その時歴史に名言を残したのは曹操(そうそう)の参謀として大いに名を馳せた王佐の才・荀彧(じゅんいく)です。
彼が残した名言は「誠にその才あれば、弱と雖も必ず強し(まことにさいあれば、じゃくといえどもかならずつよし)」です。
この名言は袁紹(えんしょう)が曹操の領地に侵入したのに事への謝罪が無く適当な理由をつけて丸め込もうとします。
曹操は袁紹が自らの領地に侵入した事への謝罪がない事へ腹を立てますが、戦力差がありすぎてどうしようもできませんでした。
そんな曹操に対して彼が述べた言葉です。
この名言を述べた時、曹操はどのような状況であったのかを交えながら紹介していきます。
この記事の目次
曹操最大のチャンス・皇帝を許に迎える
曹操は野に隠れた逸材を積極的に登用して優秀な人材を集め、各地の戦いで勝利を重ねていました。
しかし思うように領地と兵力を伸ばすことができません。
そんな中、最大のチャンスが訪れます。長安から逃れてきた後漢皇帝が洛陽に逃げてきたとの情報を得ます。
曹操は急いで洛陽に赴き献帝を自分の領地である許へ保護し、天下に号令を取る大義名分を手にします。
袁紹は曹操に対して、文句を言い募る
さて河北の大半を手に入れた袁紹は、曹操が献帝を保護したとの報告を聞き、曹操に対して「お前みたいな貧弱な勢力が献帝を守れないんだから、冀州へ帝を移せ。」とかなり高圧的な態度で提案します。
もちろん曹操は袁紹の提案を無視。
曹操に無視された袁紹は手紙で「おい、オレが今までどれだけ助けてやったと思っているんだ。オレの言うこと聞けよ」と騒ぎ立てます。
曹操は袁紹の手紙を一読して破り捨て、再び戦へと出陣します。
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張繍が曹操に降伏
曹操は袁紹の文句に対してかまっていられないくらい多忙でした。
西や東へ出陣し、毎日戦を行っていました。
そんなある日、荊州の宛という都市にいる群雄・張繍(ちょうしゅう)が曹操に降伏したいと伝えてきます。
彼は軍勢を率いて張繍の領地へ行き、降伏を受け入れます。
美人な女にうつつを抜かし、張繍に裏切られる
張繍は宴席で叔父の妻を曹操に見せます。
曹操は一目見て彼女を気に入り、「張繍よ。彼女をオレの陣につれて帰りたいのだがいいか。」と尋ねます。
張繍は彼女を自らの妻にしようと考える程好きでしたが、彼の言うことに逆らうことが出来ず、断腸の思いで彼女を手放します。
曹操は張繍から彼女をもらうとすぐに自らの陣に連れて帰ります。
曹操は陣に帰ると昼夜問わず、彼女といちゃいちゃし、自らが行わなければならない仕事は部下に任せっぱなしにします。
張繍は曹操を憎む
張繍は自分の好きな人を曹操に取られてしまった事を毎日後悔します。
しかし今更曹操に彼女を返してくれとお願いに行く事も出来ず、つらい日々を送っておりました。
そんなある日、曹操の陣を調査していた者が「曹操は昼夜問わず彼女と一緒にいる」と張繍に報告が入ります。
彼はこの報告を聞いて激怒。軍師である賈詡(かく)に「曹操に反乱を起こしたいんだけど勝つ方法ない」と相談します。
賈詡は「曹操は女にうつつを抜かしております。夜中、本陣に奇襲をかければまず勝てるでしょう」と策を提案します。
張繍は賈詡の策を採用し、夜になってから奇襲をかけます。
張繍軍は油断していた曹操軍本陣に奇襲をかけて成功し、曹操をあと一歩のところまで追い詰めますが、逃げられてしまいます。
張繍は好きな人を奪還し、再び独立勢力となります。
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張繍討伐戦に出陣
曹操は命からがら味方の軍勢の所まで退却します。
彼は張繍の裏切りに激怒し、すぐに軍勢を整え出陣します。彼は張繍の軍勢に猛攻を開始します。
しかし張繍は少ない軍勢にも関わらず曹操軍の猛攻をしのぎます。
彼は張繍軍をすぐに撃破できるものと考えておりましたが、中々撃破できません。
そんな中彼の元に「袁紹が大軍を動かし、南下する気配を見せている」と急報が飛び込んできます。
曹操はこの報告を受けて急いで許に戻ります。
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献帝を渡さない曹操に対して、ついに袁紹が動く
袁紹は曹操が張繍討伐に出撃した隙をついて大軍を動かします。
袁紹は大軍を南下させ曹操の領地に侵入し、実力で献帝を奪おうと進軍していた矢先、曹操が張繍討伐から帰還している事を知ります。
彼は曹操が領地に戻ってきていることを知ると「公孫讃と決着付けるための訓練だ。君の領地に入るわけじゃない」と適当な理由をつけ、曹操の領地に入った事を謝りませんでした。
その時、歴史に名言を残した
曹操は袁紹が自らの領地に入ってきたことに激怒しますが、袁紹と自分の戦力差を比較した場合どうしようもできませんでした。
この不満を荀彧にぶつけます。
荀彧は主人である曹操の不満を一通り聞いた後に「殿。誠にその才あれば、弱と雖も必ず強し(まことにさいあれば、じゃくといえどもかならずつよし)」と曹操に伝えます。
曹操は「意味わかんないよ」と荀彧に伝えます。
彼は優しく丁寧に「殿。歴史を見ますと才能を持っている人間は弱くても必ず後に強くなっていくものです。これが先ほど私が述べた言葉の意味です。」と曹操に教えます。
彼はその後に言葉を続け「またどんなに戦力を保有していようとも、才能の無いものは必ず滅んで行くのが歴史の必然です。」と言葉を結びます。曹操は歴史にも詳しいため荀彧の言葉を聞き、気持ちを切り替えて、次の戦に出陣します。
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三国志ライター黒田廉の独り言
数年後曹操と袁紹は天下を決する戦いを官渡で繰り広げます。
圧倒的に不利であった曹操軍でしたが、粘り強い忍耐力と敵からの寝返りにより、袁紹は敗北。
軍勢をまとめて河北へ帰りますが、その後亡くなります。
荀彧は袁紹の才能のなさを見抜いていたからこそ曹操に「誠にその才あれば、弱と雖も必ず強し(まことにさいあれば、じゃくといえどもかならずつよし)」と名言を述べる事が出来たのでしょう。
この時点では誰も曹操が袁紹に勝てると思っていなかったのに、荀彧は曹操の勝利を確信しておりました。
彼の冴えわたる予見力に驚きますね。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃまたにゃ~
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
張遼、孟嘗君、張作霖など
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!