(画像引用元:NHK大河ドラマ『真田丸』)
2016年のNHK大河ドラマは、三国志!ではなく「真田丸」です。
でも歴史好きの人はいいとしても、歴史初心者の方は
「真田丸?何それ、美味しいの?」と、チンプンカンプンでしょうね。
でも一見難しそうな大河ドラマには観るポイントがあります。
そこを押さえる事で初心者でも、充分に真田丸を楽しむ事が出来るのです。
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この記事の目次
真田丸を楽しむポイント1 戦国史をざっくりお勉強
まず、真田丸の舞台になっている時代背景を簡単に説明します。
真田丸の舞台は1490年~1590年まで継続した戦国時代の末期です。
西暦1467年より始まった応仁の乱は室町将軍の後継者争いを
切っ掛けとして、東西の守護大名が合計27万の大軍で京都で激突!
その後10年間にわたって戦争が継続し京都は灰になります。
この結果、京都を拠点にしていた室町幕府の権威は地に墜ち、
元々は、室町将軍の家来だった守護大名は幕府の命令を無視して、
勝手に他国に攻め込んで領土を広げるようになります。
この時代には下剋上(げこくじょう)と呼ばれる、下の身分の人間が
上の身分の人間を実力で引きずり落とすという行為が頻繁に起ります。
まさに弱肉強食の世界がやってきたわけです。
三国志でも献帝(けんてい)を擁した董卓(とうたく)が洛陽で好き放題するのを
アンチ董卓の袁紹(えんしょう)、曹操達が反董卓連合軍を結成して戦うも決着がつかず、
そのまま、連合軍が分裂して群雄割拠になりますね。
真田丸を楽しむポイント2 真田家を理解する
真田丸の主人公になるのは真田信繁(さなだ・のぶしげ:通称 幸村)です。
彼が生を受けた真田家は、元々、信濃国(しなののくに)小県郡(ちいさがたぐん)
真田郷(さなだごう)に起きた小豪族で、とても勢力が小さいので大きな豪族に
従って動いていました。
その後、真田郷の一部が甲斐の武田氏に奪われると、これを取り戻そうと
関東管領(かんれい)上杉氏に組みしますが上杉勢の力が武田に及ばないと知ると、
ここを見限り武田氏に接近して、その配下に入り旧領地を返還されました。
武田氏が滅亡すると、今度は武田を滅ぼした織田家に取り入り、
織田信長が本能寺で死ぬと徳川家康と戦火を交え、その後豊臣家の天下取りが
確実になると上杉景勝を仲介して、豊臣秀吉に取り入るなど保身に勤めています。
その後、関ヶ原の合戦で豊臣と徳川が衝突すると、
真田家は徳川方に残った信繁の兄、信之と豊臣方ついた、
昌幸・信繁に分かれて戦い、どちらが勝っても真田が残るようにします。
このように真田家は、めまぐるしく変わる戦国の勢力図を冷静に見極め
弱者ながら明治維新まで家を存続させた強かな一族なのです。
この無節操にさえ見えるバランス感覚は、公孫瓚(こうそんさん)、
陶謙(とうけん)、呂布(りょふ)、曹操(そうそう)、袁紹(えんしょう)、
劉表(りゅうひょう)と複数の群雄を渡り歩きながら、皇帝になって
天寿を全うした劉備(りゅうび)に似ていなくもありませんね。
真田丸を楽しむポイント3 真田三傑、昌幸、信之のカッコよさ
真田家は、主人公の真田信繁ばかりではなく、父、昌幸(まさゆき)、
兄の信之(のぶゆき)までが大変に優れた傑物であるという恵まれた一族です。
父、昌幸は、生涯に何度も主君を変えながら、一族を維持した狡猾な人です。
そればかりでなく戦にも無類の強さを誇り、二度にわたる上田城合戦では、
初回は戦上手で知られる徳川家康の軍勢七千を二千の手勢で防ぎ切り、
二度目は、家康の息子の徳川秀忠の軍勢三万を僅か数千で足止めします。
この徳川キラーぶりは、家康にトラウマを与えました。
大阪冬の陣で真田家が豊臣家に加勢したと聞いた家康はガタガタと震えだし、、
「真田とは父か子か?」と質問し、立て籠ったのが当時無名だった
信繁だと聞くと、ようやく安心したと伝えられています。
また、信繁の兄の信之も温厚ながら剛胆な人物でした。
その初陣は1583年の17歳の時、手勢800騎を率いて北条方の
富永主膳(しゅぜん)が5000騎で立て籠る手子丸(てこまる)城を
一日で陥落させたという凄いものでした。
その後、1585年の徳川家康との上田城決戦では、信之は上田城の支城である
戸石(といし)城に入り、たった300名の兵力で、徳川勢主力を奥地に誘導する
役目を引き受けて勝利に貢献します。
このような事から、後に真田家と和睦した家康は、信之を味方につけようと考え
重臣の本田忠勝(ただかつ)の娘の小松姫を一旦自分の養女にしてから信之に与えます。
こうして徳川の大名になった信之は、関ヶ原の戦いでは、父、昌幸、弟、信繁が
西軍の豊臣方についたのに対し、東軍の徳川方につきます。
大阪の陣でも徳川勢でしたが、病気として出陣せず息子を派遣します。
彼等は真田丸で戦う事は無かったので親戚同士で殺し合う事は回避されました。
このように信繁に勝るとも劣らない二人が物語に登場する事が、
真田丸を重層的でより面白い話にしているのです。
三国志でも、劉備、曹操、孫策、孫権、袁紹や、孔明(こうめい)、
司馬懿(しばい)、周瑜(しゅうゆ)等、いずれも単独でも天下を統一できる
才覚を持つ人々が天下を争い権謀術数を尽くす所が見所ですよね。
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真田丸を楽しむポイント4 負け組の意地が勝ち組を追い詰める
(画像引用元:NHK大河ドラマ『真田丸』)
英雄の物語というと、普通1人の英雄のサクセスストーリーを追うものです。
しかし、真田丸の主人公である真田信繁は、最後には合戦に敗れて滅びます。
つまり、真田丸とは負け組の物語になっているのです。
「なんで負け組の話なんかするの?勝った側がいいじゃん」
そう疑問を持つかも知れませんが、そこには真田信繁の反骨精神があります。
実は信繁は、大阪冬の陣までは父や兄に比較しても殆ど無名でした。
彼の名が高くなるのは、実に40歳を過ぎて大阪夏の陣で戦死する
1年にさえ満たない期間の間の事なのです。
その時代、すでに時代は江戸時代に入っていて、徳川勢は勝ち組の
大名連中で占められているのに、豊臣勢は没落した浪人勢が大半でした。
つまり、真田丸とは、世の中の勝ち組に対して、負け組が喧嘩を売る
という構造になっているのです。
その中で信繁は生命を燃やして、父昌幸の宿敵であった徳川家康に、
立ち向かいます、
そして、大阪冬の陣では、真田丸に立て籠り、徳川勢に大打撃を与え、
大阪夏の陣では、徳川の本陣に斬り込んで、家康に自決を覚悟させる程に
追い詰めてしまう大活躍をするのです。
どうですか?弱小ながら最強の徳川家康を追い詰めた真田信繁は、
まるで諸葛亮孔明のようではありませんか?
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三国志ライターkawausoの独り言
真田信繁の奮闘は負け組ばかりか、勝ち組の徳川勢にも賞賛されます。
鬼島津と称され戦国最強を謳われた薩摩の島津家久(いえひさ)は、
「真田は日本一の兵じゃ、古来ここまでの英傑はいないであろう
徳川は半分負けたようなもので御座る」と信繁を絶賛しています。
また、同じく大名の細川忠興は
「左衛門左(信繁)討ち死に、古今無双の大手柄」と
まるで味方の事のように信繁を称えているのです。
ただ、勝ち組に残る為ではなく、強い者に逆らうという反骨を見せつけて
不朽の名を残した、真田信繁の物語は2016年1月10日、午後8時より
NHK総合テレビジョンでオンエアです。
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この記事を書いた人:kawauso
■自己紹介:
どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。