜の武器は、その謙虚さの中にある強かさでもあります。

ずーっと呉の外では無名だった陸遜ですが、荊州南郡を支配していた、

三国志の古強者、関羽(かんう)を討った事によって

その名を中華に轟かせました」

 

 

※スタジオどよめく

 

 

Kawauso「それはよく聞く話だけど、

具体的にはどんな風に関羽を撃破したの?」

 

 

荀彧「呉志、陸遜伝によると、西暦219年、荊州南郡に割拠した関羽の監視は

病死した魯粛(ろしゅく)を引き継いで都督になった呂蒙(りょもう)

行っていましたが病気となり、一時、本国へ帰還する事になりました。

 

この時、陸遜は、呂蒙に会いに行き、

『関羽を置いたままで、どうして帰還するのですか?』と詰め寄っています。

呂蒙が病気の為に、やむを得ないのだと説明すると陸遜が言うには、

 

“関羽は奢り高ぶり、人を踏みつけにします。

今、南郡を得て、野望を逞しくしたので益々プライドは高くなり、

気は急いで、ただ魏を討伐する事だけを考え、我々を警戒していません。

あなたが病だと聞けば、孫呉への備えをますます解くでしょう。

現在が、関羽がノーマークな今こそ、これを排除するチャンスです。

主上と会見して、打ち合わせ、関羽を討つ算段をすべきでしょう“

 

等と述べて、関羽を討つチャンスは今しかないと呂蒙に説いたのです。

 

呂蒙は、聞いている間に陸遜の才能が非凡である事を知って、

孫権と会見し、自分の後任に陸遜を推挙しています」

 

 

諸葛亮「陸遜の言を見ると、ヒゲ殿の性格をよく見抜いていますね、、

表面は謙虚ですが、よく相手を見て弱点を突く事に長けています・・」

 

※いつの間にか戻ってきていた孔明が、スマホをいじりつつ言う

 

関羽に媚びまくり警戒心を解く 陸遜の関羽アゲ↑手紙2通

 

荀彧「こうして、呂蒙の後任になった陸遜は、

徹底して関羽に対して下手に出て、その警戒心を解く事に腐心します。

それは謙虚というより、意図的に自身を小者に見せかけて、

関羽に侮られるように仕向けているのです。

 

同じく、呉志 陸遜伝より、その媚びまくりの手紙を引用しましょう

 

 

“前任者、呂蒙から承っておりますが、将軍は、敵の虚を突いて動き、

厳しい軍律によって無敵の用兵を行い、その力によって少数を持って

大兵を打ち破り、一つ、一つの功績が輝かしく眩い限りとの事でして、

魏の敗北は蜀呉同盟にとってのメリットで、喜ばしい限りです。

きっと、軍勢は華北を席巻して、共に王者の地位を獲得できるでしょう。

 

ドジでのろまな亀の私は、任務で西に来て、将軍の後ろ姿を拝むだけで精一杯、

関羽サロンがありましたら、是非参加してノウハウを学びたい次第です

 

多少、手紙は現代風に誇張していますが、このように陸遜は、

個人的に関羽を尊敬していると綴り、自分は無能で愚鈍であると

相手を持ち上げ自身を卑下していますね」

 

 

Kawauso「うわー、媚び媚びだね・・」

 

 

法正「人によっては、あまりの媚びに気分を害したり、

なにか裏があると思いそうだが、当時は関羽の絶頂期だ、

おまけに名誉欲が強い人物だからな、、

悔しいが完全に手玉に取られている印象だな」

 

 

袁術「おまえ、見た目によらず、ずる賢い所があるのぅ?」

 

 

陸遜「こ!この時は、何とか孫呉の勢力を伸ばそうと必死だったんですぅ」

 

 

荀彧「この手紙を出した後、関羽は樊城を包囲して、魏の第七軍の于禁(うきん)を

長雨を利用して捕虜にしましたが、その時にも関羽をベタ褒めする手紙を送っています。

 

“魏の名将、于禁らを捕虜にしたとの事で孫呉でも国を挙げて歓んでおります。

まさに、将軍の勲功は後世に伝わるに足り、晋の文公の城濮の師や、

韓信(かんしん)大将軍の背水の陣でも、将軍の功績には及ばないと思います。

 

私の聞いた話では、徐晃(じょこう)らが少騎で旌旗の下に駐屯し

将軍の拠点を狙っているとか?曹操(そうそう)は狡賢い男であり、

怒っては難を思わず、恐らくは密かに軍兵を増して逆襲の機会を伺っておりましょう。

 

魏軍は大敗し、疲労したとはいえ、なおも戦闘力を保持し侮れません。

さらには、勝利の後には、往々にして敵を軽く見る傾向が御座います。

古人の言葉を借りれば、勝って兜の緒を締めよとも申しますので、

願わくば将軍は、視野を狭くなされず、大計を計って勝ち続けて下さいませ

 

私は、タダの取るに足らない泥亀でして、分不相応な大任に怯えていますが

将軍の漢室への義に対しては命も惜しまぬ関羽イズムに心酔しています、

もはや、一関羽ファンで御座います

 

 

将軍と共に計略を図れる程の策も御座いませんが、心から慕っています。

私が、常に将軍の活躍を熱く眺めている事を、どうかお察し下さい“

 

関羽は二通目の手紙を貰った事で、陸遜を軽んじて完全に警戒心を解き、

僅かに残った孫呉に備えた兵士も、樊城と襄陽の包囲に参加させます。

下手に出まくった陸遜の作戦勝ちと言えるでしょう」

 

 

Kawauso「これに乗ってしまった関羽の心理状態がアレな感じだね」

 

 

荀彧「当時、関羽は58歳位、元々高いプライドに加齢による

自尊が加わり無名な陸遜の能力を図り損ねたのかも知れませんね」

 

孫権のゴリ押しでストレス爆発、夷陵の戦い

 

荀彧「陸遜が行った大きな功績と言えば、夷陵の戦いの勝利もありますね。

この時には、同じく、三国志の古強者、劉備(りゅうび)を火攻めで撃破しています。

わが主君、曹操も一目置いていた劉備と関羽を破ったのですから、

陳寿が陸遜に列伝を立てたのも分かりますね」

 

 

Kawauso「そういえば、夷陵の戦いでは、陸遜は部下に反発されて

指揮に苦労していたみたいだよね?あれはどうして?」

 

 

陸遜「うう、、それはですね・・」

 

 

荀彧「これは、陸遜が無名であったというよりは孫権殿の人選でしょうね」

 

 

Kawauso「孫権の人選?何それ」

 

 

荀彧「呉志、朱然(しゅぜん)伝には、呂蒙は亡くなる直前に

孫権に後継者を問われた時、朱然なら役目を引き継ぐ事が出来ると遺言しています。

それなら、夷陵の戦いは、朱然が率いても良さそうですが、

何故か総司令官は陸遜に決定してしまいました」

 

 

法正「朱然は孫権の子飼いだし、潘璋(はんしょう)、宋謙(そうけん)、

韓当(かんとう)徐盛(じょせい)、鮮于丹(せんうたん)等は、

孫策や孫堅(そんけん)時代からの重臣が含まれている。

この連中が同僚である朱然を差し置いて、豪族の陸遜が

総司令官になったのを面白がる筈が無いわな・・」

 

 

荀彧「法正君の言うとおりで、彼らは陸遜の指示になかなか従わず、

最終的に、陸遜は孫権から賜った剣をちらつかせながら、

 

“劉備は天下に名を知られ、曹操も一目置いていたんですよ

今、私達は、その古強者と境界を接して戦っています。

皆さんは揃って呉の恩義を受けて、私と一致団結して戦い、

この窮地をくぐり抜けて、殿の恩義に報いないといけないのに

総司令官のボクに従わないなんて考えられない事ですよ!

 

僕は、ドジでのろまな亀ですが、、殿に厳粛な命令を受けています。

聞いて下さい!国家が皆さんにプライドを曲げて僕に従えと命じているのは

僕に、ホンの少しですが優れた資質があり、屈辱に耐え重圧を背負えるからです。

それを見ていて、どうして皆さんが僕の命令に従わないなんて言えますか?

軍命には必ず服従すべきであり、犯してはいけないのです“

 

 

と半ギレ涙目でコメントしています、少し誇張していますが、

おおむねはこのような内容ですね」

 

 

Kawauso「あはは!目に浮かぶね」

 

 

袁術「つまり、陸遜を使う事で、子飼いの重臣に、

お前達がいなくても、俺には陸遜もいるから

手駒には困らんと言いたかったのかの?

しかし、下手をすれば、孫呉が滅ぶという時に、

孫権のヤツも危ない事をするのぅ」

 

 

郭嘉「ぷっ、酔ってたんじゃないの?あのヒゲ、ぷぷ・・」

 

 

荀彧「陸遜の健気なのは、こんなに部下にそっぽ向かれているのに

そんな苦しい状況は、一言も孫権に報告していないのです。

ちょっと引くのは、それを聞いて孫権殿は、笑って善し!と称えている事です。

いや、そこまで部下が追い込まれているなら、

『どうして無理をせず、私に相談してくれなかった!』位は言うのが、

私は、普通の上司ではないかと思うのですが、、」

 

※青い顔をしている荀彧

 

 

司馬懿「なんじゃそら!孫権のヤツ、ブラック社長ではないか!

マジで、ゾッとするわ!」

 

※腕に、さぶイボが出ている司馬懿

 

 

法正「ストレスで追い込まれ休職する話パターンだぞ、それ・・」

 

※バカちんノートに孫権の似顔絵を書き込む法正

 

 

陸遜「あわわ、、あまり殿の悪口は言わないで下さい(焦)」

 

 

禰衡「陸遜は、元々の名は陸議だったようですが、後に改名しています。

遜は謙遜の遜で、へりくだる・ゆずる・劣る・他人を立てるという意味で、

まさに陸遜の性格を暗示していますね」

 

 

Kawauso「よし、オチがついたね、、お、珍しく揉めなかったな、

一旦CМ行きまーす!」

 

 

ナレーション:遠慮しいの陸遜は、キャラを裏切らず史実でも謙虚だった。

しかし、孫権のブラック社長ぶりは酷い、自分で無茶ぶりな役職に陸遜を

就けておいて、ストレスを掛けまくり、それでも自分に苦情一つ言わない事を

称えるという真っ黒経営者ぶりだー!

あれ、孫権、まだ出た事ないのに、ドンドン評価が下がっているけど、、

これも孫権設定なのか? ま、いいやwww

 

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つづく(第10部 26日(土) 02時30分配信開始)

次回記事:朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第10部

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-朝まで三国志 2017