「曹操」と言えば「三国志」において戦で華麗なる戦績を誇り、その勝率はかなり高いと言われています。実際、要所で勝てたので、実質的に天下統一に近づいたと言えるのでしょう。そんな曹操、多くの勝利の戦績の中でも、「負け戦」はもちろん存在します。
今回の記事では正史「三国志」をもとに曹操の戦績から「負け戦」をピックアップしてみましょう。
とにかく負けない曹操
曹操は若いころから兵法書を学び、名をあげてからも勉学を怠らなった、と言います。また、人材の登用にも長け、「夏侯惇」「許褚」と言った武を誇る者や「郭嘉」「司馬懿」と言った智謀を持つ武将たちを配下にしていました。彼らの力により、劣勢と思われた戦も勝ち戦にすることにも成功しています。
代表的な戦には「官渡の戦い」があり、当初有利と思われていた袁紹に対し、謀略と人材の差で曹操は見事勝利することができたのです。ただ、そんな曹操にも負け戦はありました。
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自分の好色が招いた「張繡」戦での敗北
西暦197年、勢力を拡大する曹操に対し、董卓の残党である「張済」そしてその甥「張繡」は抵抗を続けていました。張済が亡くなった後は張繍が軍勢を継ぎ、曹操と対立します。
その後張繡は降伏することになるのですが、ここで厄介ごとが発生します。曹操が張繡の叔父「張済」の妻を自分の側室にしてしまったのです。
これに対し、張繡は曹操に嫌味を言い、曹操はこれを恨み張繡の暗殺を計画します。しかし、この計画はバレ、張繡は曹操を奇襲し、曹操は敗走してしまいます。
この時曹操は「典韋」や息子の「曹昂」と言った多くの武将を失ってしまいます。のちに張繡は曹操に帰順しますが、「曹昂」の弟で後の皇帝「曹丕」は張繡を嫌い、嫌味を言っていたそうです。
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天下統一に待った!「赤壁の戦い」
次に紹介する「負け戦」は超有名な「赤壁の戦い」です。袁紹を倒し、北方そして中原を制覇した曹操は天下統一を目指し、いよいよ南征を開始します。
手始めに荊州の劉琮を降伏させ、そこから逃げた劉備を敗走させ、次は江東の孫権を狙います。曹操は孫権に降伏を勧告し、孫権陣営の諸将は「降伏か、抗戦か」で揉めますが、降伏派が多くなっていました。
しかし、抗戦派の周瑜が呉軍の有利な点と、曹操軍の弱点を指摘し、孫権を説得。孫権は曹操との決戦を決意します。
劉備軍を加えた呉軍と曹操軍は「赤壁」で対峙、圧倒的数を誇る曹操水軍は船を鎖でつなぎ、水上の要塞を作り上げていました。これに目を付けた呉軍は火攻めを計画、運よく激しい風が吹き、この作戦は成功し、曹操軍は敗走します。曹操は追撃されますが、何とか逃げ切りには成功しますがこの戦いで天下統一の望みは断たれたのでした。
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劉備に要衝の地を確保される「漢中争奪戦」
「赤壁の戦い」で孫権、劉備に敗れた曹操は要衝の地「漢中」を狙います。漢中は宗教団体を率いる「張魯」が支配していましたが、これを降ろし、曹操は漢中の支配に成功します。一方「益州」を得てさらに勢力を拡大した劉備は漢中を狙い軍を動かします。
曹操軍は「定軍山」で「夏侯淵」が迎撃しますが、劉備軍の「黄忠」に斬られてしまいます。その敗北を受け、曹操自身が軍を率いて出陣、漢中奪回を狙います。しかし劉備軍は険しい地形を利用して、曹操軍を迎え撃ちます。
曹操は数か月にわたって攻撃を繰り返しますが、劉備軍は「趙雲」が計略を用いて大軍を破るなど活躍します。この敗北と、食糧供給も滞ったことにより曹操は漢中をあきらめ、「鶏肋」というお触れを出します。
誰もこの言葉を理解することはできませんでしたが、唯一秀才で知られた「楊脩」が「鶏肋(鶏のあばら肉のこと)は捨てるのには惜しいが、かといって食べるところも少ない。殿は漢中を“獲っても得るものがすくない”と見たのでしょう。」と言い、曹操が撤退の命令をしたことを見抜いたのです。
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三国志ライターみうらの独り言
以上曹操の戦績において「負け戦」と思われる3つをピックアップしました。他にも負けた戦はあるでしょうが、大きなものはこれくらいでしょうか。
曹操はほとんどの戦に勝ち、その勢力を拡大することに成功したのです。その勝率は一説には「八割」と言われるくらいです。言い伝えによると、曹操は陣中においても寝る間を惜しみ、兵法の勉強を欠かさなかったといいます。
「学びなおし」が叫ばれる今、曹操の姿勢には見習うところがあるかもしれませんね。
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