広告

劉封は正史三国志で不穏分子に分類!でも本当は不器用な人ではないか?考察

2022年9月25日


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

魏晋世語(書類)

 

三国志(さんごくし)は、其々「伝」というものがあります。これは各巻に分かれており、個別で伝が立てられているものは珍しく、多くの場合は一つの巻に数人がまとめられていますね。

 

このまとめられているメンバーが中々に面白いのですが、今回はその中でも、劉封(りゅうほう)のまとめられている伝に注目して見ましょう。中々に強烈なメンバーがまとめられていますよ……。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



正史三国志の伝とは?

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

さてまずはちょっと伝についておさらいを。伝は例えば蜀書(しょくしよ)で「関張馬黄趙伝」と言うと、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)馬超(ばちょう)黄忠(こうちゅう)趙雲(ちょううん)がまとめられている伝です。

 

彼らは三国志演義(さんごくしえんぎ)では五虎将軍(ごこしょうぐん)とされてますが、これは同巻にまとめられているメンバー、と見ると中々に考えられているなぁ、と思いますよね。

 

テレビを見る朱霊

 

因みに対比的に()の五将、張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)于禁(うきん)(ちょう)コウ、徐晃(じょこう)そして彼らを陰で見守る朱霊(しゅれい)も同じ伝にまとめられています。

 

生き残りを選んだ裏切り者孟達

法正と孟達
孟達の不人気は蜀・魏で短期しか働いてないせい?せめて魏蜀に10年ずついれば評価は変わった?

続きを見る

 

張遼

 

 

不穏分子カテゴリに分類された劉封

手紙を読んでブチ切れる劉封

 

それで劉備(りゅうび)の養子となった劉封の巻ですが。

 

劉彭廖李劉魏楊伝(りゅう・ほう・りょうり・りゅう・ぎ・ようでん)」となっています。

 

メンバーを紹介すると、劉封・(ほう)ネン・廖立(りょうりつ)李厳(りげん)(りゅう)エン・魏延(ぎえん)楊儀(ようぎ)というそうそうたるメンバー……うん、分かりますよ。李厳や魏延、楊儀と同じ巻なのかー……とか、思いませんでしたか?

 

正直に言うと、筆者は思いました。巻末の陳寿(ちんじゅ)先生の評価含めて、です。

 

劉封を処刑したのは孔明の陰謀?

手紙を読んでブチ切れる劉封
劉封を処刑したのは諸葛亮の陰謀だった!?

続きを見る

 

鍾会の乱

 

 

ろくな最後を迎えていない不穏分子カテゴリ

正史三国志を執筆する陳寿

 

さて、李厳を例に出してみると、補給を任されて失敗して命令違反して処罰されて身分はく奪され病死、という結末です。そして陳寿先生曰く「身から出た錆」。

 

そして劉封へは「疑われる立場なのにその対策まるでしないとかどうなの?そんなの破滅するしかないわー(意訳)」というもので……劉封含め、この巻のメンバーは「自業自得」とまとめられているメンバーなんですね。

 

今回ちょっと考えてみたいのが、この自業自得に関してです。

 

冤罪をおしつけられた武将特集

手紙を読んでブチ切れる劉封
濡れ衣だァ!責任を押し付けられた気の毒武将特集

続きを見る

 

合肥侯擁立事件

 

 

劉封は劉備に疑われても行動を起こせない不器用男

関羽の救援要請をシカトする劉封

 

まず関羽の援軍を断ったことに関してですが、ここはもう「援軍を出したら関羽は勝ったし生き延びてたし曹操(そうそう)も倒してたし()も勢いで滅ぼした!」という訳ではないと思うので、そこは触れずにおきましょう。

 

孟達からの手紙を開封する劉封

 

援軍を断ったことで劉備の不興をかった。このため、同様の立場にあった孟達(もうたつ)は魏に逃走。孟達は劉封も誘ったけれど、これを断って敗北してそのまま劉備のいる成都(せいと)に帰った。

 

つまり、ただでさえ関羽の一件で怒っている劉備のとこに同僚の孟達が逃走して敗北して何も対策も弁解もなく帰宅、となります。

 

こちらもCHECK

手紙を読んでブチ切れる劉封
孟達と関羽がいなくても劉封は劉備に処刑される運命だった?

続きを見る

 

鍾会の乱

 

 

【次のページに続きます】

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学
-