ゼロからはじめる三国志、五秒でわかる三国志、
通称〇三五三のコーナーです。
宦官と外戚の争いが起こり、黄巾の乱の勃発、曹操や袁紹の登場、
そして悪の親玉董卓の洛陽君臨まで……ええと?もう頭がぐちゃぐちゃ。
劉備や関羽はどこ?諸葛孔明は?
そんなあなたへ、ここまでの流れを簡単にまとめてみました。
1面のボスは宦官、通称「濁流派」
そもそもの始まりは、宮廷内バトルから始まりました。
皇帝に仕える宦官(かんがん)たちと、皇帝の母方の親戚である外戚が、
宮廷権力を巡って争いを繰り広げ、宦官が権力を握りました。
儒学に精通した官僚や知識人などがこれに反発し、宦官たちを
「濁流派」と呼びました。
また、自分たちのことは「清流派」と称して、宦官たちを批判します。
外戚も清流派の人々に加担しました。
宦官たちは、清流派の人々を弾圧します。
この間、民衆たちの生活は顧みられることがなく、どんどん苦しくなっていきます。
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2面のボスは黄巾軍、教祖は張角
広がる社会不安を反映して、太平道(たいへいどう)という新興宗教が
生まれました。
教祖の張角(ちょうかく)は、飢えた農民たちを率いて、中国全土で
大規模な反乱を起こします。
この時、反乱軍は目印として黄色い頭巾を頭に巻きました。
そのためにこの反乱を「黄巾(こうきん)の乱」といい、彼らのことを
「黄巾軍」といいます。
反乱鎮圧のため、争っていた宦官と外戚は手を組みました。
そして、討伐軍が編成されます。
討伐軍には、曹操(そうそう)、袁紹(えんしょう)、孫堅(そんけん)、
劉備(りゅうび)ら、三国志を彩る武将たちが加わります。
はい、そうです。ここでようやく、主人公たちの登場です!
討伐軍の活躍で、黄巾の乱は鎮圧されました。
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3面のボスは宦官チーム、名称「十常侍」
一度は手を組んでいた宦官と外戚は、霊帝(れいてい)の死により、
再びいさかいを始めます。
宦官の中でもとりわけ権力を握っていたものたちがいました。
彼らをまとめて「十常侍(じゅうじょうじ)」と呼びます。
十常侍は、外戚のトップである何進(かしん)を暗殺する暴挙に出ました。
すると、何進と手を組んでいた袁紹が、逆上して、宦官たちを殺します。
それはもう容赦なく、ざくざくと、皆殺しにします。
霊帝の後を継いだ幼い皇帝、少帝(しょうてい)とその弟
劉協(りゅうきょう)は戦禍を免れようと洛陽を離れますが……。
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中ボス董卓登場
死んでしまった何進に助力を頼まれていて上京してきた董卓(とうたく)が、
ちょうど通りかかって、少帝と劉協を保護します。
皇帝を手に入れた董卓は、宦官と外戚が共倒れした洛陽に入り、
宮廷の中央に居座ってしまいます。
さらに少帝を廃し、劉協を皇帝に即位させ、傀儡にします。
また、洛陽の軍事権をおさえ、歯向かうものは死、という恐怖政治を敷きます。
そこで、董卓を倒すべく、三国志の武将たちが集結します。
・チーム董卓
リーダー:董卓
最強武将:呂布(りょふ)
リーダー:袁紹
主な構成員:袁術(えんじゅつ)、曹操、孫堅(そんけん)、
公孫瓚(こうそんさん)、劉岱(りゅうたい)、陶謙(とうけん)、
*『三国志演義』の主人公、劉備は公孫瓚の勢力下でした。