ゼロからはじめる三国志、五秒でわかる三国志、
通称〇三五三のコーナーです。
董卓(とうたく)が首都洛陽に登場した後の三国志のお話、
ごっちゃごちゃでわかりにくいですね!
裏切ったり裏切られたり、勢力図もどんどん変わり、私も大混乱です。
早くこの混沌とした時代をすっとばして魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の
三国時代に突入したいところですが、
せっかく「その1」を書いてしまったので、「その2」も書かせてください。
董卓を倒したのは義理の息子、呂布
洛陽で皇帝を牛耳り、暴政をしいた董卓に対し、
のちの魏呉蜀を作っていくメンバーたちが勢ぞろいして連合軍として
董卓に戦いを挑んでいきました。
しかし濃ゆいメンバーがそろいすぎたためもあったのか、
連合軍は不協和音を奏ではじめ、董卓を倒す前に解散してしまいます。
最終的に董卓は、身内の裏切りによって倒されました。
董卓を殺したのは、赤兎馬(せきとば)という真っ赤で巨大な馬に乗る
めちゃくちゃ強い呂布(りょふ)という武将です。
外戚も宦官も黄巾党も董卓もいなくなったことで、
この後一気に群雄割拠の時代に突入します。
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最初の二大勢力、袁紹VS袁術
最初に突出していた勢力は、袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)でした。
この二人は超名門エリートの家柄出身で、兄弟ともいとことも言われています。
袁家同士手を組んで仲よく天下統一!
なんてことになれば三国時代は訪れなかったのかもしれませんが、
この二人は敵対関係になりました。
・袁紹(えんしょう)
本拠地は北方の冀州(きしゅう)
兗州(えんしゅう)の曹操と連携
・袁術(えんじゅつ)
本拠地は南方の南陽(なんよう)
幽州(ゆうしゅう)の公孫瓚(こうそんさん)と連携
曹操と袁術が戦い、勝負は曹操の勝利で終わります。
袁術は敗走して揚州(ようしゅう)に向かいますが、
この後勢力は小さくなっていきます。
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曹操が徐州で大虐殺を行い、劉備が台頭する
袁術に勝利したことで曹操は勢いに乗ります。
そんなさなか、父曹嵩(そうすう)が徐州(じょしゅう)で惨殺されるという
事件が起こります。
曹操は父が殺されたことに逆上して、徐州の民を女子供見境なく大虐殺し
一気に人望を失います。
曹操の非道を恨んだ徐州の民らは、その頃徐州の陶謙(とうけん)の配下だった
劉備(りゅうび)の人徳を慕い、劉備を徐州の牧(ぼく)に任命します。
ここでいよいよ、『三国志演義』の主人公、劉備が表舞台に登場しました。
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最終的な二大勢力、曹操VS袁紹
曹操は献帝(けんてい)を保護します。
皇帝を擁したことで、一気に曹操の勢力は拡大します。
また呂布との戦いに勝利を収め、河南をほとんど平定しました。
袁紹はこの頃、公孫瓚との戦いに決着がつきます。
河北での勢力を拡大したことで、ついに、中原制覇のためには、
曹操と対決することになりました。
ここに官渡(かんと)の戦いが勃発します。
……ちなみにこの頃の劉備は、呂布に徐州を奪われて呂布の配下になったり、
呂布から逃げて曹操の配下になったり、曹操から逃げて袁紹の配下になったり
していました。
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