一大歴史コンテンツとして有名な「三国志」は、歴史書としての『正史三国志』と、明代につくられた物語としての『三国志演義』からなっています。この二つは、作品の性質が全く異なるため、同じ人物についても「正史」と「演義」でその描かれ方は全く異なります。
今回は、そんな「演義」では影が薄いものの、「正史」では非常に高い評価がなされている武将である朱霊について解説していきたいと思います。
朱霊の前半生
朱霊は冀州清河国(清河郡)の出身であり、元々は冀州を支配した袁紹の部下でした。朱霊は袁紹配下で武将として取り立てられますが、ある時、朱霊の故郷である清河国で反乱が起き、朱霊は袁紹の命で反乱鎮圧に派遣されます。
この時、反乱軍は朱霊の家族を人質に取って朱霊に揺さぶりをかけますが、朱霊は「男たるもの、ひとたび家を出て人に仕えたら、どうして二度と家族を顧みようか」と言い放ち、涙を流しつつも家族もろとも反乱軍を攻め、家族の命を奪われながらも、勝利を収めたというエピソードがあります。
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曹操への仕官と「演義」の朱霊
その後の193年(初平3年)頃、曹操が父親を殺害した仇敵である徐州の陶謙を討伐した際、袁紹は朱霊らを援軍として徐州に派遣します。
そこで、朱霊は初めて曹操と出会うことになるのですが、ここで朱霊は曹操の器量に心酔してしまい、袁紹を見捨てて曹操の陣営に加わってしまいます。
こうして、曹操陣営に加わった朱霊でしたが、「三国志演義」ではこれ以降の朱霊は非常に情けない武将として描かれてしまっています。「三国志演義」によれば、198年(建安3年)に呂布を滅ぼした曹操は徐州を劉備に任せ、翌年には劉備に袁術討伐を命じます。
この時、朱霊は路招とともに援軍を率いて徐州に向かい、劉備と共に袁術を討伐しますが、任務を完了した後に朱霊たちは劉備に丸め込まれてしまい、兵士たちを残して自分たちだけで曹操の下に帰ってしまいます。
そして、朱霊らの兵力を吸収した劉備は曹操に叛いてしまいました。
これを聞いた曹操は激怒し、一度は朱霊らを処刑しようとしますが、荀彧のとりなしによって何とか朱霊は処刑を免れました。
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「正史」での朱霊の活躍
しかし、「演義」では屈辱的な目に遭った朱霊ですが、「正史」の朱霊は曹操陣営の重要な武将として重用されます。
例えば、袁紹を倒した曹操が冀州を征服した際には、冀州人として朱霊は、冀州の鎮撫に活躍しています。また、その後も荊州征伐や涼州征伐など、曹操の重要な戦いには必ず朱霊が従軍しているのです。
特に、曹操と馬超が戦った潼関の戦いでは、徐晃と共に馬超軍の背後に回る任務を果たし、馬超軍を挟み撃ちにして曹操の勝利に貢献しています。
これ以降、朱霊は長安に駐屯し、涼州・雍州を押さえるとともに、漢中郡の張魯を攻める際にも大きな功績をあげました。
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曹操死後の活躍
曹操の死後、朱霊は曹操の息子である曹丕に仕え、今度は呉との戦いに従軍します。当時、魏の呉との戦線を支えていた名将張遼が病に倒れており、魏にとって呉に対する押さえを強めることは必要不可欠だったのでしょう。
曹丕が226年(黄初7年)に没すると、朱霊は跡を継いだ曹叡に仕え、呉との戦いを継続します。
229年(太和3年)には曹休・賈逵らとともに朱霊は呉を攻撃し、危機に陥った曹休を救出するという功績を挙げています。このように、朱霊は三代にわたって魏に仕えるという息の長い活躍をした武将ということになりますね。
243年(正始4年)、魏の皇帝であった曹芳は建国の功臣20人を祀る勅令を出しましたが、この時に朱霊も張遼や于禁、楽進らとともに祀られました。これは、朱霊という人物が同時代の人々からも、魏という王朝を長年にわたって支えた名将として、高い評価を得ていたことを意味するのではないでしょうか。
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三国志ライターAlst49の独り言
いかがだったでしょうか?
『三国志演義』では散々な描かれ方をしている朱霊ですが、『正史三国志』をひもとけば、魏を支えた名将としての全く異なる側面が浮かび上がってきます。このように同じ人物であっても、『三国志演義』と『正史三国志』で全く異なる描かれ方をされている例は他に多く見られます。
こうした一人の人物に対する多面的な描写・解釈の可能性もまた、「三国志」というコンテンツの大きな魅力となっているのではないでしょうか。
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